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15日まで、¥0! CRP FOTO 山手線周遊 渋谷駅界隈 ストリートスナップ写真集  山手線周遊 2023 BY 11photographers

COVER PHOTO  YUTA HIRAKUBO

6月15日PM3時59分まで、Amazon Kindle 写真集が、無料でダウンロードできます。10日の5時以降に、0円をクリックしてダウンロードしてください。

CRP FOTO 渋谷駅界隈 山手線周遊 かつて渋谷といえばプラネタリウムだった。渋谷文化会館の八階だ。かなり大きな映画館も入っていた。そんな渋谷だが僕の子供時代に記憶はない。東京の東側、千葉県の市川市に住んでいたからかもしれない。国鉄(JR)総武線が秋葉原から新宿、中野方面と伸びていたからぼくにとって東京の繁華街は新宿だった。今は再開発で小田急デパートの痕跡もなくなり、東口にあったステーションビル(ルミネ)が西口から見えるようになった。その小田急デパートができるまえの新宿駅西口ロータリーの記憶はうっすらとある。ビルもないひろびろとした駅前広場をぐるりと商店が囲んでいた。すでに工事中だったのかもしれない。 渋谷が脚光をあびたのは、1968年西武デパートが進出してからだ。古びた駅ビル東急や特徴のないビルと違って2棟並んだモダンな建物が印象的だった。 渋谷はもともと東急の街だ。なにからなにまで東急で、坂を上がるとなぜか駅と離れた場所に東急の本店があった。駅前東急関係のビルだらけなのにいまいち目立たなかった。西口の東急プラザは、ハチ公とは違う待ち合わせの場所だった。 西武は攻勢をかける。引っ越してきたばかりのNHKまでの坂を公園通りと名付け、1973年パルコが進出しパルコ劇場ができた。渋谷は東急の街ではなく、池袋から進出した、まるで西武の街のようになった。 それが1979年失地回復のように、道玄坂と本店通りの二股に109が開店した。ターゲットは若い女性。東急の反撃が始まった。西武のニュー文化人の戦略は飽きられ、ただただ若者をターゲットとした混沌とした渋谷の街が噴き出した。その結果が、ガラスのビルに覆われた新しい渋谷だ。

hana
HARUKO SAITO
SHINICHI HASHIMOTO
TATSUYA SATO
TERUMASA ARIMA
YOSHINORI KAMEI
YOSHITADA NAGANORI
YUICHI OIDE
YUKI SAITO
YUTA HIRAKUBO

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