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OASIS(リアム・ギャラガー)について

 リアム相変わらずかっこよかったわ。しかしいつも思うけど暑くないのかね。すっごい涼しい顔しとるよね。涼しいってか、平気そうっていうの? そういうとこもかっこよいんだけどさ。まあ今回は配信で見たんだけどね。生で見た時のこと思い出してたわ。家から歩いていける距離にリアムがいるっていう衝撃ね。小学校の時合唱コンクールで立った舞台でリアムが歌っているという感動。色褪せない。


 さて。まずOASISの話をするにあたって、最初に書いておかないといけないことは俺がリアム派だってこと。別にノエルが嫌いとかではないのでそこは誤解しないで欲しいんだけど、ただ、今回の文章はどうしてもリアム寄りになっちゃうよっていうことだけね、注意書きしときたかったんだ。別に貶したり悪く言ったりする気は微塵もないんだけど、もしかしたらそうと感じてしまう方もいらっしゃるかもしれんからね。OASIS が好きだからこれを目にしたって人がもしいた時に、不快な思いをさせたくないんだ。気にしすぎだって思ってはいるけど、俺にとってOASIS はそれくらい大切なものなんだ。誰かの中にあるOASIS にチリ一つつけたくないってこと。

 とかなんとか書いておいてからギアをあげてゆくか。まあOASISほどのバンドなら別に説明なんていらんよね。リアム・ギャラガーとノエル・ギャラガーっていうファッキン仲の悪い兄弟が中心になってできた90年代マンチェスター発のロックバンドよ。ジャンル的にはブリットポップかな。当時はグランジとかオルタナとか全盛期だったよね。よねっつってもギリ知らんけどさ。何でかって言ったらNirvana がいたからね。ある種カウンターカルチャーみたいな感じなんじゃないの、ブリットポップとかパワーポップって。時期的にはカート・コバーンが自殺して、何だか全体的に暗い感じだった世界に現れたのがOASIS ってわけ。ごめんだけどブラーとかウィーザーとかには今回触れない。Nirvana 真似して死にてえ死にてえ歌ってた奴らばっかだった時代に「永遠に生きてたい」なんて歌い出したらそりゃあもう対極主義でしょ。ちなみにカートとノエルは同い年だったらしいよ。同い年のカート・コバーンがあれだけの活躍をする最中、マンチェスターでくすぶっていたノエルの心情は察するにあまりあるね。カートの死後にOASIS が台頭してきたってのもストーリーを感じてしまう。ロックの神様、良い脚本だよ。あ、ちなみに俺ニルヴァーナもカートも大好きだからね。

 そんじゃあOASIS 何が凄いのって話だけど、結局OASIS の魅力ってファッキンシンプルなわけよ。リアムとノエル。これに尽きるね。ノエルの繊細でナイーヴなファッキン素晴らしい曲を、あの不敵で強靭なリアムが出力するからこそなのよ。なよっとしてるとまではいかないけど、やっぱりノエルの曲って破壊力自体はあんまりないんだ。あれは人に寄りそう曲だからね。そんなノエルの優しい曲がリアムにかかれば、ほら、この通りよ。ロックンロール以外の何物でもない。

 “ロックスターになることこそが俺の人生
   「そんなこと時間の無駄だ」って人は言う
   「それよりちゃんと勉強しろ」って
     そんなもん俺からしたら昼寝と同じ

     愛車を飛ばしてどこまでもゆく
     あいつらは俺たちを気にかけもしないが
     俺にとっては夢こそ現実
     だってほら、お前はもう俺に夢中だろ

     今夜、俺はロックスター
     今夜、俺はロックスターなんだ”

 “それがどうしたっていうんだよ
  そんなことより新しい歌を歌ってくれ
  寒さも風も雨も お前のことを何も知らない
    あいつらはただ通り過ぎてゆくだけさ”

“俺たちがハイになってる間 
 お前は一体どこで何をしていたんだ?
 ゆっくりとステージへ落ちてゆき
 砲弾より速く生きて死ぬ
 俺たちがハイになってる間 
 お前は一体どこで何をしていたんだ?

 いつの日かお前は俺を見つけるだろう
 土砂にまみれた惨めな俺を
 空に浮かぶシャンペインスーパーノヴァを
 いつの日かお前は俺を見つけるだろう
 土砂にまみれた惨めな俺を
 空に浮かぶシャンペインスーパーノヴァを
 空に浮かぶシャンペインスーパーノヴァを

 世間の奴らは俺たちとは違う
 あいつらは安全な場所へ逃げてゆくんだ
 だけど俺やお前みたいな人種は ここで生きてここで死ぬ
 世界はそれでも回ってゆくだろう
 その理由が俺には分からない
 分からない 
 分からない
 分からない
 分からない”


 歌詞は全部俺の意訳ね。英語の授業じゃないんだから間違ってるとか教えてくれなくて大丈夫。


 繊細な歌詞と力強い歌声。こんな感じで完璧に噛み合っているリアムとノエルなわけだけど、だからと言って本人たちまで噛み合うとは限らないってのが悲しい話。性格面で言えばノエルが若干繊細さんでリアムがだいぶ野蛮人なわけよ。ノエルは何だかこじらせていて、リアムはまさにクソガキって感じ。亀裂の要因としてはこれが大きいと思うんだけど、個人的にはこっちの方も深刻だったのでは? とか思ったりする。↓

 “ロックンロール”の音楽としての側面を大切にしたのがノエル・ギャラガーで、文化としての側面を大切にしたのがリアム・ギャラガーだと自分は思っていて。もちろんどちらも大切なんだ。だからこそOASIS ってバンドは最高だったわけなんだけど。総合的に見ればね。どっちも譲らず妥協しないファッキン野郎が二人もいたからさ。

 しかしまあ何事もそうだけど、互いが真剣になればなるほどぶつかり合い、傷つき、壊れる速度はどうしたって上がってしまう。

 “サリーは待ってくれている
  一緒に歩くことはもうできないって知っているから
    僕の心は離れてゆく
    だけど、「怒りに任せて振り返らないで」
 「全てを悪い思い出にしないで」ってそう聞こえたんだ
    せめて今日だけは”

 この世で一番良い曲は? って聞かれた時に頭に浮かぶ曲が幾つかあるじゃん? その内の一曲がこれなわけ。

  はあ。これほど聴くのが複雑な曲ってのも中々ないよ。OASIS の代表曲。つーかOASIS で一番良い曲と言っても過言ではないほどの名曲中の名曲。歌詞も良いメロディーも良い何もかも完璧なのに一ついただけないことがある。ヴォーカルがリアムじゃないんですよねえ。ノエルが歌ってるんですわ。これまでもリアムが歌えないキーの曲とかはノエルがヴォーカルしたりもしてたんだけど、これに関してはねえ……。

 まずリアムがどういう人かって話なんだけど、こいつ媚びないんだわ。喉の調子悪かったら平気でライブドタキャンしたりね。リアムは”ロック”の文化面を大切にするからさ。お行儀よくなんてしねえんだ。しかしノエルは違う。プロ意識が高い。ちゃんとやらないと駄目だろ! ってなるわけよ。あまりにもノエルが正しいが、正しければ良いってもんでもないんだ、とリアム派の片鱗を見せておくか。ノエルは真面目だからさ、くだんない日本人の質問にも丁寧に答えてくれるしね。途中でリアムが帰っちゃって、どうしようってなるわけじゃん。仕方ねえ、俺が歌うかってなるわけよ。これが意外と評判良かったらしくてね。「あれ? 俺でもいけんじゃね?」ってノエルは思ってしまったわけ。崩壊の足音が聞こえてきたね。かーらーのー、「Don’t Look Back in Anger」なんですわ。ソロの弾き語りツアーとかまでやってたからねノエル兄さん。一人でテレビとか出ちゃってさ。気持ちは分かるけど。そうなると面白くないのはリアムだよね。俺も面白くないけど。「あいつが歌うんなら俺はステージで何をすれば良い? お茶汲み係か?」ってね。

 OASIS の解散理由ってさ、自分が思うにノエルが大人になってしまったからなんだよね結局。ビートルズ然りさ、ロックンロールバンドってのはガキのものだからさ、大人になったらやってらんないんじゃないのって自分は思うんだけど。この大人になったってのは歳とったとかそんなことじゃなくて、”満たされてしまった”んだよね。マンチェスターでさあ、倉庫番したり、Inspiral Carpets のローディーやったりして、同い年で自分が欲しかったもの全て手に入れてるカート・コバーンとかを眺めたりしてさ、いや、眺めてたかどうかは知らんけど、あの頃のノエルは満たされてなかった。かと言って自分がバンドが組んで~、みたいな夢も見ず、まあ、こんな風に終わってゆくんだろうなって考えながら一人コソコソ趣味みたいに曲を書いていたわけよ。そんな時にね、音楽聴いてるような奴なんて根暗だろって馬鹿にしていたファッキン弟のリアムがよ、地元マンチェスターどころか宇宙一の究極バンド、The Stone Roses のライブを目にして、ステージの上であるがままに振る舞うイアン・ブラウンを目にしてね、これだ! って音楽に目覚めるわけよ。そんで行動力。すぐに仲間を集めてバンドを組んだ。ノエルからしたら聞き捨てならんでしょ。全く音楽に興味なかったあのファッキン弟がバンドを組んだだと? って。冷やかしに見に行ったわけよ。したらね、ノエルの目にはリアムが輝いて見えたんだ。下手くそなファッキン弟を笑ってやろうとしたけど、ステージで歌うリアムの姿はそれほど場違いに見えなかったらしい。ノエルがバンドに入れてくれって頼んだ説とリアムが「お前そういや曲書いてたよな?」って誘った説があるんだけど君はどっちが良い? 俺はどっちも捨てがたいんだけど、リアムが引き入れた方が良いなとか思ったりする。後述するけどさ、やっぱりリアムなんだわ、OASIS って。初動がね。でもなあ、ノエルが頼み込むってのも良いんだよなあ……。心情考えるとさあ……。まあいずれにせよOASIS の結成ってのはドラマチックなわけよ。

 「Definitely Maybe」と「(What’s the Story) Morning Glory?」。OASIS といえばこの二枚でしょ。言っとくけどバケモンだからねこの二枚。いやガチで。こういう大げさなことあんま言いたくないんだけど、これに関してはガチ。え? ベスト盤? ってくらいヤバいんだよこのファーストとセカンド。ガッチガチよガッチガチ。こんなのリアルタイムで経験したら脳焼かれるってか死んじゃうよ普通に。なんかドキュメンタリーとかでさ、ファンの熱狂みたいなのよく映ったりするじゃん? 俺あれさ、気持ちは分かるよ……ってなりつつも、ちょっと苦笑いしちゃうんだけど、OASISに関してはこうなるって。てか足りない。もっと発狂して良いよ皆。ほんとやばいってこれ。やばいしか言わないけどさ。現人神だよガチで。やばあ……考えれば考えるほどよ。こんなん人生変わっちゃうって。ファーストからのセカンドでさ、こんなん連続で出されたら。ガチでバケモン。

 何でそんなに良いの? って話なんだけど、このセカンドアルバムの「(What’s the Story) Morning Glory?」までの曲は、ノエルがこれまで書き溜めていた曲が主なんだよね。満たされてなかった時代よ。ノエル自身も小出しにすりゃ良かったって言ってたくらいの名曲揃い。

 思うにさ、もうこの時点でノエルは夢叶っちゃったんだよね。それ以降のアルバム聴くと何となくそんな気がする。走るのやめて腰を下ろした感じというかね。もうこれ以上の景色を見る気がないっていうか、もうこれ以上なんてないだろってなってしまった気がする。

 対してリアムよ。いつまで経ってもガキのまま。いまだに夢を見続けてる。これがあるからやっぱり俺はリアム派なんだ。リアムは心の底から信じてるからね。ノエルと一緒にもう一度OASISを再結成すれば、あの続きを、全盛期以上の景色をまた見られるって。本当に純粋。リアリストとロマンチストと言おうか。昔はノエルの方がロマンチストだったんだけど。ネブワースの感想とかさ。大人になってしまったんだね。最近ってか、大分前からか、リアムがさ、「ノエルのやつはOASIS再結成したがってる」って発言するとさ、返事っていうの? たまに反応するじゃん。その文言も大人だよね。ミック・ジャガーのやつとかさ。すっかり腰下ろしてるよ。悪いとは言わんけどね。だからこそ歌えるものってのもあるし。ハイ・フライング・バーズのアルバムとか凄く良いしね。うん。音楽レベルは当たり前だけど今だにやばいからねノエル。 

 本当にOASIS 、リアムとノエルという組み合わせは究極だったなって書きながら切に思うわ。ただここまで書いたのはさ、あくまで”俺の思うOASIS”であって、実際のリアムとノエルがどうこうとか言う気はないんだ。俺にはそう見えるってだけだからさ。

 しかしながら、これは俺だけが思ってる感想でもない気がするんだけどね、意外と。他にも感じてる人いると思う。


 「Different Gear, Still Speeding」の話もしておくか。リアム・ギャラガーという男の人生で一番のアルバムは何かってのを考えた時、それは「Definitely Maybe」でも「(What's the Story) Morning Glory?」でも「As You Were」でもなく、俺はこの「Different Gear, Still Speeding」だと思うんだよね。

 リアムとノエルの関係が破綻して、ノエルはOASISから追い出される形でいなくなったわけ。まさにOASIS は心臓を無くしたんだよね。こうなった以上はもはやOASIS を名乗れない。リアム含め、残されたメンバーはバンド名をOASIS からBeady Eye に変えたんだ。潔い。どっかのバンドも見習って欲しい。

 さっきも書いたけど、”ロックンロール”を音楽として大切にしたのがノエルで、文化として大切にしたのがリアムなわけ。これは精神面の話だけでなく、実際問題の話として。だからさ、ノエルがいなくなった後のBeady Eye は音楽好きからしたら「あぁ、はいはい」って感じだったわけよ。ロックバンド(笑)みたいなね。穿ち過ぎだったら申し訳ない。悪意はないこと覚えておいて。

 それでもリアムは続けたんだ。まあ解散してしまったけどね。世界中の人、たとえ本人がBeady Eye を失敗だったと決めても、この「Different Gear, Still Speeding」を作り、もう一度走り出そうとしたリアム・ギャラガーの在り方が失敗だったとは思わない。一人のミュージシャンとして再起しようとしたってのもあるんだろうけど、それ以上に、ノエルをもう一度呼び戻したかったんだと思う。純粋に信じてるんだと思うんだよね。自分が凄いことをやれば、ノエルはまたもう一度一緒にやりたくなるだろうってさ。

 自分の周り地味にノエル派ばっかだからさ、あんまりこのことについて話せたことなかったんだけど、何年か前にリアムのドキュメンタリー映画「AS IT WAS」を観てさ、自分の感覚は間違ってなかったなって嬉しくなったよ。うん。


「FOUE LETTER WORD」

“夢遊病者みたいにふらふらと、人生、捨てちまえよ、それが望みなら
 一瞬のことさ、よそ見したらおしまいだ
 あの頃、おまえの頭は休暇中だった

 それがすっかり大人になって、もう遊ぶ気もしないってわけか

  愛想が尽きたんだろうな
  行き場のないその目で、じっと見つめ続けるのに
  これからがキツイぜ
  未だ戦闘状態で、お前の魂が賞品なんだから
  自分でもわからない、この気持ちが何なのか
  4文字言葉で悪態つくのが、俺の本音にぴったりなんだがな
  永遠に続くものなんて、ありゃしないんだし”

「WIND UP DREAM」

“純金がきらきらと、おまえの目の中で光る
 生意気そうにニンマリされると、こっちもマジでニヤケちまうぜ
 少し分け前がほしいと、思わないヤツがいるか?
 少し分け前がほしいと、思わないヤツがいるか?

 他愛もない夢さ
 だから俺を起こさないでくれ
 気に入ってるんだよ
 目を閉じている時に見えるものが”

「THE MORNING SON」

 ”やってみなくちゃわからないさ
  崇拝するあまり、おまえは見えなくなっているんだ
  ひとり佇む俺に、誰も気づいていない
  もう朝日は昇ってしまったのに

 あいつは俺の心の中に、俺の魂の中にいる
 俺のロックンロールにさえ、あいつはいるんだ
 俺はひとりで立っている、誰も気づいていないけれど
 もう朝日は昇ってしまったよ

 目にものを見せてやりたいと思う、おまえに力を貸す気もある
 一生の課題だな、俺は自分なりにケリをつけたよ
 そして今はひとり、誰も気づいていない
 朝日はもう昇っている
 朝日はもう昇っている
 朝日はもう昇っている
 朝日はもう昇っているんだ

 なるようになるさ、そのうちに
 おまえはおまえの、俺は俺の道を行く
 ひとり佇む俺に、誰も気づかない
 朝日はもう昇っているのに

 お互い、やってみなくちゃわからないよな
 自分が崇拝するものしか、見えなくなっていた俺たち
 自分の足で立つんだ、人にはわからないだろうが
 朝日はもう昇っている
 朝日はもう昇っている
 朝日はもう昇っている
 朝日はもう昇っているんだ”

 これは「Different Gear, Still Speeding」に収められてる曲の歌詞。これに関しては自分の意訳じゃなくてガチなやつね。ちゃんとしたプロの翻訳。引用しました。

 リアムが作詞したわけではないのかな。ちょっとクレジットだけだと曖昧なんだけど。まあ、そんなことはどうでも良い。エルヴィスの「Suspicious Minds」とか、あれ別の人が作った曲だけどまごうことなきエルヴィスのものだからね。皆もあるでしょ? 曲聴いてさ、これ自分の曲だ! って。それは自分のことを歌ってくれているとかだけじゃなく、大切な友人だったり恋人だったりに、自分が普段から伝えたいことと同じだったりね。誰が作ったかなんて些事だよ。

 最後に。OASISで自分が一番好きな曲は「Whatever」なんだよね。これは本当に大切な曲。自分が大学辞めようと考えてた時に背中を押してくれた本と音楽と映画があって。「Whatever」はそのうちの音楽にあたる。ちなみに本はサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」で映画はアシュトン・カッチャー主演の「スティーブ・ジョブズ」ね。


 これもまた例に漏れず拙い意訳なんだけど、全部訳したものがあるから書いておこうっと。

“俺は何にだってなれる
 思いのままになれるんだ
 その気になればブルースだって歌ってやるさ

 何だろうと好きなことを
 俺は自由に言えるんだ
 間違っていようが正しかろうがどうだって良いさ

 いつも思うんだ
 お前は 周りの奴らが見せたがっているものしか見ていないんじゃないかって
 一体どれくらいかかるんだろうな
 俺たちが あいつらと同じバスに 仲良く乗れるようになるまでさ
 自分自身をしっかり持てよ
 そんなに難しいことじゃないんだから

 お前だって自由に
 何にでもなれるさ
 それが俺好みだったら文句なしだ

 どこへだろうと好きなところに
 お前は自由に行っていいんだ
 無駄話して過ごしたいんならそれも良いさ

 いつも思うんだ
 お前は 周りの奴らが見せたがっているものしか見ていなんじゃないかって
 一体どれくらいかかるんだろうな
 俺たちがあいつらと同じバスに 仲良く乗れるようになるまでさ
 自分自身をしっかり持てよ
 そんなに難しいことじゃないんだから

 俺は何にだってなれる
 思いのままになれるんだ
 その気になればブルースだって歌ってやるさ

 こんな俺の心の中で
 お前はもう一度見つけるかもしれない
 昔のお前なら分かっていた何かを
 今じゃすっかり忘れてしまった何かを
 あぁ それは面白いもんじゃないさ
 そうだろ?
 俺だって面白くなんかないんだ
 あぁ そうさ 面白くないもんだ
 そんなこと 俺だって分かってるさ

 俺は何にだってなれる
 思いのままになれるんだ
 その気になればブルースだって歌ってやるさ

 俺は何にだってなれる
 思いのままになれるんだ
 その気になればブルースだって歌ってやるさ

 どんなことをしても
 どんなことを言っても
 そうさ 構わないんだ

 お前が何をやったって
 お前が何を言ったって
 そうさ 全然大丈夫なんだよ”


 このさ、”無駄話して過ごしたいんならそれも良いさ”って歌詞が好きなんだよね。これは多分、割と直訳な部分だった気がする。思うままに、とか、やりたいように、って感じの歌詞ってよくあるじゃん? でもああいうのってさ、俺が卑屈なだけかもなんだけど、何かしらやれって言われてる気がしちゃうんだよね。でも「Whatever」のこの歌詞は、本当に何もかもを許容してくれるというか。あの、失業保険もらった帰りに有り金全部レコードだの酒だのドラッグだのに変えてマンチェスターでくすぶっていた、まだ何者でもない頃のOASIS、リアムとノエルの姿が見えるというかね。うん。ありのまま、自然体で、本当にずっと何も変わらないっていう圧倒的な安心感。

 OASISって自然体なんだよね。気負いがないんだ。ありのままでそこにいて、爪先立ちせず頂点をとった感じ。混乱の中に陥ったけど、って。これはThe Stone Roses ってか、イアン・ブラウンの影響を受けたリアムがフロントマンだったからこそ、って俺は思うんだけど。

 サマソニでも変わらなかったね。あの圧倒的な無敵感。ミサイル打ち込まれてもあの体勢で歌い続けられるよリアムなら。むしろミサイル跳ね返せるわ。触れることすらできないでしょって思えるほど。まさに 「The roller」。

 そんなリアムが一体何を歌っていたのかって話なんだ、OASISってバンドの話をするってことはね。最高のバンドだよ。再結成はしなくて良いかな正直。ただまあ、リアムはこれからもノエルをOASISに引き戻そうとしていて欲しいし、ほんの一瞬くらい、怒り以外の感情をもってノエルに振り返って欲しさもあるといえばあるかな。


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