私の新年は1週間遅れ


#note書き初め 年明けて1週間経ってからの書き初めってなんだよ。世間一般の今はもう仕事初めや新学期。正月ボケも抜けかける頃である。あんなに高騰してた蒲鉾も普段通りの値段に落ち着いてる。下手したら割引シール貼られてたりもする。

そんな前置きはさておいても、私にとっての新年は今日。つまり1/8だ。1/1にちゃんと初詣とか餅食べたりしたけど。

何で今日なのか?そりゃ今日が誕生日なのだ。おめでたいねぇ。ちょうど正月から1週間後の今日である。

待望だった男の子じゃなかったけど、23年前の今日。私は母親の腹から出てきた。というか出された。この点に関しては胎児の私が忖度不足(笑)だったのかはたまた女系遺伝が強かったのか…


名前を決めるまでも一悶着した我が家。出産はもっとドタバタだったらしい(母親談)名付けの話があるノートにも少しかいてるが今回はもう少し詳しく書いておこうと思う。ちなみに名付けの話は「待望だった」のタイトル記事。そちらもどーぞ


1/8の朝…予定日までもう1週間ちょいあるのだが朝から腹が張っていたらしい。まぁ、もうじき産まれるしねぇと呑気に考えていたと。ただ、祖母は第六感が働いたのか「入院できるような支度はしとき」と言ってたらしい。ある程度は準備してあったらしいが祖母のマジな空気を察して準備したらしい。

尿意を感じトイレにたったその時、なにか垂れてるのに気づく。トイレに急いで行くと下着やらが濡れてることに気づく

「………は、破水した」


どうやら私はあと1週間ほど待てなかったみたいです

うちの母親は150cmという小柄なので骨盤も小さいのと、私が最後の最後まで逆子(というか横に寝てる体位)だった帝王切開で出産と決まっていて。なので入院して帝王切開で出産って流れでバースプラン組んでいたのですが、破水してしまったのでそれどころじゃなくなったと。

とりあえずトイレで夜用の生理用品当てて。着替えて、準備したばかりの入院セット持って…

何を血迷ったのか荷物をもって祖母と産院まで徒歩で行く。歩いていける距離だけどさぁ……


産院で

母親「すいません。破水したみたいで…」

助産師さんと看護師さんにどちゃくそ怒られながらも診察室で内診→破水確定→このまま帝王切開で。

父親に連絡するもすぐはこれないとのこと。

同意書にサインして、麻酔して。

開けてみたら私の首にはへその緒がぐるぐるに巻き付いてて。羊水もほとんどなくなった胎内で窒息しかけてたと。

産科の先生が取り上げたが泣かず、NICU併設の病院に搬送できるように連絡を指示していたらしい。

へその緒を急いで切って、尻やら足の裏やら叩かれる。局所麻酔なので意識のある母親は泣かないことと先生や助産師さんたちのただならぬ空気から残念な結果を予想して泣いたという。近くに居た看護師さんが大丈夫よとずっと励ましてくれたとか。(冷静で動じない看護師カッコいいよね…!)

ほどなくして泣き出した私。1/8の13時過ぎのことだった

ほぼ羊水の無くなった胎内で窒息しかけていた私。良くて酸欠による軽度の障害。悪くて死産。そんな瀬戸際だったらしい。


その後何事もなく無事に退院し、4年後第二子となる妹を身籠る。

破水したこと。経産婦であること。帝王切開であることから直前の検診までは、私の生まれた産院で。出産は新生児科のある総合病院ですることになるのだった。破水したのに歩いてきちゃうからね(笑)


母が妹を妊娠していたときの検診で、(預けられず)私が一緒に行くと毎回先生や助産師さんや看護師さんがすごく喜んでいたのを幼心にも覚えてる。その当時は不思議でしょうがなかったが(笑)

ついでに付け足すと妹の出産前に総合病院に母親のこれまでの経過を申し送るのだが、私の出産時も記載されていたようで産後の面会で全く知らない看護師さんや先生からも謎の称賛を得ていた。


おめでとう。自分。

ありがとう。お母さん。先生。看護師さん。助産師さん。


破水したら救急車呼んでね!!!

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