西城秀樹「Love Togetter」を共同で編曲した盟友、越智洋一郎が語る「人間・滝沢洋一」

text:都鳥流星

2015年に初CD化された唯一作『レオニズの彼方に』(1978/東芝EMI)が「シティ・ポップの名盤」「奇跡の一枚」と高く評価されているシンガー・ソングライター、作曲家の滝沢洋一(2006年に56歳で逝去)。

以前、滝沢が90年代に起業する音楽制作会社ハウス・ティーで育成していた愛弟子「山上ジュン」へのインタビューを全2回の記事で紹介した。

● “愛弟子”が語る、素顔の滝沢洋一①

● “愛弟子”が語る、素顔の滝沢洋一②

その山上を滝沢に紹介し、ハウス・ティーを共同経営していたのが、滝沢の高校時代からの親友で、作曲家・キーボード奏者の越智洋一郎だ。

越智は、滝沢と玉川学園高等部時代からの同級生で、アルファ創業者・村井邦彦の“秘蔵っ子”歌手・清野由美「海辺のDecember」(『NATURAL WOMAN』所収、1981/日本コロンビア)の作曲を滝沢と共作している他、西城秀樹の初のデュエット曲「Love Togetter」(『GENTLE・A・MAN』所収、ありそのみ作詞、滝沢洋一作曲、1984/RVC)も滝沢と共同で編曲を担当している。

なお、清野由美「海辺のDecember」は、滝沢が1982年7月に発売予定も直前にお蔵入りとなった幻のセカンドアルバム『BOY』の掉尾を飾る予定であった「海のバラッド」とまったく同じ旋律であることが分かっている。アルバムが発売されていれば、越智の名前も作曲者としてクレジットされていたことだろう。

● 清野由美「海辺のDecember」(Spotify)
https://open.spotify.com/track/3qsY62GKPbxGvpQviwYmHZ?si=VZXev3o0Q2yoTwM9HP4HzA

おそらく誰よりも一番長い期間、滝沢との時間を過ごしてきたであろう越智に、どうしても生前の滝沢に関する話を聞きたいと考えた私は、滝沢のご遺族の協力を得て越智に連絡を取り、インタビューを敢行することにした。

突然の電話にも関わらず、越智は滝沢と過ごした日々を“反芻”するかのように思い出しながら、ゆっくりと語りだした。

「確かに、私は滝沢さんと高校生のときからの同級生で、40年ほどの付き合いがありました。音楽活動というよりは、バカッ話ばかりするような悪友同士で、家が近かったこともあって深夜のデニーズやお互いの家で他愛もない話ばかりしていましたね」

滝沢が高校時代に所属していたのが、「バラが咲いた」のマイク真木を世に送り出し、のちに敏腕音楽プロデューサーとなる歌手・ロビー和田が仕切っていた巨大フォーク集団「MRA(道徳再武装運動)」であった。越智は、このグループには所属せず、滝沢とバンドを組んだこともなかったそうだが、親友として毎日のように音楽談義を交わしていたという。

「滝沢さんがアルファレコードと契約して、作曲家として活躍を始めた頃は、たくさん依頼があって、締め切りに間に合わせるのが大変だとよくこぼしていましたね」

おそらく、アルファレコードの当時のプロデューサー・有賀恒夫からの依頼で、サーカス、いしだあゆみらへの曲を提供していたときのことだろう。

● 有賀恒夫へのインタビュー:ALFA RIGHT NOW 〜ジャパニーズ・シティ・ポップの世界的評価におけるALFAという場所 第六回「滝沢洋一を探して②」滝沢洋一とは何者なのか
https://note.com/alfamusic1969/n/n20daf30c5815

滝沢は、アルファ時代だけでもサーカスに10曲ものオリジナル曲を提供しており、80年代初期には他のレコード会社に所属するタレントやアイドル、歌手へ多くの曲を提供していた他、ノエビア、パイオニア、ポラロイドのCMソングも手掛けていたことが分かっている。

80年代前半まで多忙を極めていた滝沢だが、その後80年代半ば頃になると作曲の依頼は激減し、宅配ピザ屋「エイミーズ」の経営に乗り出してからは、作曲を「片手間」でおこなうようになってしまう。

「そんなピザ屋の経営も上手くいかなくなって苦しかった時代も知っています。その後、滝沢さんが音楽制作会社ハウス・ティーを立ち上げて、カラオケ楽曲の制作を始めるんですが、そのときに共同経営者として誘われて一緒に会社をやっていました」

高校時代から始まって、大学時代に持病の肝炎でスキーインストラクターの夢を絶たれ、青山純や伊藤広規、新川博らとバンドを組み、のちにアルファレコード専属作家となり、名盤『レオニズの彼方に』を出し、幻のセカンドアルバム『BOY』がお蔵入りになり、突然のピザ屋経営から音楽制作会社の立ち上げまで…これらの出来事を近くで見続け、40年の長きに亘って滝沢と共に同じ時間を過ごしてきた、越智洋一郎。

奇しくも名前が「一文字違い」ということもただの偶然ではあるまい。

私は、清野由美に提供された「海辺のDecember」が、幻のセカンドアルバム『BOY』に「海のバラッド」というタイトルに変更されて収録予定だった経緯についてたずねてみた。

「いえ、まったく知りませんでした。その曲を書いたことについてもあまり覚えていませんが、そのことは今はじめて知りました」

親友であるはずの越智に、なぜ滝沢は共同で作曲した曲が、渾身のアルバム『BOY』に収録されることを教えなかったのだろうか。

私は、越智に当時の未発表音源を送ることにした。
(つづく)