ほめることの境界線

今月から、本社メンバー間で、Thanksカードを送りあうアプリを導入しました。なにか気づいた小さな感謝を、ちゃんと言葉にして伝えるという文化を社内に作りたく始めたのですが、始めてみると、相手を見る視点が変わって、とても面白いです。相手のいいところを探そうとする中で、相手を肯定的に見る、性善説的にみる視点になっています。

またこのアプリは、ほかのメンバーが送った「ありがとう」も見れるようになっているので、タイムラインで「ありがとう」が並ぶのを見ていると、なんだかこちらの気持ちも明るくなっていきます。

ただ、これを運用していく中で、ひとつ難しい問題が出てきました。それは、ほめることと注意することの境目がわからなくなる、ということです。

なにかをやったことが、「ひと手間をかけたこと」なのか「余計なこと」なのかの境界線です。「世話焼き」と「おせっかい」。この境目がわからない。

前者はほめたいし、ありがとうと言いたい。ただこれが後者にあたるのなら、注意をしたい。おそらく、その行為をしている本人も区別がわかっていないことが多いです。おせっかいに思われていることをほめてしまって、よりおせっかいになってしまう、という悪循環を断つにはどうしたらいいか?

ポイントはそれが相手の為の行為なのか、自分のためか、なのだと思います。相手のことより「自分がやりたい」が強く出てくると、それは「おせっかい」で「余計なこと」だと思います。そのとき考えていたのは相手のことか自分のことか?これを本人が反省を繰り返して基準を作ってもらうしかないかと思います。

でもそんなことをくどくど言っていたら、せっかく行動を起こした人がしり込みしてしまうかもしれません。だから今のところは、動いたこと、やった行動はちゅうちょなくほめることを続けようと思います。できれば、その人がかけた「ひと手間」を見極めて、そこをほめて感謝する、という芸当が自分にできるようになるといいのですが。。。

ほめることも案外難しいもんだと思いながら、仕事終わりに社員に感謝を送って、1日を締めくくっています。


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