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マダガスカル730日目 最後の日記

最後の日記を書きます。

帰国して2ヶ月半

止まっていた心と体もようやく動き始めました。
止まっていたのではなく、正確に言うならば止めていた。
いや動かすことから逃げていました。
何故だろう?


JICA海外協力隊経験から得た学びや、今後の目標宣言を書くには一番適しているのが最後の日記です。

しかし、あえてそれを書くことをやめてみます。
今の私の言葉では、これからみんなに伝えたい内容より、もっとチープな感じになりそうだと思ったから。

もう少し成長できたら書こうと思います。


私は泣き虫で、負けることが嫌いで、勝負することを最初から諦める子供でした。

常に近くの友人、大人に甘えることを求め、たくさんの愛で支えてもらいながら生きてきました。

言う事と態度だけは一丁前のお調子者。
積み重ねることが難しく、崩れていくことはあっという間の人間です。

私のことを知っている人は、私の性格を少し勘違いしているかもしれませんね。

自分に甘く、自立からはかけ離れた26歳の見た目だけ大人ぶった人間であること。
それが本当の私です。



最後の日記のテーマは「愛」について書くことにします。

テーマが大きくなりましたが、色々考えた上で、今の私がみんなに1番知ってほしい言葉だと気づきました。


「他者から受け取った愛」
一人で達成できなかった事には、沢山の人の助け、支え、愛が存在していたはずです。
そのような愛が私の周りには常にあり、その愛が私を助け、強くしてくれました。
当たり前でなく、本当に恵まれている環境だったと思います。
これまでの人生がどれだけ幸せだったのか気付いた大学生活。


「自分の持つ愛を他者へ伝え、実行する愛」
見返りを求めた愛ではなく
自分以外の人ために何ができるの考え、それを体現すること。
自分が愛を受け取ること以上に、自分の愛を誰かに届けたい。表現したいと思うこと。
持っている愛を他者に向けて体現できている状態が幸せだと気付いた社会人1年目。


「自分の愛を受け取ってくれる人、環境がある事」
体現した愛が空中で迷子になると時もあります。
見返りを求めない愛の表現がうまく行かないこともあります。
でも、その愛を受け取ってくれる人や環境がきっといる、きっとあると信じています。
自分が体現したい愛、表現した愛を受け取ってくれる人がいること、環境がある状態が幸せだと気付いたマダガスカルでの2年間。

マダガスカルの子供達は私の愛を受けとめてくれました。
マダガスカルの大人はその愛に興味関心を持ってくれました。

未熟で、中途半端で、弱々しく、覚悟のない愛でも受け取って応えようとしてくれました。


「誰かのために。」
この言葉に違和感をもった大学3年生の自分へ。

「誰かのためだと言えるのは、そこに無償の愛があるからだよ。」

そう伝えたいです。


私の人生はきっと恵まれすぎていて、愛があることが当たり前になっていました。
大きな挫折経験もなく、人生は自分次第と思えるほど平和な環境で生きてきました。


他の人と比べると、何をするにも、何かを理解するにも、倍近い時間と実体験が必要です。
しかし、全ての過程に時間をかけ、自分の言葉で表現できる様になったとき。
私は少しの成長と感謝を実感して、次のステップへ進んでいけるのだと思っています。


私が受け取った数えきれない愛を次は、自分以外に届けることが、感謝を体現する方法なのかもしれません。

愛には様々なカタチがあることを知った今日。
改めて、マダガスカルでの2年間がかけがえのない出来事だと思えました。ボランティアという少し変わった関わり方がよかったのかもしれません。


結局この文章で何をみんなに伝えたかったのか最後まで上手くまとめることができませんでしたね。

だから最後はシンプル書きます。
「これまで本当にありがとう。」

私は幸せ者です。


2023年11月30日
椋 航平

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