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Landscapes like 4x5 ”シノゴな風景 01”  FUJI GFX 100 Ⅱ FUJINON 20㎜-35㎜ ”四五な風景”

1億1000万画素の世界!とは、なんだろう。

FUJI GFX100 Ⅱ FUJINON 20-35 mm

初めて触ったデジタルカメラは、2000年、コダックLeaf Cantaare Digital Pack 35 mmフルサイズ600万画素のデジタルパック、ハッセルブラッドに装着するタイプで、スタジオで一度使ってみた。
当時唯一、長秒撮影に対応しているということで、懐中電灯の長時間露光を試してみた。
フィルムと同じぐらいのコーリティに驚いたが、
価格が350万以上もするということで、一回使用しただけだった。

その年、2000年Canon Eos D30が発売された。
APS-CでCMOS 300万画素。
その頃、まだフィルムカメラがメインの時代だ。
35mmやブロニー、4x5もフジのベルビアやプロビアを使っていた。

本格的にデジタルカメラを使いだすのは、
その年の秋に発売されたAPS-CサイズC-MOS 652万画素のCanon D60からだ。
JPEGで一枚あたりのデータは18メガバイト、
1ギガのIBMのマイクロドライブをメディアとして使用した。
安定性の危惧されたそんなサイズのカードでも3万円以上したと思う。
Rawで撮ることはなく全てJpegで撮った。
ただたくさん撮ると閲覧がたいへんで、いいソフトのあった
ウインドーズにMacから乗り換えた。Macは、Fxから使用していたが
この時期、ジョブスが戻って来て、再建中だったので、中途半場だった。
スケルトンのiMacは魅力的だったけれど、パソコンはもっぱらスキャンとプリントウインドーズのほうが使いやすかった。
だからデジタルデータを原稿として入稿を始めたのは、D60 からだ。
D60 、CanonのJpegの出来はよく十分に思えた。事故も一切なかった。

それでも、まだまだフィルム時代、35mmもベルビアやプロビアで撮っていた。
1994年に撮ったアオザイの写真をインクジェットプリントするために、
コダックのラボでスキャニングをした。1枚18メガのデータになっていた。それをプリントするとA4ぐらいのサイズなら綺麗にプリントできた。
ついにデジタルが実用化された、仕事に使えると興奮した。
入稿のやりかたなどまだあやふやだったが、
フィルムは中判、もしくは4x5を使い、
35mmは思い切ってデジタルに切り替えてしまった。

30年も銀塩にどっぷりつかっていたのだ、仕事でデジタルが使えるなんて、新しいおもちゃを手に入れたようなものだった。
写真を始めたときには全く考えてもいなかったし、こんなに早く実用化されるとも予想外だった。

あれから20年以上が経った。
FUJI GFX100 Ⅱは、43.8x23.9mm、35mmフルサイズより二回りぐらい大きいセンサーは1億1000万画素と巨大だ。
一億画素というと5年ぐらい前かな、PHASE ONEのデジタルパックをテストしたことがあった。その巨大なカメラは、手持ちで撮るには難儀ですぐに手首が痛くなった。

それから比べるとFUJI GFX100Ⅱのなんとコンパクトなことか。
ファーカススピードも俊敏で使いやすい。
かつてフィルム時代、僕は撮影の前に、どのカメラで撮ろうか、どのサイズで撮ろうかと、毎回考えることから始まった。
一番小さなサイズの35mmは、CanonEos、中判の645、コンタックス、6x6のハッセルブラッド、67のマミヤRZ67、4x5のリンホフテヒニカ、8x10のデアドルフ。
仕事で一番使っていたのはマミヤのRZ67 だった。6x7のアスペクトが好きだったし、その描写も気に入っていた。
フィルムが大きくなれば情報量も増える。ただ僕は、情報量より、写りかた「たたづまい」を重視していた。
カメラにフォーマットによって、そのたたずまいが全然違うからだ。
たいてい、瞬時にどのカメラで撮るかは決まる。
もっとも車で行くロケなら、35ミリから8x10まで全部持ってゆくこともあった。アシスタントがいなければ撮れない写真だ。
一人で撮るときは、35㎜かハッセルブラッドだった。
アシスタント中から使っているので、
眼をつぶっていても使えるからだ。

GFX100Ⅱをすこしテスト撮影した。
デジタルは確実に進化している、スマートフォン進化が著しく今や背景をぼかすことだって簡単だ。
記念写真や自撮りはだったら、普通のカメラと比べても断然有利だ。記録すると言うことに関して言えば、スマートフォンは、これまでのカメラを超えた。ネットワークまで入れたら、独壇場だ。

デジタル時代になって撮れなくなった写真を考えてみた。
そう、かつての大判カメラのような写真が撮れない。
今や解像度や情報量は、はるかに銀塩を超えている。
GFX100はなんと1億1000万画素だ。
そんな高画素のカメラで、銀塩時代のような雰囲気の写真が撮れるだろうか?

リンホフテヒニカ レンズ シュナイダースーパーアギュロン65mm f8

↓以下の写真フルスクリーンにすると大きく見えます。

1997年アサヒカメラ 沖縄名護 リンホフテヒニカ 45 65mmf8 プロビア
このカメラにこのレンズの組み合わせがお気に入りだった。大型カメラは独特の雰囲気がある。
1996年 OP誌 イギリス特集 エミリーブロンテが育った土地 嵐が丘 レンジローバーでイギリスを走り回った。

”シノゴな風景”とは、銀塩時代は四五フィルムを使った写真だ。この4対5というフォーマットは、ある特殊な世界を描くことができる。
35mmの2:3とも、スタンダードに近い、4:3よりも横幅は狭い。かといって1:1の正方形のように写真が静止しているわけじゃない。
なんでこのサイズが生まれたのかは分からないが、インチの額や、印画紙は皆このサイズを基準に作られている。昔、世界的なグラフ雑誌「ライフ」は、使用する写真の多くがこの四五サイズに統一されていた。
35mmだろうか、正方形だろうが、基本プリントは4x5 が多い。統一感を求めたのだろうか?それともこのプロポーションに何か意味が付加させたのだろうか。

一億1000万画素の、FUJIGFX100Ⅱに、かつての大型カメラ四五の雰囲気があるのか作品を作ってみた。データ量からみたら、8x10以上の情報量を持つ最新のデジタルカメラ。

かつての大型カメラは、手持ちで撮ることはない。三脚が必要だ。カメラを三脚に据えると、当然のように、水平垂直を取る。写真を光軸を、地面と平行にする。これが元来のカメラセットの基本だからだ。カメラの高さが水平線になる。大型カメラは、ティルト、シフトなどのアオリ機構がついている。FUJIGFXのシリーズにもシフトレンズがそろえられている。実は映像を撮るときにとても便利なレンズだ。スチールは、フォトショップで簡単にティルトやシフトは直せるが、映像では難しいので、かつて僕は、「世界の街道をゆく」の時、EosEF24 mmのTSレンズを多用した。

手持ち撮影は、水平線が傾くことが武器でもある。
現代のカメラGFXは、データ情報量は8x10を超えているが手持ち撮影が基本だろう。撮影はスナップのスタイルをとり、水平垂直をきちんと揃えると、大型カメラのように写るのが楽しい。
特にワイドレンズは、そんな基本通りに撮ると、かなり超ワイドでも、ワイドレンズのデフォルメを感じることなく表現することができる。

大きなセンサーは、背景をぼかすことに適している。もう一つ解像度だ。
フィルム時代、ルーペで毎日のようにフィルムを眺めた。写真を拡大してみるには、5倍ぐらいのルーペが最適だ。5倍のルーペで、35㎜のコダクロームやベルビアを見るとシャキッとピントが来ていて気持ちがいい。
ところが、ハッセルやマミヤの中判をルーペで見ると、35㎜ほごピントがすごいわけじゃない。それなのに印刷すると歴然とシャープネスが違う。
8x10のポジを見ると、ピントがあっているのか、ないのかわかりずらい。
写真の解像度は、粒状性もさることながら、拡大率の違いで、ずいぶん印象が違うことを学んだ。
35mmのレンズは、車でいえばF1のようなカリカリチューンだ。
中判はスポーツカー。
大判は、ゆったりいたおおらかな設計。そのおおらかなレンズが素晴らしく美しく描写する。
35mmフルサイズとGFX100Ⅱのセンサーサイズはフィルム時代のような差はない。それでも少しでも大きなセンサーは、どこかゆったりと余裕があるように見える。
そして4対5というアスペクト比が似合う!

FUJI GFX100 Ⅱ FUJINON 20mmx35mm
↓以下の写真フルスクリーンにすると大きく見ることができます。

代々木駅前広場にたたずむ女性。
このパースの付き方は、大型カメラのようなボリューム感が生まれる。
お祭りでもあったのか、イベントの出演者だろうか。会釈を交わしたが、声をかけるか迷った。というのも、光が綺麗すぎる。黙って、一瞬のできごとのように撮りたかった。
東京都内、代々木駅の踏切。山手線の唯一の踏切はすでに閉鎖されてしまったのだろうか?
眼が会う。光を撮っていたら、フレームへの闖入者。主体はどちらにあるのか。
バイクとNTT
明治通りと甲州街道は立体交差になっていた。


3月16日㈯、3月23日㈯の2日間、 CRP撮影会+写真集を開催します。


写真展が11月にあるので、毎月2回開催をすることにしました。
第3,第4土曜日の予定です。今回もPM12時半集合です。
~5時ぐらいまで。
もちろん、もっと朝早くからでも,別日に撮り足すこともOKです。
写真集は、ひとり30点を提出してもらいます。原則全カット写真集に収録さいます。
撮影は基本ストリートスナップです。人物を撮る場合、声を掛けるこも、声を掛けないで黙って撮ることもOKです。
その日は、撮影後、2次会があります。希望者は、お酒が飲めなくてもOKです。
その4月13日に、午後8時から、代々木の写真のビューイングがあります。
希望者は是非参加してください。勉強になります。

https://note.com/alao_yokogi/n/n597babf9228b

シノゴな風景 
 


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このマガジンは、ノンフィクション「ロバート・キャパ最期の日」の本文と本には載せられなかった写真など、きめ細かく紹介してゆきます。少なくても20回ぐらいのマガジンになるので、まとめ買いのほうがお得です。

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