【広島商人】知られざる戦後復興の立役者(18)妻の病気の頃
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18 妻の病気の頃
この年は、ことさら寒い十二月がやってきた。
その十二月も末であった。
またも房子は病魔に襲われる身となった。
私たちが頼りにしていた大島軍医は、その自分はもう郷里の大阪へ引揚げておられた。
すさまじい世相も幾分か静まっていた。
というよりも、苦患に悩む人々がどしどし消滅して、
病人が減少してきたため、と言った方があたるかも知れない。
医師を呼びに行った。
あとからすぐ診察に行くからとのことだったが、
待っても待っても見えない。
病人はますます苦痛を訴えてくる。
ふたたび呼びに行く。待てども待てども見えない。
また呼びに行く。
再三呼びに行った。
ようやくのことできてくださった先生は、座敷に上るなり、
「医者も人間ですぞ。人間なら用件もあろうじゃあないか。
いまどき他人のことどころじゃあない。
自分のうちのことがどうにもならない。金を得ても何ができるんだ。
君あなんと心得ておりんさるか」
と膝をたたいて叱られた。
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この文章は昭和31年11月に発行された「広島商人」(久保辰雄著)の冒頭です。(原文のまま、改行を適宜挿入) 広島は原爆が投下された約一か…
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