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【広島商人】知られざる戦後復興の立役者(21)旋 風

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21 旋 風

 このようにして、じみな努力を重ねながらやってゆくことによって、
私は毎年多少の税減額は受けることができたが、こうした経営上の困難、
経済上の身にあまる重荷は、おのれの未熟さもあって、なかなか、
おいそれとはなくなってくれず、思い迷う明け暮れがつづいた。
しかし、商業人の短気は損気だ。
商業は牛のよだれだと自分に言いきかせては、苦難に堪え、
人のそしりを忍び、そうして四年の歳月はすぎていった。

 昭和二十七年の秋、樹々の梢の色づき出す頃であった。
そのころ広島市においては、世界連邦アジア会議が開催されるなど、
いまではひとり日本の広島ではなく、世界の広島と大きくクローズアップ
され、諸外国からも注視されるに至った。
そうして世界の有名人たちも、相ついで広島へやってくるようになった。

 このときにあたり、原爆の焦土と化していた広島市復興のために、
いささかなりとも力を尽くしたと認められる人々を広く探し出し、
これを表彰することのことで、一般の人々より推薦を待っていると、
各新聞紙上に報道されていた。

 しかし、このような世情をよそに、私に対する法人税の追及は、
いよいよ急になってきていた。
私とても、納税が国民の義務であることは百も承知している。
だからこそ、苦しみあえぎながらも、力にかなう限りの納税はやってきた。
けれども更生決定分と、認定賞与分の残額があった。
国税局から二人の徴収官が突然、滞納処理のためわが家にあらわれた。
 
 「滞納金の徴収にやってきました。納税してください。国税局は
最後の徴収ですから、異議があれば聞きますよ。
その異議が通らない場合には、どうしても納税してください。
できねば全財産と在品を差押処分に致しますからご承知ください」
 
 いよいよ最後の悲運がせまってきた。
ぶきみな予感がひたひたと胸にこみあげてくる。

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11,196字
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この文章は昭和31年11月に発行された「広島商人」(久保辰雄著)の冒頭です。(原文のまま、改行を適宜挿入) 広島は原爆が投下された約一か…

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