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Vivienne Westwoodと私の人生と青春


1990年代前半、パンクバンド好きな母の元に産まれ落ちた私にとっては

「Vivienne Westwood」はかなり身近なものであり、ある種大人の象徴だった。

セックス・ピストルズ、ダムド、クラッシュ...有名とされるパンクバンドのレコードが溢れかえり、壁には「who killed bambi 」のポスター、食卓ではシド・ヴィシャスが歌う「My Way」の映像が流れて、常に音楽が流れているそんな家庭で育った。

母も当時は若かったのでよく母の友人達が家に遊びに来ていて可愛がって貰っていた。
その人達が着ていたパラシュートシャツ、ボンテージパンツやラバーソール、ガーゼシャツに革ジャン、なんだかよくわからないけど周りの大人とは違うという事だけはわかっていて、それがカッコいいな...と幼心に感じていたように思う。

中でも一際憧れの人がいた、母の友人で美容師のお姉さんだ。
身長が高くて、派手な見た目だったけどとても優しい人で、髪はいつもベリーショートでハイトーンか原色の赤や青、足元は常に2サイズくらい大きなラバーソールを履いていて、キラキラとした大きなORBとカミソリネックレスを首から下げていた。
本当にカッコよくて、優しくて、おしゃれで、ずっと憧れていたし、なんなら今でも感謝しているし尊敬している。(母が忙しい時は私や妹の世話をしてくれてよく遊んでくれた人なので)

私の初めての「Vivienne Westwood」はこのお姉さんから貰ったマフラーだった。
ベージュのORBがプリントされたマフラーで私はそれが凄く嬉しくて小学生の癖になんだか大人になった様な気がしながらそれを四六時中巻いていた。

中学校にあがり、周囲は空前の「NANA」ブーム。
当時、あまり少女漫画を読まなかった自分もなんと無く手に取り、衝撃を受けた。
「めちゃくちゃかっこいい服だ!!」と...
漫画の内容よりもキャラクターが着ている服装にとにかく惹かれた。
アーマーリングやロッキンホース、今まで名前を知らなかった「かっこいいもの」がどこの何なのか知れた喜びが凄かったし、私の中の
「Vivienne Westwood」への憧れはみるみる肥大化していつか自分も...から絶対に手に入れたい物へと変わっていったのだ。

そして中3の夏、私は遂に初めて自分の手で、自分自身で選んで「Vivienne Westwood」を手に入れる事になる。

親戚の家に遊びに行くために訪れた東京、連れて行って貰った原宿竹下通りでふらふらと歩いて居た時になんとなく入ったヴィンテージショップのショーケースの中。
レオパード柄のVivienne Westwoodの三つ折財布、シルバーのORBが付いていてあまりにもカッコいい...まさに運命の出会い、鈍器で頭を殴られた様な衝撃だった。
「これが欲しい!」と思い、恐る恐る店員さんに声をかけてショーケースから取り出して貰う。
手にした瞬間に中古品とか値段とかどうでもいい位にそれが欲しくなった。

CDや、クレープや、色々欲しかった物はあったはずなのに気がつけばお金を払い、その財布は無事に私の物になったのだった。

その後も高校生になり、アルバイトで手にしたお金でピアスを買ったり、ネックレスを買ったり、大人になった今も財布はVivienne Westwoodだ。

私にとっては大人の象徴であり、青春であり、永遠の憧れである。
無くならない物は無い、人も物もいつか無くなる事は仕方が無い事だ、だけど余りにも切なく、自分の青春が死んで行く様な感覚は拭えない、ただ私に出来ることは彼女が残した偉大な作品をこれからも愛していく事だけだ。

先に逝ってしまったマルコムと幸せに。


2022.12.29

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