海を超えた西城秀樹と滝沢洋一の「かぎりなき夏」。シティ・ポップを世界に広めた立役者、DJ ヴァン・ポーガムが語る普遍性

text:都鳥流星

2015年に初CD化された唯一作『レオニズの彼方に』(1978/東芝EMI)が「シティ・ポップの名盤」「奇跡の一枚」と高く評価されているシンガー・ソングライター、作曲家の滝沢洋一(2006年に56歳で逝去)。

前回、滝沢が90年代に起業する音楽制作会社「ハウス・ティー」でスタッフをしていた小林清二氏に、彼のブログのコメント欄から連絡がついた記事の番外篇として、1984年に西城秀樹へ提供された「かぎりなき夏」という曲にまつわるエピソードを関係者からの証言とともにご紹介した。

● 元スタッフが引き寄せた滝沢洋一『幻の2ndアルバム』の奇跡①

● 元スタッフが引き寄せた滝沢洋一『幻の2ndアルバム』の奇跡 番外篇
西城秀樹「かぎりなき夏」が見た“永遠の夢”

1982年に発売予定も延期のまま“お蔵入り”となった幻の2ndアルバム『BOY』のDATを、滝沢から元スタッフの小林清二氏が譲り受けたことが判明。そして前回、そのDATが“生きている”のであれば、滝沢が歌唱する幻のオリジナル版「かぎりなき夏」も日の目を見ることになる、と書いた。

そんな西城秀樹の「かぎりなき夏」という曲に魅せられた一人の男がいた。

ヴァン・ポーガム(Van Paugam)。

アメリカ・イリノイ州シカゴCityでDJとして活躍する彼は、日本のシティ・ポップをmixし、YouTubeで世界中の音楽ファンに紹介した人物である。

ヴァン・ポーガム(Van Paugam)

ヴァンは2016年、YouTube上の個人チャンネルにていち早くシティ・ポップmixを公開、チャンネル登録者数は10万人を超え、すべての動画の再生回数は100万回を超えていた。

欧米の音楽ファンは、彼のmixによって初めて聴く日本のシティ・ポップに熱狂する。そして、こんなにもクールな音楽が極東の島国で70~80年代に数多く作られていたことに驚愕したのである。

しかし、そんな彼を悲劇が襲う。

2019年、ヴァンのチャンネルが日本のレコード関係の団体から「著作権侵害だ」との警告を受けたのだ。

彼は、ライセンス元を明記して著作権を侵害しない合法的な形でのmix再アップを何度も同団体に掛け合ったが、その願いは聞き入れてもらえず、同年2月14日、彼のYouTubeチャンネルは永久に消滅した。

その後、YouTubeの規約変更によって、ライセンス元の社名を動画内に明記する形であれば音楽関係の動画がアップ可能となり、他のDJらによるシティ・ポップmixの動画の多くが問題なく公開されているのはご存知の通り。

ヴァン・ポーガムは、あまりにも早くシティ・ポップを広めたがためにアカウントを失い、世界的なシティ・ポップブームが訪れたときには、彼の名を思い出す者はほとんどいなかった。

それはまるで、シティ・ポップの先駆者と言われながら、生きているうちに才能が世間に認められなかった滝沢洋一の存在とも重なる。

ヴァンが2016年に初めてYouTubeチャンネルにアップしたというmixは、まだSound Cloudの中に残っていた。

今、改めて聴いてみると、DJ ヴァン・ポーガムの先見性に驚かされる。そこには昨今、世界で再評価が高まっているシティ・ポップの名曲ばかりがラインナップされていたからだ。

同mixには竹内まりや「プラスティック・ラヴ」はもちろん、松原みき「真夜中のドア」、山下達郎『FOR YOU』収録の「Love Talkin」、細野晴臣「SPORTS MAN」、そして角松敏生、八神純子はもちろん、真鍋ちえみ、当山ひとみ、間宮貴子、大橋純子、山根麻衣、和田加奈子なども含まれていた。

つまり彼は、今世界的に起きているジャパニーズ・シティ・ポップブームの火付け役であり、真の立役者だったと言えるだろう。

● City Pop シティーポップ (2016)
https://soundcloud.com/vanpaugam/city-pop

そんなヴァン・ポーガムが、滝沢の作曲した西城秀樹「かぎりなき夏」をシティ・ポップの名曲として愛し、わざわざ特設ページを作成して紹介していることを知った。

そこには、西城秀樹ファンであるTwitterユーザーの@Silasmybairn氏と@Goldenearrigs氏のお二人が共同で翻訳している「かぎりなき夏」の英訳歌詞や、西城の歌唱する同曲のYouTube動画もエンベットされている。このページを見ただけでも、ヴァンがどれほど西城秀樹を、そして「かぎりなき夏」という曲を愛しているかをうかがい知ることが出来る。

● ヴァン・ポーガム公式サイト「かぎりなき夏 Kagirinaki Natsu」特設ページ
https://www.vanpaugam.com/hideki-saijo-lyrics

私は、このページをキッカケに、ヴァンが日本のシティ・ポップをいち早くmixして世界に広めたDJであることも同時に知ったのである。

日本のシティ・ポップ、とりわけ西城秀樹という歌手を、そして作曲者である滝沢も歌唱した「かぎりなき夏」という曲をここまで愛する人物ということであれば、彼に直接話を聞きたい。否、聞かなければならない。私はそう決意した。

ヴァンのホームページには、YouTubeのチャンネルをBANされた経緯や、いかにシティ・ポップを愛しているか、そして歌手としての西城秀樹がいかに素晴らしいかをヴァン自らの言葉で語ったブログのエントリーも掲載されていた。

これらの記事を読み、「話を聞くのは彼で間違いない」と改めて確信した。

● ヴァン・ポーガム公式ホームページ
https://www.vanpaugam.com/

● Hideki Saijo: The Japanese Elvis Presley(日本語版。翻訳は@Silasmybairn氏)
https://www.vanpaugam.com/973539396262

私は、ホームページのコンタクトフォームから、ヴァンにメールインタビューが可能かどうか打診してみることにした。連絡を入れてから1ヶ月半後、DJとして多忙なヴァンは、メールへの返信とともに質問の回答を届けてくれた。

以下は、ヴァンから届いた西城秀樹「かぎりなき夏」と、日本のシティ・ポップ、そして今起きている世界的なシティ・ポップブームに対する彼の率直な思いである。

ヴァン・ポーガム氏インタビュー

— この度は、お忙しい中、メールインタビューをお受けいただき感謝申し上げます。私は、あなたが西城秀樹の歌う「かぎりなき夏」(1984)という曲の大ファンであることを知りました。この曲を知ったきっかけは何だったのでしょうか?

ヴァン:数年前、秀樹の音楽を調べていた時に初めて聴きました。そのときから、彼の曲の中で最も好きな曲のひとつになり、彼の代表作としてよくクレジットしています。

—「かぎりなき夏」が好きな理由を教えて下さい。この曲のどんなところが好きですか?

ヴァン:「感性に訴えかけてくるような美しさ」で構築されている音楽、ということ以外に言いようがありません。

一曲の中に様々なモードがあり、聴き手の期待を膨らませながら激しい「サビ」が押し寄せてくる。秀樹の声は、この曲にぴったりで、メロディーとシンクロした歌詞の表現世界が見事な効果を上げていると思います。

また、この曲の主題も非常に美しく、それでいて哀愁味を帯びている。

シンプルに言って「完璧な曲」だと思います。

—何故、あなたは日本のシティ・ポップという音楽ジャンルが存在することを知ることが出来たのですか?

ヴァン:正直なところ、リミックスに使われている断片的な音源を除けば、こんな音楽ジャンルが存在しているということを知らなかったんです。よくわからないまま、このジャンルのアルバムに自然に惹かれていたのです。

2011年に木村ユタカ編著『Japanese City Pop Disc Collection』という本を注文して初めて、これらのアルバムの多くが何らかの形でつながっている、共通しているということを知ったんです。知らず知らずのうちに、その本に従うかのように音楽をアーカイヴしていたのですが、そのことが「シティ・ポップに関する仕事を続けるべきだ」と思うようになったキッカケです。

—2016年にアップロードされた、ヴァンさんのシティ・ポップmixを聴きました。あなたは、世界で最も早く「シティ・ポップを発見した」人物だと私は思っています。ではなぜ、あなたのYouTubeチャンネルは閉鎖され、日本人にあなたの名前が知られていないのでしょうか?

ヴァン:残念ながら、mixをホストしていたYouTubeチャンネルが閉鎖された時点で、私は世界の多くの人々から忘れ去られてしまいました。日本の音楽関係の団体が、チャンネルを削除するよう要請したためです。私は、合法的な方法で音楽を広めることに協力したいと嘆願していましたが、彼らはそれを拒否しました。

今世界中で賞賛されているシティ・ポップを広めるために働いてきた私の長年の努力が、一瞬にして奪われてしまったのです。この素晴らしい音楽を世界中に広めようとしただけなのに、なぜこのような屈辱を受けなければならないのだろうかと、私はとても悲しくなりました。

そして、私がmixしていた曲の多くは、その後YouTube上にてライセンスが表記されてアップ出来るようになったため、私のチャンネルは「無意味な犠牲者」となってしまったのです。他のチャンネルのシティ・ポップmixは、現在もYouTubeで聴くことができるのに、なぜ私のmixだけが削除されなければならなかったのか、理解できませんでした。私にはチャンスが与えられなかったのです。

—世界的シティ・ポップブームの先駆者であるあなたの名前を、私はもっと多くの日本人に広めたいと思っています。シティ・ポップという音楽を発見した時のこと、どれほどシティ・ポップという音楽が好きなのかを詳しく教えて下さい。

ヴァン:アメリカへの移民二世である私はフロリダ州マイアミ生まれですが、アメリカ文化とのつながりを感じたことはありません。日本文化に憧れていた私は、何年もかけて日本文化への愛を開花させました。私は、自分のいるアメリカという場所になじめず、人生の目的は何だろうと何度も考えました。

ところが、シティ・ポップに出会ったとき、自分の存在意義を見つけたような気がしました。多くの人が忘れてしまった音楽を広めることで、自分も含め、多くの人に幸せをもたらすことが出来たからです。私は「自分の中で眠っていた何か」と再びつながる方法を見つけたのです。

シティ・ポップは、自分自身、欧米、そして日本について新たな理解に目覚めるための良いツールとなりました。多くの日本人がこれらの音楽を忘れてしまっていたという事実は、私にとって信じられないことであり、これらの曲を初めてmixにまとめたことで「ニューフロンティア」のように感じたのです。私は、自分の精神が命じるままに行動していたのだと思います。

私がシティ・ポップのmixをアップロードした数年後、アメリカのレコード会社が、私のmixした曲の多くをシティ・ポップのコンピ盤に使用しましたが、西側でこれらの音楽が再発見されるキッカケを作った私の仕事は、一切クレジットされないままでした。

自分のチャンネルが削除されたとき、私は裏切られたような気がしました。「もし私が日本人だったら、もっと受け入れてもらえたかもしれない」とも思ったのです。今でも、この話題について話すのはとても苦痛に感じるので、あまり考えないようにしています。

今は自分のYouTubeチャンネルを持たずとも、ライブイベントなどで音楽をかけ、皆さんに楽しんでいただいています。音楽は今でも、哀愁を漂わせながらも幸福感をもたらしてくれます。そんな魔法を与えてくれるものとして、私は音楽をずっと愛しています。

シティ・ポップは、世界中の人々を結びつける力を持つものであり、新しい世代の心の中に放たれた今、二度と忘れられることはないでしょう。

—最後に。最近、作曲者の滝沢洋一が歌う西城秀樹「かぎりなき夏」のオリジナルバージョン(1982)が存在することが分かりました。もしその音源を収録したDATが見つかったときは、聴いてみたいと思いますか?

ヴァン:もちろんです! 機会があれば喜んでリエディットしたいです。

—これらの質問に対するあなたの回答は、日本のアルファミュージックのオフィシャルnoteで公開されます。お忙しい中ご回答いただきありがとうございました。

ヴァン:ノープロブレムです。この度はありがとうございました。

ヴァンは言う。

「シティ・ポップは今、世界で人気が爆発し始めたところだよ。シティ・ポップのリミックスというものは2010年代に死んだ流行だと思う。その歴史や欧米への影響力など、もっと広まるべきことがあるはずだよ」
(ヴァン・ポーガム2023年3月1日のTweetより)

世界で誰よりも先にシティ・ポップmixを公開しながら、表舞台で注目される機会を失い、長いこと不遇の時代が続いていた世界的シティ・ポップブームの先駆者、DJ ヴァン・ポーガム。

彼の言うとおり、シティ・ポップは今ようやく好事家たちのコレクションから解き放たれ、インターネットを通じて広まり、やがて定番化し、さらに市井の人々の耳にまで降りてきたところなのかもしれない。

そして、 ヴァンの愛する「かぎりなき夏」は今、遠いアメリカ・シカゴの地まで遠回りしながらも、約40年ぶりに祖国ニッポンへ“凱旋”しようとしている。

西城秀樹と滝沢洋一、そしてヴァン・ポーガム。彼らの「エンドレス・サマー」が始まった。

(つづく)