見出し画像

デジタル化の元での世代間格差を嘆くのではなく、自分もキャッチアップしませんか?と言うお話



はじめに
 ここ30年ほどで私たちの生活はデジタル化が急速に進みました。30年前からとっくに大人になってる私は、この変化に着いていくのが本当に大変です。ですが、着いていかないとQOLが下がるのは必定ですので、新しいモノが出ているのに気づくと(出てくるスピード、早過ぎる!)試してみては、歯が立ちそうなら生活に取り入れる、ということを繰り返しているわけですが、このデジタル激動の時代、世代間格差は思っている以上に大きいんじゃないか、と思い始めました。

デジタル化の下での世代間格差
 考えてみれば、スマホが一般的になった頃から、お母さんがお子さんにスマホで動画を見せて大人しくさせて公の場で過ごす、というのはよく見ていました。その当時すでに私の子供達は、本人がガラケーやらスマホを持つ年頃になっていたのですが、小さいお子さんが普通にスマホを操作してゲームをしたり動画を見たりしてることに衝撃を受けた覚えがあります。

 そんなお子さん達は当然、「デジタルネイティブ」として成長するわけですが、改めて考えてみると、そんな彼らと我々大人になってからデジタル化の波に揉まれてる世代とでは、見た目は同じ「人間」でも、モノの感じ方、考え方は思っている以上に違ってるのかもしれない。最近そんなことをよく考えます。

「今時の若い奴は」
 昔から、世代間の考え方、感じ方はその時代ごとに当然違っていて、
「今時の若い奴ときたら」
というセリフは私達も上の世代から言われ、下の世代に言ってきたわけですが、急速に世界が変化している今、この定番フレーズはそれを発している人が思う以上に大きい意味を持っているのかもしれません。

 今で言うと、「今時の若い奴」は、ほぼイコールZ世代なわけですが、彼我の差は今までの比ではないのではないか。それは若い世代が悪いとか上の世代が悪いとかそういう次元の話ではなく、生まれてから見てきたモノが決定的に違う。変化のスピードが人類史上これほど速くなった時代はないわけですから。

 しかも、若い世代は長ずるにつれ当然のように生成AIなどの新しい技術を積極的に取り入れ、上の世代はむしろデジタル化自体に尻込みする人が多いのですから(国によって多少の差はあるでしょうが)その差は大きくなるばかりです。結果、世代間の違いは大きくなるばかりなわけです。

 ですが、この時代、「よく分からないし、自分はこのままで良いんだ」は成立しません。何故ならデジタル化による世界の変化がそれを許してくれないですから。「このまま」はイコール劣化につながるリスクがあるということに気づいて、「上の世代」の私たちこそ、デジタルを学んで自分をアップデートすることにしませんか?

まとめ
 21世紀はデジタル、データ、物理的にもロボット技術などが猛スピードで進化する時代です。そして、デジタル化は、データやデジタルを仕事にしている専門知識のある人々だけの話ではなくなっていることに気づきませんか?
「今までの生活」をしていたら知らないうちにQOLは下がることに気づいて、「若い奴ら」と一緒に自分もキャッチアップする努力をしませんか?

 大袈裟なことをする必要はありません。その気になれば、デジタル化にトライする機会は今や生活のアチコチに見つかります。

 とりあえず、今日は無人レジに並んでみようかな、とかね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?