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【ネタバレ有】「遠く吠えて花火をあげる」観劇の感想


前提

諸注意

  • ネタバレを含みます。書きたいこと、忘れたくないことがたくさんあるから許してほしいです。既に全公演が終了していますがブルーレイ、DVD勢の方もいらっしゃるかもしれません。ご注意ください

  • あくまで感想なので製作者の意図に沿った受け取り方ができているとは限りません。でも許してほしいです。

  • 概ね記憶を元に文章を書いています。間違っている部分もあるかもしれません。でも。許してほしいです。

観劇まで

 「遠く吠えて花火をあげる」とは、2024年5月22日から6月2日まで東京都は王子小劇場で公演された演劇である。

 自殺を図ろうとしていた主人公が、同じように自殺を企図した人たちが集まった古民家への入居を誘われ、不思議なメンバーでのルームシェアを行うというのが大まかな話である。

 この舞台はキャスト8人×3組(空組・心組・灯組)で公演されるスタイルであり、組によってキャストが全員異なる。A~Hの役を演じる役者が各組に1人ずついるということだ。

 今回私は灯組の公演を見に来た。というのも、私は詩野さんという方のファンである。詩野さんは23歳(2024年6月1日現在)で、クールなお顔とホスピタリティが魅力の女性だ。現在役者業を中心に活躍中である。その詩野さんが灯組に所属していたことから、その公演のためだけにはるばる日本海側からやってきた。推し活は、愛か、はたまた狂気か。

 東京都は「王子」という始めての土地を踏みしめつつ劇場へと向かう。地下の劇場へと続く階段は違う世界への入り口のようで少しドキドキした。

 劇場は思ったよりも舞台が近かった。良いチケットを買ったこともあり、席は前から2列目。大股2歩で舞台に上がれそうな距離感。

撮影可のタイミングでの写真。舞台が本当に近い。


 周りは女性のお客さんが多く、会場を間違えたかと一瞬不安になるが、ここはいつもの現場ではなく劇場であり、いろんな役者さんがいることを思い出す。私と同じ思いでここに来た方も多いのだろう。座席がぎゅっと詰まっていたので公演中に万が一があったとき中々出づらそうだと若干心配になりつつも、公演が、始まる。

公演で心に留まったところ

※注意:私は観劇の経験は数えるほどしかない

見上げる体勢でのオープニング

 この舞台には2階がある。居間に見えるスペースの上側にも役者が立つスペースがある。物語の始まりはこの2階に役者が登場するところから始まる。
 客席は1階なので、役者を見ようとすると自然と見上げる形になるが、この体勢が打ち上げ花火を見る体勢と同じである。「遠く吠えて花火をあげる」というタイトルの物語の始めにこの体勢になるのが非常に情緒があった。

音ハメ

 BGMと役者のセリフのタイミングがきれいに合っていた。映像作品であればある程度簡単に調整がつくが、これを舞台でやるのはすごいと思った。

BGMインからのダイジェスト

 正式名称がわからない表現方法だが好き好き大好きである。これも映像作品ではよく見る表現なのだが、音声が主題歌などのBGMのみになり、役者は音声オフの演技だけが映し出されつつも、何をやっているかは表現でわかるやつである。主人公はボイスレコーダーに日報のように、その日あったことなどを吹き込むのだが、この日は一緒に話していた同居人もそのボイスレコーダーにメッセージを吹き込むと言い出す。そこでBGMが始まり、役者の音声がオフになり、日々の流れが回想シーンのように加速していく。人間にはミュート機能はついていないので口パクで演技を行うことになる。この技法をリアルでやるのかよ、やれるのかよ、と震えた。しかもこれが終盤でストーリーに繋がってきたときはたまらなかった。

声の迫力

 舞台を生で見る魅力の一つかもしれない、声の迫力。この物語は感情的になって大きな声を出すなどのシーンが複数あるが、それがスピーカーを通さず生で伝わってくるこの迫力は代えがたいものだと感じた。特に、ずっと静かだった人物が堰を切ったようにキレ散らかすシーンは他の登場人物と同じように黙らされてしまった(観劇中なので元々黙っているのだが)。

人には人の地獄

 上記のキレ散らかすシーンであるが、大雑把に言うと自認がカースト下位の人物が「カースト上位の人間が不幸面してんじゃねえよ」という内容でキレる。基本的に不幸は人と比較するものではない。「この人よりもマシだから自分は幸せ」という単純なものではない(この一言でカースト上位の人物の悩みが解決していないことからも明らか)。もっと不幸な人間が現れたら自分の不幸が解決するのかと言えばそうではない。

 ただ、恵まれている癖になんなんだよお前ら、と思う気持ちもよくわかる。この人物は最終的に「自分よりも可哀想な人がいることが分かった」という理由で前を向けるようになる。「この人よりマシ」という考え方は人に押し付けるものではないが、自分の納得のさせ方として有効な場合は活用するのもいいのだろう。

死という事象における「自分ごと」と「他人ごと」

 主人公は死のうと思って自殺幇助を志願したところを古民家の運営者に拾われ、同じく死を志した人たちとの共同生活を始めることになるが、その中で同居人の一人が自らの命を絶つ。古民家の運営者は本人から頼まれてその様子を撮影し、後日同居人一同に見せる。

 なぜ家族を見殺しにした、と激昂する主人公。気持ちとしてはよく理解できるが、自らも自殺を企図し、古民家の運営者に幇助してもらおうとした存在だ。自殺企図、そしてその実行も、それを幇助する行為も、それまで主人公が是としてきた(意思を表明しているわけではないが、自分がそれに世話になろうとしていることから、実質的に肯定していた)ものである。死ぬ権利を認め、実行を見届ける。自らがその死の対象となっているときは当然のように思えることが、他人の死となった途端に性質が変わってしまう。「自分は死んでいいが、人は死んではいけない。自分の自殺を幇助することはいいが、他人には許さない」という無茶苦茶な理屈を自分の中で無意識に成り立たせてしまう。死と相対した時の”これ”が非常に良く描写されていると感じた。

 無茶苦茶な理屈繋がりでいうと、自殺幇助を行ってきたであろう古民家の運営者は主人公の前で首吊り自殺を図ろうとする。主人公がそれを見つめる様子を見て、「止めないんだ」と呟く。

 この人だけは、この言葉を言ってはいけないと思った。これを止めるのを是としてしまったら、この人が今までやってきたことは人助けではなく人殺しになってしまう。「この前の同居人の時は見殺しだと怒っていたのに、自分がいなくなるのはいいんだ」という感情だったのかもしれない。それでも。……いや、その場合は?

(余談だが、最初からセットされていた首吊りロープを見たとき「結び方違うなぁ…あれだと首締まらないなぁ」と気になったが、実際に首をかけて死のうとするシーンを見て「これは締まる形にしていると怖くて見てられないな」と納得した。某サスペンス漫画のようになってしまう。)

(余談の余談だが、この記事を書く前に裏どりのために「首吊り ロープ 結び方」で検索したら自殺防止のページがたくさん表示されて違うんです!今回は違うんです!となった。)

花火の演出

 舞台上で花火をするシーンがある。火気OKの舞台を見たことがなかったので大変驚いた。線香花火を自分たちの人生に重ねた後、完全に暗闇になった舞台で線香花火をし、ぽとりと落ちる。2階で花火をしているために、いつもより時間をかけて落ちる線香花火がスローモーションのようで、命の尽きるその瞬間のようで。作中でクサいと言われた重ね合わせだが、このメタファーは心にくるものがあった。クサかろうとそう思ってしまったのだからしょうがない。

生ならではのハプニング

 役者が床に置いてある扇風機に足をぶつけるハプニングがあった。コミカルなシーンだったので笑いも起き、他の演者も「大丈夫?」とアドリブを入れたりしていたがそのまま演技が進行していきすごいと思った。念のため講演後に台本を購入して確認したが、足をぶつける指示は記載されていなかった。

 細かい部分であるが、木製の引き出しが開けづらいタイミングがあったのも面白かった。

総括

 めっちゃよかった。自殺を取り扱った作品であるが、もしこれが安易な自殺防止と人生賛歌という内容だったら悲しい気持ちで劇場を去ったことだろう。死にたい人間だからこそ刺さる部分もあったと思う。これを見返したりできなくなるのは悲しいなと思い、ブルーレイを購入した。東京まで見に来てよかった。

推し活ゾーン

煙草を吸っている推し

 私は煙草を吸っている女性が好き。そして私は推しが好き。じゃあ煙草を吸っている推しは?めっちゃ好き~~~~

 会場で本当に煙草に火をつけていて、煙草の匂いも客席に届いていたので「こんな舞台もあるのか…」と見識が広がった。

声がめちゃくちゃ通る

 普段からマイクありのイベントでも「自分、地声で行けます!」と主張する推し。その推しのガチの怒鳴りを聞けたのでとてもよかった。めちゃくちゃ通る。

 人前に出るときの推しを見る際、私は大抵まず手を見てしまう。普段「なんでもありませんが?」という表情をしている推しだが、あがり症で手が震えてしまうのだそう。そのギャップが愛おしい。今回はほんのわずか(知らないと気づかない程度に)手に持ったスーパードライの缶が震えていて、もう。

アゲハという人

 推しが演じたのはアゲハという風俗嬢の役。口が悪くてつっけんどんな対応だが面倒見がいい部分もある。

 アゲハは多くの登場人物を煽り、刺々しい言葉を投げかけ、喧嘩を吹っ掛ける。そういうことをやめてほしいと頼まれても「ごめん、無理かも」と突っぱねる。最初はなぜそんな態度なのかわからなかった。だが、人を煽った後「殴っていいよ。死んでも誰も悲しまない」というセリフを聞いて、あぁ、この人は殺されたいのだ、と理解した。自分で自分を殺すというのは相当な勇気と精神力を必要とする。他殺ならそれがない。この人は(もう)自分では死ねないのかもしれない。もしかして、人を殴った実績のある人間を特に煽っていたのもそういう意図だったのだろうか。いや、ただの相性か。改めて台本で序盤を確認してみると、序盤でも「殺すぞ」に対して「殺せないくせに言ってんじゃねぇよ」と返していることに気づいた。この段階ではただの煽りとしか捉えていなかったが、一貫していたのだ。

 同居人の死が分かった後、仕事に行こうとするアゲハに投げられた「よく行けるな」の言葉に対してアゲハが放った「死ね!」という言葉。

 死にたい人間が集まったルームシェアということで、序盤では「死ね!」「そのうちそうしますよ」というような軽い掛け合いもあったのだが、実際に同居人の死を目の当たりにした後のその言葉は重みが違った。言葉が出る瞬間に「あまり言わない方がいいかもしれない」と思いつつも勢いが止まらず口をついて出てしまい、死という言葉のリアルさがこれまでと比べ物にならないくらい重くのしかかったその瞬間が、文字で書いてあるかのように表現されていて、すごいと思った。

推し活ゾーンの総括

 かわいいかわいい推しを見に行くぞ~~という気持ちで参戦したが、その演技に飲み込まれた。見られてよかった。


おわり

これも人助けと思って。