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経験ゼロ、人脈ゼロからインドで病院事業を展開──3年間で0→10をやり遂げたCOOが見る、A'ALDAの勝ち筋

「ペットと共に幸せに暮らせる世界に。」をビジョンに掲げ、“ペット”を“パートナー”と捉えた「Pet to Partner」の考えの下に、アクセスフリーな社会の実現を目指すA’ALDA Pte. Ltd. (以下、A'ALDA。読み、アルダ)。

キーパーソンの一人であり、現在はCOOを務めるOhhun Kwon(コン・オフン)の大きな転機は、大学時代におけるA'ALDA創業者の奥田昌道との出会いでした。ペット事業への想いを語る奥田に惹かれ、コンサルティング企業から参画。インドでの事業立ち上げから現在のCOOとしての役割まで、A'ALDAの成長を支えてきました。

Kwonにとって最初の活動の舞台となったインドは、文字通り「ゼロからのスタート」。現地の獣医師や設計事務所とタッグを組み、日本の高い獣医療の品質をインドに合わせた形で実装する道を切り拓いたのです。

また、インドで特に注力してきたのがエンジニアチームの立ち上げ。レガシーな獣医療業界にテクノロジーを導入し、顧客体験を刷新する。そのために欠かせないのが優秀な人材の確保でした。給与やインセンティブの設計、スタートアップならではの組織づくり。採用や育成の工夫を重ね、他社には真似できない強みを作り上げてきました。

「地に足のついたビジョンを示し、現実的にチャレンジできる物語であることが重要」とKwonは言います。レガシーな産業に革新を起こそうと奔走した軌跡から見えてくる、次なるステージへの布石を探ります。

「ペットに懸ける本物の思いを叶えるために、“右腕”として生きよう」

東京都内で生まれ育った僕は、中高一貫校を経て、早稲田大学に進学しました。周囲の学生と比べて少し特殊な事情があるところとしては、僕が韓国籍だったことです。徴兵義務があり、在学中に2年間休学して軍隊へ。それで年下の奥田(昌道)とも就職活動の時期が重なりました。丸紅のインターンで、同じチームになったのがきっかけで知り合ったんです。

僕がしていたIT企業でのアルバイトを奥田にも紹介したり、二人で夜遅くまで飲みに行ったりもして。週に一度は会うくらいの付き合いになりました。大学生らしく遊ぶ時間も楽しかったのですが、将来について深く語り合うこともあったんです。彼は明らかに周りの学生とは違う印象で、頭の回転が速いというか……スマートで賢いな、と思っていました。

卒業後に就職したのはデロイトトーマツコンサルティングで、その後に縁あってKPMG FASに転じるのですが、転職するまでに3ヶ月ほどの空白期間が生まれたんです。そんなときに、定期的に連絡を取り合っていた奥田から「それなら2〜3ヶ月ほど手伝ってよ」と声がかかりました。奥田はPECO(※ペット関連事業を手掛けるスタートアップ)の社員になっていて、今思えば、その時から奥田は僕を引き込むことを狙っていたのかもしれません(笑)。

資料作成などを業務委託で手伝って、最終日に「PECOに来ないか」と。KPMGへの入社が決まっている手前もあって断ったのですが、猛烈なラブコールに心動かされました。当時のスタートアップの待遇は今よりも大手に劣ることがほとんどだったのですが、彼らはKPMGと同等の給与水準でオファーしてくれたんです。彼はPECOの子会社で海外事業を立ち上げるタイミングで、死ぬ気でついてきてくれる人間も欲しかったのでしょうね。

もう一つ惹かれたのが「インド」というキーワード。当時の恋人であり現在の妻が、昔からインドに行きたがっていて。2016年には一緒にインド旅行もしたんです。良い思い出ばかりではありませんでしたが、僕は「行くしかない」と直感しました。インドで働くような機会には縁がないと思っていましたし、彼女にも良い機会になるはずだ、と。

そういったプライベートな理由も少しはありましたが、何より奥田のペットに懸ける思いが本物だ、と感じていたんです。学生時代からボランティア活動をして、PECOでも動物たちに向き合ってきていましたから。それなら自分なりに奥田をサポートしたいと考えたんですよ。

PECOへ入社した初日の夜、渋谷のバーで奥田と飲んだ時のことは今でも鮮明に覚えています。海外進出に向けて新しい会社を立ち上げるにあたって、どんな会社にしたいか、どんな文化を作りたいかを熱く語っていましたね。

インドに旅立つ日、品川駅でCEO奥田(右)から見送りを受ける

世間一般的な「あるべき組織」の話はしませんでした。世の中の常識に囚われる必要はない、好きにやったらいい、と彼に言いました。議論が割れたときも、「最後には奥田に付いていくから」と約束したんですよ。

結果的に、そのスタイルはうまく作用したのかなと思います。こんなふうに、お互いに腹の内を隠さないタイプだったことも、良い関係を築けた理由かもしれませんね。

インドでの獣医療サービス、という“参入余地”を見つけるまで

インドでのペット関連ビジネスを始めるにあたって、最初から病院運営を目指していたわけではありませんでした。むしろ、展開する都市も決まっておらず、ペットメディアやペットフードの販売など、様々な事業の可能性を模索していました。

正直、当時は根拠のない自信だけで突き進んでいた部分もありました。インドのペット市場についての理解が浅かったからこそ、逆に行動できたのかもしれません。もし、もっと深く理解していたら、これは無理だと尻込みしていたと思いますね。

ペットフードのセミナーを企画して病院を回ったこともありました。すると、ペットフードの浸透率がそこまで高くないことがわかったんです。この路線は厳しいな、ダメだな、と。

スタートアップという文脈に引きずられ、テクノロジーを活用することや本業とのシナジーばかりを意識するあまり、思考が狭くなっていた部分があったと思います。でも、そういった先入観を取り払って、インドのペット市場を冷静に見つめ直した時、獣医療というサービス分野に可能性を感じたんです。

市場調査をしてみると、ペットフードは大手企業が広告宣伝に力を入れていて、ベンチャー企業が参入するのは難しそうでした。ペット用品も、うちには取扱実績がないので、一から始めるのは困難。一方、獣医療はまだ品質の改善の余地があり、モノではなくサービスを提供する形ならビジネスができそうだったんです。

参入障壁は高いように見えました。病院という箱物が必要ですし、獣医師などの有資格者を揃えなければいけない。事故があれば大変なリスクも抱えることになります。でも見方を変えれば、競争が激しくないということでもある。

インドでのビジネス立ち上げにおいて、大きな転換点となったのは、一緒に働いてくれる獣医師のパートナーが見つかったこと。正直、出会うには運の要素が大きいと思っていました。どのようにすれば見つかるかなんて、正解はないですからね。ただひたすらに、打席に立ち続けるしかない。そう腹をくくっていましたね。

そこでデリー市内の動物病院を15件ほど、卸業者なども含めて30社ほど回って、どんな機材や薬剤を使っているのかといった情報を集め、解像度を上げていきました。ある程度の理解は得られましたが、最終的には一緒に働く仲間を見つけなければなりません。

どうやったら獣医師を採用できるか悩んでいたとき、妻からアドバイスをもらったんです。「病院を作りたいから相談させてください」と、まっすぐ言えばいいんじゃないかと。
「確かに」と心を入れ替え、スーツを着て名刺だけ持って、アポイントメントなしで飛び込みました。

ただ、獣医師に直接「紹介してくれ」と言っても、「それはできない」と断られるんです。でも、獣医師とのつながりを多く持っていそうな人なら紹介してくれました。そのうちの一人が、今も一緒に働いているVinod Sharma先生です。彼はインドを代表する獣医師の一人で、30年近い経験を持っています。当時のインドでは、産業動物に従事するのが王道であった中で、小動物臨床の分野でキャリアを形成してきた、インドの獣医療(小動物臨床分野)のパイオニア的存在です。多くの獣医師の指導にも当たっていました。

インドにおける地鎮祭の様子。権の左に座るのが、Dr.Vinod

当時、彼はフリーランスのような形で働いていて、ちょうど良いタイミングだったんです。彼との出会いがなければ、今のA’ALDAはないと言っても過言ではありません。

日本の動物病院をいくつも回り、自ら病院の設計図を書いた

インドで事業を立ち上げる上で、僕が強く感じていたのは、日本式の病院をそのまま持ち込んでもうまくいかないだろうということでした。

だから、Sharma先生とのやり取りでも気を払って、インドの獣医療を今後10年、20年先を見据えてどうしていくべきか、インドの目線で議論するようにしました。外国からのヒト・モノ・カネ・情報を駆使しながらも、今後のインドの獣医療にとって1つのスタンダードを提示できるような病院を一緒につくっていきましょう」という姿勢で臨んだんです。

僕がインドの様々な病院を見学したり、獣医師会を訪問したりする中で感じたインドの獣医療の課題を先生に伝えると、先生からは「よく下調べをしたね」と言われました。僕の問題意識が的確だと認めてもらえたので、そこから先生との深い議論が始まったんです。

僕が日本の先生方から学べるであろう知見、日本の動物病院から持ってこられる運営ノウハウといったことを伝えると共に、Sharma先生の想いと合致するところを見出しながら、新しい形の病院づくりを提案しました。先生も次第に乗り気になってくれて、「これを自分の最後の仕事にしたい」と言ってくれるまでになったんです。当時、先生は50歳くらいでしたが、インドでは55歳や60歳で引退する方が多く、昭和の日本にも近い状況でした。だからこそ、先生にとっては「ラストジョブ」になるプロジェクトだったんですね。

もう一つ僕が感じていたのは、インドの動物病院の設計や建物の作りが少し古めかしいということでした。衛生面の問題もありましたし、そもそも導線など深く考えて設計されている印象を受けませんでした。しかも、インドには動物病院の設計を専門に手がける設計事務所は、見当たらなかったんです。

そこで僕は、日本で出版されている動物病院の建築に関する本を7冊ほど買い求め、とにかく全部読み込みました。さらに、奥田やPECOのつながりを頼って、日本の動物病院も行ける限りで見学させてもらったんです。院長先生に直接、床材や壁紙の選定理由、動線の設計意図、問題点などを事細かに聞いて回れたのは、本当に有り難い経験でした。

動物病院特有の課題や工夫すべき点が数多く見えてきたので、それをもとに自分で図面を描き、レイアウトを考えました。その図面を日本の院長先生に見せて、アドバイスをもらいながら修正し、それをインドに持ち帰ってSharma先生と詰めていったんです。

自らの手で書いた病院設計図のラフ

獣医療のことも、施設の設計のことも知識がない状態からのスタートでしたが、とにかく素人目線で疑問に思ったことを素直に聞いて学んでいく姿勢が、功を奏したのかもしれません。

病院の設計なら「診察室はいくつ、どれくらいの広さで必要なのか」「待合スペースはどれくらいなのか」「犬と猫は同じ空間にいてもいいのか」みたいなべーシックなところから、「手術室の床材はタイルにすると滑りやすく、溝に埃が溜まるから避けるべき」といった実践的なノウハウもある。院長先生はそれらの細かなこだわりを持っています。日本の獣医療の高い品質を、インドの現状に合わせて提供していくことを目指したプロセスでしたね。

「リテール事業の拡大」と「エンジニアチームの立ち上げ」で見た勝機

病院の建築自体も大変な苦労がありました。なかなか条件に合う物件が見つからず、結局は広い土地を安く借りて、一から建てることに。しかも、土木作業からやらないといけない場所で。設費は予算を大幅に超過し、建設期間が長くなったのも痛手でした。僕たちとしては早く開業して収益を上げたいのに、なかなか工事が終わらない。しかも工事期間中は2020年で、コロナ禍が始まり、物流も滞るような状況だったんです。

ゼロから作り上げた、病院第一号

そんな苦労の末に開業したのですが、次は集客に苦戦しました。病院の損益分岐点は稼働率25%くらいになるように設計したのですが、それを大きく下回る状態が続いたんです。初月の売上は今でも覚えています。8万ルピー、今の為替レートだと十数万円程度。絶望しましたね……

そこで僕たちは、本格的にマーケティングに取り組まなければいけないと考えました。Googleマイビジネスへの登録、チラシ配り、リスティング広告など、思いつく限りのことをやった結果、毎月一定数の新規患者獲得には繋がりました。赤字は続いたものの、2〜3年続ければ損益分岐点に到達できるという目途が立ってきた。必死の努力が、少しずつ実を結び始めたんです。

インドにおける僕たちの事業は、大きく2つの意味を持っています。一つは病院を開拓し、リテール市場を拡大していくこと。そのためにはマーケティングだけでは限界がありました。最も成果につながったのは、獣医師という事業の根幹を担う人材の獲得でした。

そして、もう一つの意味は、僕がインド駐在で注力したエンジニアチームの立ち上げです。インドといえば、ITエンジニアのイメージが強いですよね。日本でもインド工科大学(IIT)の優秀さは有名で、IIT出身者が高給で欧米の大手IT企業に引き抜かれる話などをよく耳にします。

でも実際には、インドの開発者のレベルも玉石混交。母数が多いのは確かですが、スタートアップ経営者として考えるべきは、いかに優秀な人材を適正な給与で採用するか。そのためにはビジョンを語り、ストックオプションなどインセンティブを用意することも必要でしょう。でも集めるだけでは不十分で、チームをうまく機能させなければなりません。スタートアップのカルチャーを浸透させ、チームビルディングを行う。日本と同じですよね。僕がインドで最後の1年かけて取り組んだのは、まさにそのエンジニアチームの立ち上げでした。

一度軌道に乗れば、そのポテンシャルは計り知れません。日本のスタートアップと比べても、明らかにコストパフォーマンスの面で優位性がある。もちろん、インドでの開発ならではの課題はありますが、それを上回るメリットを享受できていると思います。

インドに開発拠点を置くことは簡単ではありません。優秀な人材を適正な報酬で採用し、いかに定着させるか。今は、CTOを務めているShiv Whorraと一緒になって培った採用ノウハウは、他社には真似できない強みになると感じています。面接の回数だけとっても、それこそ毎月100〜200人にお会いすることを、1年間近く続けてきました。

優秀なエンジニアを採用するには「給与を20%アップしますよ」と言っても難しい。人によっては30%や50%のアップを提示しても断られることもある。そこで競合他社に負けないような交渉術や、給与支払いの工夫、オファーの出し方、環境の整備、評価制度など、一般には公開されていないような手法を編み出してきました。その経験則は、今後も開発リソースを確保し続けていく上で、僕たちの大きな武器になるはずです。

チープな物語にはしない......必要なのは実現可能なチャレンジだ

優秀な人材を集めるには、ビジョンが欠かせません。ただ、そのビジョンは現実離れしたものであってはいけない。これは僕の肌感覚ですが、「チープな物語にしないこと」が重要だと思っていて。地に足のついた、でもチャレンジングな物語でなければならないのです。

具体的に言うと、獣医療というレガシーな産業にテクノロジーを導入し、顧客体験をアップデートするという話ですね。たとえば、今はエンジニアの採用時に、僕はAIの話はほとんどしません。AIでなんでも自動化できるといった夢物語を具体性なく語ったところで、少なくとも今のところ僕たちはディープテックなベンチャーではないですし、アプリケーションとしてのAI活用は、実装そのものが難しいわけではないですからね。

大事なのは、レガシーな産業にテクノロジーを実装することで、どのように変革できるかという現実的な話です。昔はホワイトカラーがノートとペンで仕事をしていた時代から、今はノートPCを使うのが当たり前になりました。それと同じように、獣医療の現場で電子カルテが当たり前に使われ、データが蓄積され、顧客ともシームレスに繋がるようになり、データが利活用されるようになる。他の業界の人から見れば当然のことかもしれませんが、この業界では革新的なことなんです。

その先にデータ解析、AIの活用などの可能性があるのは事実ですが、正直そこまではビジョンに盛り込みません。みんなが心躍らせるのは、もう少し現実的で、努力次第で実現できそうなチャレンジなんですよ。簡単そうに聞こえて、実はベーシックな課題を解決できる可能性に、みんなは意外に共感する。

余談になりますが、コンピュータがパーソナル化された時、みんな実現可能性を感じてワクワクしたと思います。A’ALDAのビジョンも、それに近いものがあると感じています。レガシーな業界を変革し、「ペットと共に幸せに暮らせる世界に。」という物語は、本気でチャレンジする価値のある、リアリティのある夢でもあるんです。

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全方位で、新たな仲間との出会いを心待ちにしています!

(文・構成/長谷川賢人)

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