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ローマ繁栄の象徴 ☆ 豊かな湧き水のお話

<イタリア旅行記(2012年 ローマ&アブルッツォ&モリーゼ&イスキア島)no.7>

永遠の都・ローマ。

ローマには、有名なトレヴィの泉をはじめ、大小合わせると、
900ヵ所以上の泉があると言われています。

人々が集う場所には、生活する為の水が必要となるので、
古代ローマ時代から、多くの水道橋や泉、浴場等が造られて、水の確保をしてきました。

散策をしていると、有名な泉はもちろん、小さな小さな湧水や、
ちょろちょろと流れる路面に造られた水道を、目にする事が多々あります。

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ボルゲーゼ美術館前にある湧水
(Acqua sorgiva davanti alla Galleria Borghese)


彫刻された蛇口が、アカデミックですよね。

ちょうど、2年前の今頃。
NHK「ブラタモリ」で、2週続けてローマ特集をしていました。

2週目のテーマが、「ローマは、水なしにてならず?」
まさに、ローマの湧き水に、スポットを当てた編集で、とても興味深く見たのを覚えています。

少し、ローマの湧き水について、まとめてみましょう。
(やや、長めです)

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紀元前、古代ローマ帝国時代、最大で100万人以上であったといわれる
ローマの人口。
その市民生活を支える為に、地形の高低差を利用して造られたのが、
「水道橋」です。
当時は、東から、西からと、ローマに向けて、計 11本の水道橋が走り、水が引かれていたのです。

もちろん、インフラ整備には、お金も、人手も必要です。
まさに、この水こそが、ローマの豊かさの証し、皇帝の権力を示す、
権威の象徴でもあったのです。

映画「テルマエ・ロマエ」でも描かれていた、今のレジャーランドのような広い公衆浴場。
ここも、大量の水を使いますよね。
当時の皇帝の力を凄さを、感じずにはいられません。

ただ、やはり、栄枯盛衰。

紀元後4世紀の首都の移転後、段々と、活気を失い、戦争や、伝染病等によって、なんと、6世紀頃には、人口は3万人にまで減ったそうです。
最大時と比べると、3%。
その後、1000年近く、ローマの低迷期が続きました。

再び、ローマに光が当たったのが、16世紀。
ヴァティカン市国・教会の力で、復活の兆しがみえてきます。

そして、ルネッサンスの大きな変革の波も受け、現在のローマの姿に近づいてきました。
街づくりの中核で活躍したのが、ローマ教皇から指名されたミケランジェロです。
彼が設計し、形にしてきたものが、現在も、目にすることが出来るのは、
ローマ観光の醍醐味のひとつ。

そして、もうひとり、ローマを語る時に忘れてはいけない彫刻家・建築家ベルニーニがいます。

「ベル二ーニはローマのために生まれ、
            ローマはベルニーニのためにつくられた」

スペイン広場前にあるバルカッチャの噴水も、彼の代表作のひとつです。

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バルカッチャの噴水(写真・手前)
(Fontana della Barcaccia)


「水こそが、古代ローマの繁栄・栄光を示すもの」

ルネッサンス以降に、噴水が多く、意識的に造られていったのは、
再び、ローマが繫栄することを願ったのではと言われているそうです。

そして、19世紀後半に、ローマ市長の発案で「誰もが自由に使える水道を造ろう」と、街のいたるところに、水場が増え、水が溢れる永遠の都・ローマとして、現在も、輝きを放っています。

「ブラタモリ」で、タモリさんは、言っていました。

映画「ローマの休日」は、ローマの美しい場所を見せるための映画、
あの映画の主人公は、この街・ローマだと。

こういうタモリさんの発想、一言が、キュン!と、心に響いちゃうのですよね。

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イタリアの湧き水は、もちろん、飲み水として利用できるので、汲み取っている方々もいますが、ここはヨーロッパ。
硬水です。

日頃、軟水を飲んでいる私達には、飲み水として使うと、ちょっとお腹がビックリするかもなので、気をつけなくてはです。

ローマ散策中に、有名な泉はもちろん、点在する湧き水、水場をチェックするのも、ひとつの楽しみ方ですね。

2009年、訪問時には、噴水巡りもしていました。



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