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本当に大切な人は心の中にいる-「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の犬」を読んで-

麦わら帽子をかぶり、太い葉巻をくわえて、「文句あんのか?」とつっかかって来そうな顔でカメラを見つめる男。巻頭数ページのカラー写真の中でも、この写真が特に好きだ。テレビで見るインドア派で物静かなイメージとかけ離れすぎていて、その悪ぶった表情が似合わな過ぎて、思わず微笑んでしまう。出発前、キューバ大使館で大声で会話をするキューバ人に対して、皮肉にも「うるせぇなぁ」「もしかしてハバナはこんなテンションの人だらけなのだろうか?」と抱いてしまった感情が嘘みたいに、全身でキューバを楽しんでいる様子が伝わってくる写真だ。

著者の若林正恭は、私の好きな芸人のひとりであり、作家のひとりだ。彼の人見知りなところも自意識過剰なところも出不精なところも、文章を読むたびに共感しっぱなしだ。

「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」は、2016年、アメリカとの国交正常化直後のキューバを訪れた若林の旅エッセイだ。

資本主義の競争社会に辟易し"みんな平等"の癒しを求めて社会主義国のキューバを訪れたわけだが、そこは想像していたみたいにみんな陽気で、すぐ踊ったりはしゃいだりするような国ではなかった。ツアーガイドの男性は無口で人見知りだったし、カリビアンブルーのビーチで良い気分で眠っていたら、巨漢の男性に怒鳴られた。

気まずかったり、怒ったり、そんな悲劇的な場面にも、彼の文章にはぷっと笑えてしまう要素が散りばめられている。ガイドの男性をなんとか笑わそうと放った1cuc(クーク)コインのギャグには思わず吹き出してしまったし、「Pay!(払え!)」と身に覚えのない金銭を要求して怒鳴ってくる巨漢に、訳も分からず「ペイ!(お前が払え!)」とオウム返ししていたところも想像するとおかしくてたまらなかった。そのままコントにでもなりそうだ。

彼の考え方も好きだ。インドア派の若林が「寝ないでどこかに行きたい」「ホテルにいる時間がもったいない」と感じ、そしてその感情について「もしかしたら、出不精ではなくて東京に行きたいところがないのかもしれない。出掛けたいところがあることって、人を幸せにするんだな。」と解釈している場面があった。すごく地味だけど、新しい発見だ。私も超がつくインドア派で、なんとなく自分がつまらない人間で、本当はアウトドア系の人間の方が社会では勝ち組なんだ、という風に感じていたから、「そうか、東京がいけないのか!」と開き直ることが出来た。と同時に、私もインドア派のくせに海外旅行が好きなので、見るもの全て、行くところ全てが未知のもの、というあの高揚感をもう一度味わいたいという気持ちになった。

この本を読んでいて「ああ、私はやっぱり若林が好きだな。」としみじみ思ったのは、最後の父親の話だ。

金や地位や仕事が無ければ社会からつまはじきにされ、同級生もしらけさせてしまう、そんな日本から逃げてきたのに、社会主義国であるキューバにも、キューバなりの競争があった。そして、もしかしたら、人間はとても貪欲な生き物で、他者よりも良い服を着て、良い食べ物を食べて、良い家に住みたいと思っている生き物なのかもしれないと気づく。それってすごく疲れるし、もうこの世界に逃げ場所無いじゃん、と途方に暮れる。

そんなとき、カラフルなハバナの通りを歩きながら、人々の平穏な日常の風景を見て、ふと気づいた。

僕が求めていたのは、競争の原理のなかでも、絶対的な見方で居てくれる人の存在なのだ、と。

絶対的な見方、それは父親だった。

社会主義社会でも資本主義社会でもどんな社会であれ、人間が求めるものは「血の通った存在」なのだということを、彼は最後に提示した。

この本を読み終えたとき、多くの人が自分にとっての絶対的な見方は誰だろうと考えるだろう。

私にとってそれは、とても月並みな答えではあるが、実家にいる母だった。

東京での一人暮らしは、自由で気楽だ。行きたいところには電車ですぐに行けるし、”成功者”もいっぱいいて刺激的だ。

でも、何か悩んだり、不安なことがあったり、心配事があったりするときに真っ先に頭に浮かぶのはやっぱり母親の顔だ。

母親がここにいてくれたら、すぐに話せるのに、わがまま言えるのに、そう思う。

緊急事態宣言が出されたとき、すぐに実家から消毒液とマスクと保存食が詰め込まれた段ボール箱が送られてきた。実際は食べ物も消毒液も近所のスーパーで買うことが出来た(さすがにマスクは無かった)けれど、それが私にもたらしたものはそんなものよりも、「ひとりじゃないんだ」という安心感だった。

この混沌とした日々を穏やかに過ごせるのは、何があっても味方だと信じられる存在がどこかにいるという事実が私を支えているからだ。

若林の父親が最期に聴いていたというアメリカのロックバンド、イーグルスの「take it easy」を聴いてみた。カラッとして気分が晴れるような、それでいてどこか懐かしさを感じるような曲だった。これを聴きながらドライブでも出来たら最高だな、と思った。

気楽にいこうよ、

そんな風に言える状況ではないかもしれないけれど、

「Take it easy.」

声に出して、そう呟いてみた。

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