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「身体知と言語知という概念」と「面白いに関する考察」について

身体知と言語知という概念

最近とあるインターネットラジオ番組にて、身体知と言語知という概念が紹介されていた。簡単に定義すると以下のとおりである。

  • 身体知:体感や経験として分かっている(ただし、言語化できていない)種類の知識

  • 言語知:言語化されている種類の知識

例えば「言葉にはできないんだけど、感覚的には分かる」といったことを感じる機会があるかもしれないが、これは「身体知としては理解できているものの、言語知にはできていない」といった状態であると捉えられる。

この「身体知と言語知」という概念を用いると、「自身が面白いと感じる感覚」を解像度高く捉えられるのではないかと考えて、以下でその考察を実施してみた。


面白いに関する考察

まずは面白いという言葉の前提をはっきりしておきたい。
笑いにつながる事象も面白いという言葉を用いるものの、ここでは知的好奇心をくすぐるような事象のことを指すこととしたい。平たくいうと、自分が「学びになったなあ」と感じる事象のことである。

面白いには2種類あると前々から感じていたが、それを身体知という概念を使うと、分かりやすく2種類に大別できるのではないかと考えてみた。1つは「①自分の価値観を拡げてくれるもの」もう1つは「②身体知を言語知に変換してくれるもの」である

「①自分の価値観を拡げてくれるもの」は、学びとして分かりやすいかと思う。「なるほど、そういう価値観もあるんだなあ」といった学びである。

一方で、「②身体知を言語知に変換してくれるもの」も学びであると思う。「感覚的には分かるが、なるほどそのようなロジックだったのか」「前々から感じていたが、上手く言語化されているなあ」といったイメージである。モヤモヤの解消に近い感覚だと思う。


終わりに

面白いに関する2種類は比較的解像度高く考察ができたものの、おそらく面白いと感じる事象に関する前提も考察できそうな気がする「自分のアンテナに触れる(前々から意識していた)」「価値基準が自分と合っている」「自分の実体験とリンクする(想像するとリンクしそう)」などである。このあたりに関する考察も、折を見て実施していきたい。

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