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【広島商人】知られざる戦後復興の立役者(2)あの日

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2 あの日

 私の家は広島市北榎町きたえのまちにあった。
榎町から新町猫屋町堺町一帯は、食糧品をはじめ生活必需品の卸売大商店街で、中国地方最大の卸市場であり、宇品港うじなこう兵站へいたん基地をひかえ、今次大戦の兵站部でもあった。
 
 私は、その問屋街の荷造り材料商人の家に生まれ、当時は広島県藁工品わらこうひん配給統制組合の常任理事、藁工品西部配給組合専務理事、軍需薄縁うすべり工業協同組合専務理事、その他三つ、四つの組合や会社の理事長やら役員を兼任して、陸海軍の用命で全国を飛び歩いていた。
その関係上、旅に出ない日は舟入川口町ふないりかわぐちちょうにあった、広島県藁工品配給統制組合の事務所へ通っていた。

この事務所は縄、かますむしろなど荷造り材料の統制品についての指定配給機関で、新築して間のない木造建築の、2階は集合の座敷に使い、階下を事務所にあてていた。
 
 八月六日の朝、私は自転車に乗って卸問屋の商家が軒を並べる榎町から、堺町へ出て、電車通りを南に土橋どはしを経て、江波えば行き電車とともに走った。街路樹の葉はしずかな風にきらきらゆれ、油蝉は真夏のわが世を謳歌おうかしていた。

密集家屋の間引き疎開の手伝いに狩りたてられた近郷近在きんごうきんざい善男善女ぜんなんぜんにょや、 学徒挺身隊ていしんたいは、幾組も幾組も市内へ向けて、くりこんでいた。
 私が事務所へ入ってゆくと、河合君と宮川君が一足さきに事務所へ入っていったとみえ、二人とも汗をふいていた。
 
 「お早う、今日もたいへん暑いことですね」
 
 と私も汗をふきつつ会釈した。河合君は、 三十貫余あまりもある仁王様のような大男だ。
宮川くんは黒いセルロイドの眼鏡をかけた、細身の男だ。二人はほほえみを浮かべ、なかば椅子から腰を立てて、
 
「お早うございます。ずいぶんこたえますね」
 
 と返事をくれた。
いましがた空襲警報解除の知らせがあったばかりだったし、業務は朝8時半はじめだから、机は三十以上もあるがまだ3人だけだった。
私は暑いので上着をぬぎ、机の上に置こうとした。

 そのせつな、ピカッと青白い、すごい強力光線とともに、ドーンと大爆音がおこった。

つよい熱い鉛がとけたような風のかたまりに、強く打たれて私は倒れた。道ゆく人々の着物がパァッと焔に変わった。

燃え上がる紙のように。それは打ち倒される時の目の感覚だった。
私は机の下へはいずりこんでいた。

どす黒い血潮が頭から目をおおい、床板を染めてゆく。
左右の大地がゆらぐと同時に浮き上がる心持ちだ。
ぶきみな大爆風が断続的にぶちあたってくる。
 
 「河合!河合!」
 
 河合君はあまりの突然のできごとに、椅子に腰をかけたまま失神したのであろう、砂塵さじんすすとの中で目だけ光らせている。はっと気がついたのか、
 
 「久保さん今のは何で?」
 
 おしつぶされた柱や壁が、彼の頭にかぶさってくる。 宮川君は大男のうしろに腰をかけていたが、あまりのことに、
 
 「ぐあーーー」

 と発狂したように屋外へとびだしていた。
おしつぶされた机の下から、私はようやくのことではいずりでた。
とたんに広場の物干竿ものほしざおにかけてあった、洗濯物が燃えあがったかのが目についた。

爆心地付近略図(原作より)


 「河合よーい、河合よーい、はやく出ろ、はやく出ろ」

仁王のごとき河合は、恐怖のあまり屠場とじょうにひかれる牛のように、

 「オワーッ」

 と叫んだ。
 はや道行く人々も、大火傷を負っている。事務所の屋根も飛び、柱も壁土も落ち、私も河合君も、砂塵の飛びちる中を無我夢中で脱出していた。
樹木の葉も、みんな黒くなって飛びちっていた。

 「河合、怪我はどうだ」

 「わしゃあ怪我はないようです。久保さん、血だるま、大丈夫ですか」

 じぶんの内臓がすでにくだけているのも知らず、河合君はこう叫んでくれた。
たがいにすすとごみで黒ん坊だった。

 「 こう血が出ちゃあ、わしの命もながくないだろう。
  宮川はどうしたかしら」

 「早いとこ逃げたもんじゃのう」

 やけつく暑さと黒煙のなかで、河合君は大きな体をおののかしながら、苦虫をかみしめたような顔で、泣き笑いの風態ふうたいだ。
二人が立っている十二間の電車道路を、五人十人と避難者が移動している。そのあとから、男とも女ともつかぬ、真裸の人々が何百となく続いつづている。

私はあまりのことに、思わず顔に手をあてた。
おおいくる黒煙によくよく見ると、皮膚がどす黒く焼けむけて、その焼けむけた皮をぞろりぞろりひきずって歩いている。
顔の焼けむけている人々、ああ、何というむごたらしい変わりはてた相貌そうぼうであることぞ。

なかには転んではおき、おきては転び、はやく逃げてゆこうといそいでいる者もいる。
手のひらを上にむけて、足の爪先で歩いている、まるでたこをゆですぎて皮がむけた、その蛸の頭を糸でつり下げて歩かせると同じ格好の人々が、なんと数多いことぞ。

早く逃げようとあせる、火傷がいあたい、足をふみしめて歩けない。
あせればあせるほど爪先にたよる。この苦しみから逃れんとする、すさまじいうめきと苦しそうな叫びとがこだまを返している。

突如、

 「はー、はー、久保さん、やられたー、このとおり」

 見れば息もあらあらしく、ゆで蛸入道たこにゅうどうと同じだ。

 「君はどなたで……」

 ゆで蛸入道は目を光らして

 「吉山だ、吉山だよ。久保さんもやられたのう、はー、はー」

 吉山君は光陽自動車商会の主人で、私の友人である。
吉山君の方から見れば、私の相貌がわかるが、変わりはてた吉山くんの形相なので、私には見きわめがつきかねた。
一瞬のできごとで、おたがいはただ夢におおわれている。

 「江波病院へいく。ああ苦しい、はしる」

 「元気を出していくんだ。私もゆくぞ」

 「はあ、はあ、早くこい。はしる、苦しい」

 吉山君はそういいながら、爪先でよろめいてゆく。
たくさんの吉山君と同じような人々とともに。江波病院まではここから
キロメートルあるのだ。

 「ああ、倒れたらそのままだが……」

 と、私は後姿を見送りつつ、両の手を合わした。
黒煙は空一面をおおい、爆音が四方八方から耳をつんざく。
おりから、

 「おおい、おおい、誰かきてくれー、子どもが校舎の下敷きになったー、五、六十人死にかかっておるぞー、はようきてくれー」

 烈風と黒煙で何も見えはしない。
いくども血を絞られる豚のように叫ぶ声がきこえてくる。
だがただ一人として助けにゆく者もないらしい。
私は目をふさぐ血潮をいくどもぬぐい、ただぼんやりとたくさんの負傷者が江波方面へ、江波方面へと移動してゆくのを見すえてふるえていた。

 「久保さん、私は帰ってみます」

 ならんで立っていた河合君は、突然、火炎の大海と化しつつある自宅方面に、阿修羅が空を飛ぶように走った。
これが河合君との別れになろうとは。

 私も、はやく家族の安否をと思う。
けれども榎町方面も龍巻の火炎が数知れず荒れ狂っていて、とうてい近よれないことを認めた。

無意識のうちに学校へ足がむいた。
しょせん無い命、一人の子供でも助けようと思って、ころげるように息をせいていそいでゆく。
道路の左右にならぶ倉庫は、屋根も壁も吹き飛んでいるが、柱は、なかに積み上げられていた大量の荷物にささえられて、倒れてはいない。

しかし、積み上げられた藁縄わらなわの丸束は、焦げて黒い藁灰わらばいになっていた。
狂い叫ぶ男の先生は、もはや助けにきてくれる人もないとあきらめたのか、一人では手のつけようもない絶望のようす。私をみつけると急に元気づいて

 「どうかお願いします。お願いします、お願いします」

 「よろしい」

 私は思わず返答した。
校舎は屋根も柱も板も壁もさけ、かわらもガラスも吹き飛んでいるが、まだ燃え上がってはいない。

 「僕が棒を肩にかついで柱をささえます。
  校舎の下敷きの子供をひきだして」

 と、シャツは黒くちぎれ、頭の髪は逆立っている先生は、その髪を後ろにはらいはらい、一生懸命だ。

けれどもなかなか意のごとくははこばない。心ははやる。
先生も私も無我夢中。
黒い熱風が逆落としに地を掃き、全身はしぼりながれる油汗だ。

一人ひっぱりだした。
またひっぱりだした。
次々と……。

 「今度は私がその棒をかつぎましょう」

 と私は先生に代わった。
しみでる汗とつらぬく血は、目をふさぐ。
手が無意識に目をぬぐっていた。
そうして先生と私が、かわるがわる、

 「苦しいへ」

 とうなっている子どもたちをひきしてゆく。
次々とひきだし、もう一息というところの苦しさ。

とうとう みんなひきだした。
全部で五、六十人はおった。
気絶した者、死んでいる者、腕がない者、耳がない者ーーこの子どもたちを校庭のいも畑のうねの間へ寝かした。

いもの葉は、ぜんまいのようによじれて、葉脈が黒い網のようになっていた。
一人の女の先生が、医療道具をだして応急手当をはじめた。
広島市舟入ふないり小学校の六日午前九時頃の状況である。

 私は子どもたちをひきだし終ると、気分がゆるんだ。
血潮とほこりと汗にまみれて、いも畑のうねへくずれるようにへたばった。

 「こんどは自分の死ぬる番だ」

 と思いつつ、死の恐怖が私をふるいたたせた。
ふと、おのれの手がおのれの頭をなでていた。
なでた手のひらが、あやしくの目にとまった。
あれほど出血のはげしかった頭後が、髪にこびりついて、この手にはいましがたまでの血のしたたりはついていないではないか。

 「ありゃあ、わしの命は助かったぞ。心頭しんとう滅却めっきゃくすれば火もまた涼し……」

 思わず私はそう言い放った。

 「わしが不動明王なら業火をきりひらき……」

 と勇気をふるいおこしたとき、私は商用の旅ごとに見てきた、他都市の爆撃の様相と、この広島の言語に絶する大悲惨事と思いくらべ、かの七月七日の成田不動での易者の言葉を思い出していた 。

-(3)灰燼かいじんのわが家へ に続く


最後までお読みいただきありがとうございます。

この章は、原爆投下直前から直後が生々しく書かれた章であり、この後も被爆者の体の変化については何章か記述が続きます。

舟入小学校(当時は舟入国民学校だったようですが)のこの話は数年前までは結構記述がネットにありましたが、最近見かけません。
以下の2003年の記事を読むと、伝承する人の高齢化によって、活動を終えざる得ないのが実情です。


この軌跡を辿ることができなくなる前に、こうして電子で記録を残すことが重要だと私個人は考えています。

また、この2章の始めに書いてある「著者の人物像」はあとあとつながるところがありますが、要するに「国から信頼されるほどの有名な商人である」ということです。

本作品を紙芝居、アニメ等で広く知らせる活動を検討しています。
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この文章は昭和31年11月に発行された「広島商人」(久保辰雄著)の冒頭です。(原文のまま、改行を適宜挿入) 広島は原爆が投下された約一か…

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