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ALAO YOKOGI PHOTOGRAPHS AYPC

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今や写真は人類全員が撮る時代。 写真を通して、現代社会を考えてみようと思っています。
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CRP FOTO Kindle 写真集 JR目黒駅界隈 撮影会+写真集+写真展 BY11photographers.…

明日4月21日PM5時から26日㏘4:59分まで、だれもが無料でダウンロードできます!↑是非ごら…

ヨコギアラオが18才~26才のプロになる前に撮った写真集。「あの日の彼 あの日の彼女…

あの日の彼 あの日の彼女1967-1975  写真を始めたのは小学校3年の終わり、3月の誕…

Linhof Technika リンホフテヒニカ4x5(しのご) vol.01 

TOPの写真、装着されているレンズは、伝説の超ワイドレンズシュナイダー スーパアンギュロン …

vol.05 沢木耕太郎「一号線を北上せよ」の憤慨!

vol.01 vol.02 vol.03 vol.04 vol.05 vol.06 「サイゴンの昼上がり」を読んだ沢木耕太郎は200…

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vol.04  沢木耕太郎との関係、そして「ロバート・キャパ最期の日」

vol.01 vol.02 vol.03 vol.04 vol.05 vol.06 沢木耕太郎とは、一度だけ会ったことがある。横…

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CRP撮影会+写真集 つぎはJR原宿駅界隈 2月17日と24日に2日間、どちらでも、両日で…

写真は、先月JR渋谷界隈の撮影会で、宮下パークでスナップした魅力的な女性。もちろん断って撮…

vol.03!1994年「ベトナムと出会った」はじめて自分のテーマに巡り合った。

vol.01 vol.02 vol.03 vol.04 vol.05 vol.06 1994年10月 初めてベトナムを訪れる 1994年、小説家矢作俊彦が「ベトナムに行こう」と言った。 ベトナムは、僕の世代にとって特別な国だ。 60年代から70年代にかけて、世界的に反戦運動が活発になる、 スローガンは、「ベトナム反戦」だ。 僕は、ベトナムと言う国の名前を何度叫んだろうか。 100回や200回では効かない。 ただ実際は、僕は、ベトナムの何も知らなかった。 はじめてベトナムを訪

vol.02 1985年12月 ニコンサロンで写真展を開催した。自分の写真が何か求めていた。

vol.01 vol.02 vol.03 vol.04 vol.05 vol.06 1985年12月3日~7日 横木安良夫写真展 THE DAY …

vol.01 演出したファッション写真か、それともスナップか?  フィクションかリア…

vol.01 vol.02 vol.03 vol.04 vol.05 vol.06 このアオザイの写真の初出は、1994年の暮れ、か…

NikonSalon京王プラザ内 横木安良夫写真展 THE DAY BY DAY~特別な毎日~   1985…

1985/12 SHINJUKU NIKON SALON KEIO PLAZA B/W 40PRINTS 横木安良夫 1975年フリーの写真家と…

06 ぼくのアサヒカメラ 1974年 、アシスタントの最中にアサカメに4p掲載された。

1972年の1月から篠山紀信(敬称略)のアシスタントをしていて、入った時、2年で独立しようと思…

サイゴンの昼下がり 彼女を通りで見かけた時、僕はヴェトナムの虜になっていた。 

1994年10月 ベトナム、H・C・M・C(ホーチミン市・旧サイゴン市)の中心部。 サイゴン地区…

Robert Capa「崩れ落ちる兵士」の写真が、すでにパブリックドメインになっていること…

ことし、2024年5月25日は、ロバート・キャパ没70年だ。1954年5月25日午後3時10分ごろ、ベトナ…

写真家 達川清が亡くなった。

達川清は、友達ではない。最初に知ったのは、大学3年か、4年、ファッション誌流行通信の前身にあたるモノクロの“流行通信”。学生の分際で、日芸の達川清と細谷秀樹がすでに活躍していた。てっきり一つ上の先輩だと思っていた。猛烈に嫉妬した。写真自体は覚えていない。 僕は、1972年カメラ毎日「アルバム」に採用されたが、その時はすでに、篠山紀信さんのアシスタントになっていた。修行時代だ。そんな時、細谷秀樹と達川清は、ファッションカメラマンとして特に活躍が目立っていた。 まだあの時代、グラ