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黒のかたまり

巨大なかたまりはそこにいた。
思わず慄く私の目の前に。


私の祖父は軍人だった。

太平洋戦争時、人間魚雷と呼ばれる「回天」に搭乗する特攻隊員だった。

昨年の夏、山口県にある「回天の島」と呼ばれる大津島にひとり足を運んだ。

瀬戸内海に浮かぶとても穏やかな島。
人口も少なく、のどかな時間が流れていた。
私は大粒の汗をぬぐいながら、島の頂上付近にある記念館へ意気揚々と足を運んだ。

その場所は、家々や海がよく見える、静かな場所にあった。

周囲の景観に感動し、軽やかに踵をかえした途端。
私は言葉を失った。
そう、それは記念館入口のすぐ横にあった。
黒のかたまり。
どうやらそれはレプリカらしいが、周囲の緑にまったく溶け込んでいなかった。
そっと近づき、おそるおそる搭乗口を見ると、涙があふれた。

「人間は人間にあらず。」
そんな言葉が頭をよぎった。


祖父は自分の妻や子供たち、そして孫にも戦争の話をほとんどしなかった。
私は祖父本人の口から聞いたことがなかったため、母づてに話を聞いた。

戦争が激しくなった頃、祖父は父を病気で亡くした。
長男だった祖父は、母と弟妹5人の生活のため、海軍に志願した。
当時まだ18歳。まったく泳げないかなづちだったそうだ。

どうして特攻隊員になったのか、その経緯などは誰も知らない。
しかし、たくさんの戦友たちを見送り、「よし、次は自分の番だ!」と
覚悟を決め回天に乗り込もうとしたところ、終戦を迎えた。

祖父の胸の内はどんなだったろう。
20歳。彼はその先の人生のことなんて考えていたんだろうか。

私には想像できなかった。
きっと、20歳の時も、そして、60歳になってもわからないだろう。


記念館には、戦争で亡くなったたくさんの方のお名前があった。
この中に祖父の戦友もいたのかもしれない。
そっと手を合わせ、少しでも戦争のない世界になるように自分のできうることをしようと誓った。


今年も7月13日がやってきた。
私は東の空へ手を合わせた。

たくさんの哀しみ、苦しみがあった時のことを私は忘れない。
今自分ができることは、そんな時代があったことを伝えていくことだ。

じいちゃん、まかせてくれよ。

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