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【小説】カレイドスコープ 第6話 恭平

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 検査台の上でうつ伏せになり、全身麻酔を掛けられる準備をされた瞬間、恭平は急に不安になって動悸が激しくなった。

 後悔はしていないのだがいざその瞬間になると、自分の臆病さが首をもたげてくる事実に苛立ちを感じ、不安を打ち消すために吸引器での麻酔ガスを一気に吸い込んだ。

 立ち眩みのように意識が混沌としていく中、ドナー登録が成立して意気揚々と病院まで足を運び、骨髄液の採取が行われることに対してちょっとした使命感を感じていた数時間前の自分を思い出していた。

 先日ヤクザのマンションの清掃をした際に、一緒に働いた芳川泰人と共に勧誘された仕事をする事となり、話が進む中業務に携わるには保険も絡む為に健康診断書の提出が必要だという事を知り、早速検査の出来る病院を検索して予約を取った。

 訪れた病院の待合室で診察を待っていると、大きな液晶テレビに流されているVTRに、個性派俳優としてその地位を確立していた男が骨髄液のドナー登録の必要性を説いていて、今までは何も感じる事も無く流し観していたはずのCMだったはずなのに、妙にその時は気になってしまい、検査終了後にドナー登録のパンフレットと申込書を一緒に持って帰っていた。

 恭平は家を出て以来、とにかくがむしゃらに働いて迷惑をかけてしまった実家に対して償いをしようとしてきた半面、自分の事はどうにかなるだろうと高をくくっていたところもあった為、日々自尊心が削られていく環境に置かれている中、気が付けば誰からも自分は必要とされていないんじゃないかという孤独を強く感じる瞬間も幾度か経験をする事になった。

 そのような時に、自分の存在が確かに何らかの形を伴って社会貢献として繋がれると感じる事の出来るこのドナー登録は、恭平と社会を繋ぐ事の出来る細い一本の糸としての役割となった。

 また恭平が小学5年生の頃にインフルエンザの疑いのせいで大きな病院に行った際、ついでに受けた血液検査の結果が予期せぬ回答であったのも、今回のドナー登録を決めた要因の一つであった。

 自分が2000人に一人の割合でしか発現しないという、RH-のAB型の血液型である事を知った時は、自分が特別な存在であるかのような高揚感を当時は味わったが、年齢を経るに従って特別感は薄れていき、友人たちからは逆に怪我や病気になったら輸血をしてもらえないかもしれない可能性についてからかわれたりして、気が付けば自主的に血液型を他人に教える事は無くなっていた。

 だからこそ恭平はドナー登録をする事で、どこかで苦しんでいる誰かを助けられる可能性が強いのでないかと思い、まるで自分の荒んだ生活の免罪符を得るような気持で登録をしたのだ。

 麻酔から目覚めると腰のあたりに鈍痛が残っていたが、もやもやしていた気持ちが晴れて達成感を感じ、束の間ではあったがかつて家族と一緒に暮らしていた時のような、心の中の平安を久々に感じる事が出来た。

 恭平が呼ばれた事務所は築年数の古い雑居ビルの中にあり、パーテーションで区切られただけの形だけの応接間に案内されると、そこにはこの部屋には似つかわしくない官僚のような身なりの男が二人ほどいて、恭平の履歴書と健康診断書を交互に眺めながら恭平の到着を待っていた。

 最初に部屋のドアを開けた時には、前回の仕事で出会った堅気に見えない男が先に現れたので、中に入るのを一瞬躊躇われたのだが、男が以前に見せた気性の荒さは無く対応も素っ気ない物であったので、取越し苦労に胸を撫で下ろして中に入っていった。

 応接間に居た二人が恭平の存在に気付くと、ソファへ座るよう誘導して様々な質問を投げ掛けてきた。

 「君の健康状態を確認したが問題は無さそうだ。 おおまかな話は聞いているだろうが、形としては遠洋漁業の船員として従事してもらう事にはなるが、してもらう仕事の内容は海底火山噴火後に於ける近隣海域の調査になる。」

 前回の仕事の後に何度か事務所の男と連絡をやり取りしたが、健康診断書が必要であるとか、勤務期間は2カ月を超えるとか断片的な内容だけは聞いており、肝心の職務内容については知らされていなかったので、今回ほぼ初めて仕事の詳細を聞いたと言っても過言では無かった。

 「調査と言っても、何も専門知識も無くても大丈夫なんですか?」

 恭平は至極当然な疑問を投げかけると、座っている官僚風の男達はお互いに顔を見合わせて、まるで学生に話しかけるような口調で説明を始めた。

 「あまり今回の仕事の内容を聞いてないようなので、改めて説明させてもらう。 君の今回の役割は、遠洋漁業の見習いとして船に乗り込んだ船員だ。 勿論船に乗り込む前には仕事の基本的な形を覚えては貰うが、それはあくまでポーズとしてだ。 漁船に偽装された船は海域の地殻変化に関しての調査をするように作られていて、レアアースの鉱脈の有無を確認するようになっている。 ただ今回は日本最南端の沖ノ島以南の排他的海域での調査になるから、大々的に日本の船が作業を行っていると世界に知られるのは良くない事になる。」

 恭平が思い描いていた仕事の内容より、はるかに想像の範疇を超えている案件に対し、正直どのように反応して良いかすら分からず、相手に対して曖昧な相槌に見えないよう、若干強めの相槌と返事を繰り返しながら、心を落ち着けるよう静かに深呼吸した。

 「後聞いているとは思うが、この仕事に従事する原則として箝口令を敷かせてもらう事を大原則にしている。 仕事を終えて陸地に戻ってからの生活の中で、一生涯この事を誰かに話すことを禁止する。 万が一この話が誰からか漏洩した事が分かれば、漏らした人物のみならず、その近親者に於いてもなんらかの制裁が加えられるだろう。 まぁ30代半ばのサラリーマンの一年で稼ぐ平均額より多くの報酬を2カ月で貰えるのだから、当然だとは思ってもらいたいがね。」

 恭平は口の中に溜まった唾液を飲み込むのを悟られないよう、ゆっくりと喉を動かしながら平静を装って首を縦に振り、出来るだけさり気ない口調で二人に質問をした。

 「あの、この仕事を遂行中に考えられるリスクって、どのような事があるんですか?」

 「リスク? そうだな。 確率的にはとても低いが、海賊が近くの海域で活動しているから襲撃されるかもしれない可能性と、仮に他国の船に作業を見つかった場合は、国際問題になる可能性も無いとは言えない。 最悪のケースがあったとしても、拿捕されてしばらくは日本に帰れないくらいだろう。」

 スラスラと口上を続ける男には、仕事の内容に対して深刻さの欠片さえも感じる事が出来ず、恭平は片足だけでは無く、既に両足が超えてはいけない一線を越してしまっているのをひしひしと感じた。

 「一応便宜上は漁船での作業員として搭乗するから、保険を掛ける事が必須となっている。 掛け額については内容を読んで決めてもらっていいが、まぁ一種のカモフラージュの為だから、そんなに真剣に考えなくても大丈夫だ。」

 手渡された書類に目を通していると、パーテーションの向こうからテレビの音声が流れているのが耳に入ってきて、その騒がしさが気になってしまい、あまり保険の内容が頭の中に入ってこなかった。

 聞こえてくるワイドショーの中で特集されていたのは、最近話題になっていた芸能人2世のアーティストデビューについての報道のようで、急にデビューコンサートが中止になったせいもあり、様々な憶測が世間に待っているようであった。

 あまり芸能人に興味が無い恭平でさえその名を知っている俳優の娘が、満を持してアーティストデビューをするという直前での出来事だったので、コメンテーターも面白おかしく話を盛り上げているようだ。

 なんとか保険の内容を把握しようと集中力を高めて読み込んでいくと、今度は隣からパーテーション越しに恭平をこの仕事に誘った男がワイドショーの内容に対して高笑いの反応を示していて、再び恭平の集中力を削ぐ形となった。

 その笑い声は事務所のドアを叩くノックで途切れ、訪問者と男がしばらくドアの前でやりとりをしている様子があったが、どうやら恭平と同じように今回の仕事の詳細を聞きに来たようだったので、泰人が来たのだと思い振り返ると、パーテーションの向こうから現れたのは、30代半ばと思われる恭平の見たことの無い怯えた目をした男だった。


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