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誕生日とCRP撮影会+写真集

3月19日は、わたくしの誕生日であります。72歳になりました。
多くの方からのメッセージありがとうございます。68歳で大病してから4年まだしばらくは生きているようです。
ついでとは何ですが、3月27日に月一度のCRP撮影会+写真集を開催します。昨年から、コロナ禍においても、かかさず毎月続けてきました。
常々、屋外の空気を吸いながら散歩することさえご遠慮願いたいとの、お上からの要請には疑問がありましたが、晴れて、気をつけながら開催します。
場所は門前仲町界隈。
江戸深川といえば、かつての下町の中心地、東京空襲で焼きつくされ、戦前からの建物はすべて焼失、富岡

↓ 撮影会、写真集申込は下記から

八幡宮は1956年再建されたそうです。なので本当に古いものはなにもない。というものの、訪れると、空間のあり方は、ご利益がありそうなある種の雰囲気があります。
10時半に富岡八幡宮の鳥居に集合して、撮影。
その後、そこらでお昼を食べ、夕方まで撮影をします。
その写真は、4月3日の夜に、希望者による、オンラインビューイング、批評会、そして、それぞれひとり20~30点の写真を持ち寄り、一冊の電子版写真集にまとめます。
撮るだけではなく、まとめて、残す。勉強にもなるし、皆で、今の東京のありようを残す、運動でもあります。
是非参加してください。

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今から、72年前の今日僕は、千葉県市川市国府台にある、国立国府台病院で生まれました。病院はぼろぼろで、母は窓のガラスが割れていて寒かったといってました。
そんな母は現在99歳。足腰は弱ったものの、頭しっかりしていて元気でしたが、2月初めに台所で転んで、大腿骨骨折で救急搬送。手術をしました。
高齢者がこのようなけがをすると、それだけでボケが進行し、リハビリができずに、死にいたるということもあると、主治医は語ってました。
母は、いろいろな病気持ちの弟(僕の弟)と、伊豆のほうに暮らしていて、4,5年前まではひとりで東京に出てくるくらい元気でした。
このところ足腰が急激に弱り、それでもスーパーのカートをひとりで押しながらだと、1時間ぐらい平気で買いものをしていました。
それが突然の入院。しかもコロナ禍で、会うことがまったくできないありさま。のどを痛めていて、その治療もできない。なので電話ではよくコミュニケーションができない。病院によって、手術の時には会うことができるところもありそうですが、それもだめ。筆談と看護師を通しての会話。人権侵害だなと。
なので昨日ようやく退院でき、2ケ月以上ぶりの再会
血色もよくただ車いすはしょうがないとしても、声はかすれて聞きづらいもの、よくしゃべり、のんびり本ばかり読んでいたといいます。
僕なんか小さな活字は読みずらいといのに、まわりの看護師たちにも驚かれていたようです。
母は大正生まれ、福島県須賀川生まれ薬局、九人兄弟の上から2番目、勉強が得意だっとそうで、安積女史卒業後銀行に勤め、すぐに日大芸術学部の文芸学科に行き、その時、女子はふたりだけだと言ってました。
戦争中は、文学報国会で事務や秘書をして多くの作家の手伝いをしたそうです。戦後、新聞記者だった父と結婚し、僕を産みました。
テルテル坊主で有名な、浅原六郎に師事し、ずっと俳句をやっていました。僕の名前、安良夫は、生まれた時父は、「太郎」という名前にしようとしたところ、国立病院前にある石橋米店のバカ犬が、タローなので絶対いやだといったら、じゃ君がつけろということになり、福島安達太良山と万葉仮名(安と良)と、あとは直観でつけようです。
変わった名前だったので、父親、皆に、いちいちどういう由来なのだと質問され、面倒になり、弟は自分の謙(上杉謙信の謙)と二、謙二と普通になずけたようです。

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母が元気だったので、昨日の夜には東京に戻ってきました。
明日は、JamPhotoSchoolライティングの最終日、先週はどしゃぶり、明日はなんとか曇りで済みそうなので、安心しています。僕が参加者の写真を撮り、その後クリップオンストロボの使い方、それと日中シンクロのやり方の講習をしようと思ってます。
このシリーズ、3回連続はちょっと敷居が高かったのでの、今度は一日のワークショップを開催するつもりです。

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