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1985年 青森 青函連絡船

昔から、東北は、奥の細道、日本の原風景、1985年その時のガールフレンドとやってきた。当然車を運転、どうやって来たのか覚えていない。
篠山さんのアシスタントのころ、1972年アサヒカメラの取材のため、先生と応募してきた商船大学の浅田君と土井テクニカルフォトの笠原さんと4人で3泊4日間の東北旅行をした。それついてはnoteの「僕のアサヒカメラ」でいつか書くことにして、この時は最初の離婚の後、
次のガールフレンドと別れて、新しいガールフレンドができたばかりだった。結局彼女とは2度目の結婚をすることになるが、このときは単にガールフレンドだった。
旅に行きたくて、結局日本で一番神秘的な場所、東北。車で北上した。途中一泊してたどり着いたのが青森駅だった。
青函連絡船は1987年に廃業するのでその少し前に来たことになる。

青森011920

青森コーセー化粧品1920

駅構内の跨線橋を渡ったところに、ずらりとコーセー化粧品のB全のポスターが並んでいた。僕が撮った写真だった。カリブ海のボナール島の塩の山で撮ったものだ。この撮影はいろいろ困難があり、それもまた違う機会に書くとして、それでも自分の撮った写真が最果ての青森駅で見ることができてうれしかった。
青森と言えば、「津軽海峡冬景色」。ヒットしたのは1977年だからすでにでできている。♪上野発の夜行列車下りたときから♪
1972年の竜飛岬は、何もなかったが、1985年は青函トンネルの工事中でいたるところに飯場が建ち賑わっていた。
2009年にもCanon提供BS「写真家たちの日本紀行」の取材で訪ねたが、その時はそのヒット曲の記念碑があり、ボタンを押すと、かなりの音量でスピーカーから聞こえてきた。騒々しいのに、わびしかった。

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