CRP TOKYO 新大久保界隈 by 9 Photographers 2021年1月 発売中
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↑ 2月27日 CRP 撮影会 赤羽駅界隈 AM10時半集合
CRP TOKYO 新大久保 界隈 2021年1月
BY 9 PHOTOGRPHERS
TERUYO FUKUMOTO MAKISUKE OKAMURA TAKASHI KITAGAWA
TERUMASA ARIMA YASHUHIRO ITO YUICHI OIDE
YUTA HIRAKUBO YOSHINORI KAMEI ALAO YOKOGI
東京の異界、新大久保を9人で写真家によって撮影しました。
https://aypcrp.com/
TEXT byALAO YOKOGI
大学1年の終わり頃だから今から54年前、1967年の冬の話だ。
自分の青春時代なのだから記憶はありありとしてそんな昔には思えない。
そんな時間の座標を巻き戻し、1967年の54年前といえば、1913年大正3年のことになる。
きっと18歳の僕だったら、71歳の老人に昔ばなしをされたところで、何の興味もわかず、あくびをしたかもしれないけれど、いやいや今とさして変わらず人類の営みの同一性を笑ったかもしれない。
今、新大久保といえば、韓流ブームの韓国タウン落ち着き、ベトナム 、ネパール、パキスタンなどアジア系の人々が増え、イスラム横丁なんていう路地まで出現しアジアの街の気配に溢れている。
ただそれらは、ごくごく最近のことでしかない。
今の新大久保のホームから周りを見ると、活気にあふれているが、
目を閉じて、遠い昔の東側の街を思い出すと、薄暗くぼんやりとした住宅街のなかに、ぼおっとした赤いサカサクラゲのネオンがひとつわびしく灯っていた。
このあたりは千駄ヶ谷と同じような、連れ込み旅館が点在している地域だ。連れ込みホテルではない。あくまで連れ込み旅館だ。玄関は引き戸になっていて、ガラガラと、あまり古風過ぎて入る勇気はなかった。
そんないかがわしい街に、美しい姉妹が、なんと駅のすぐ東側、
今は線路に沿った広い道のあたりの平屋のアパートに住んでいた。
姉は僕と同じ大学のクラブの先輩で、妹は何をやっていたのだろう、どこか専門学校に通っていたのかもしれない。
その姉に気に入られていたので、僕はたびたび、といっても全部で5回ぐらいかな、夜、そのアパートに遊びに行った。
僕は男兄弟で、高校は男子校だったので、女性にはまったく初心であった。
6帖ひと間の女性の部屋の怪しさに圧倒されながら、ひたすらおしゃべりを聞いていた。
姉妹はこたつを挟んでよく歌を歌った。姉は僕よりひとつ年上、社交的でにぎやかだった。
小川知子の♪食べてしまいたいわ♪「あなたに夢中なの」を歌った。
2、3歳下の妹はとてもシャイだった。
妹はゴールデン・カップスのマモル・マヌーとウォーカー・ブラザーズのスコット・ウォーカーの
熱烈なファンで、その名前が口にだすたび姉妹で嬌声を上げた。
僕は、若い女性の毒気にあてられた。
一度だけ、妹とデートしたことがあった。前後は思い出せない。
歩きながら会話ははずまず、日比谷公園の見える夜の歩道橋から二人でずっと道路を眺めた。今の僕から考えると想像できない初心すぎる思い出だ。
翌年、大学は学園紛争の季節になり、バリケード封鎖された学園は1年間休みになった。
大学のクラブは一度解散したので、その姉との繋がりはなくなり、妹とデートしたのはその一回だけだった。
ところが、僕の写真集「あの日の彼 あの日の彼女1967-1975」に渋谷パルコの2Fにあったカフェで妹を撮った写真がある。
だからもう一度だけ会ったようだ。
写真を撮らせてというと拒否され下を向いた。髪の毛で顔が写っていない。
1974年 渋谷PARCO コヒーショップ
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