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57歳にして初めてDJをやってみた。

「来週僕たち海外出張だからさあ、その時のミロンガ閉めるのはもったいないからM子と一緒にやってみない?」

先週のミロンガ=タンゴのダンスパーティーの時、私のアルゼンチンタンゴの師匠から突然言われた。

「いいですよ。準備とかですよね」

「いいや、DJ」

「え?」


予兆がまったくなかったわけではない。

腰椎ヘルニアで動けなくなった時、タンゴをつづけるにはどうしたらいいか、という事態になり、踊れなくてもいいという消極的な理由で、DJってどうだろうと考えたことがあった。

タンゴのフェスティバルで会ったDJの大御所にお伺いをたててみた。

「タンゴDJってどうなんですか?」

「言っておくけどねえ、報われないよ」

「どういうことですか?」

「だれも音楽の準備が大変なことなんて気にもしないし、音源の管理も大変だよ」

「そんなに大変なんですか」

「大阪の師匠のところで習ってんでしょ、聞いてごらんよ。踊っている人はそんなこと何も気にしない。どの楽団やどの曲、ということすらまったく気にしないで踊る人が殆どですよ。あとね、前日は眠れなくなるからね」


DJというと、スクラッチとかミキシングを想像するかもしれないけど、アルゼンチンタンゴはそういうことは全くしない。古い音源のノイズをとったりする作業はあるようだけど、単に選曲するだけだから簡単だと思っていた。


練習会の帰りに地下鉄で一緒になるNさんに

「来週選曲することになったけど、どんな曲がいい?」

「ほら、映画のあの曲」

「ポル・ウナ・カベサ? 有名だけどミロンガでは殆どかからないよね」

「なんでですかねえ?セントオブウーマン、シンドラーのリストとか、映画でタンゴっていうとこれですよね」

「原曲が有名すぎるからかなあ。他のメジャーな楽団がアレンジしたバージョンもミロンガでは聞いたことがないよね」

映画やタンゴのコンサートではメジャーでもミロンガでは、ほとんどまったくといって掛からない。なぜだろう? 曲を選ぼうとすると色んな疑問が生じてきた。


別のミロンガで、タンゴ歴もDJ歴も長いRさんを見つけて聞いてみた。

「いくつか理由があると思うよ。まずカルロス・ガルデルのは歌を聴くというために作られている。当時もガルデルが歌うと、みんな踊りをやめて聞いていたらしい」

「でもそれはこの曲が現代のミロンガでかからない理由にはならないですよね」

1タンダは3曲その後に流れるコルティナ(英語ではカーテン)というタンダを区切る音楽を合わせるとだいたい10分。2,3タンダごとに、ワルツ、あるいはミロンガ(ダンスパーティーのミロンガとは別の種類の少しテンポが違う音楽)が入る。

今回のイベントは150分だから、だいたい3x15曲=45曲を準備していけば十分だろう。

さっそく「ポル・ウナ・カベサ」を入れたタンダを作ろうとすると壁に当たった。まず、ガルデルのオリジナルにするか、他の楽団のアレンジをするか、音楽サイトの音源を聞きまくった。これだけで1時間以上の作業だ。

結局選んだのは、ガルデルの原曲ではなくて、最近の他の楽団が弾いたのを選んだ。これにあわせる他の2曲を決めるまでさらに3時間かかってしまった。

後は踊りに来た人が来て楽しめる曲を選ぼうとした。人気があるのは1930年から1950年ごろに録音されたアルゼンチンタンゴの黄金期の録音だ。それぞれの楽団で音楽の流れが違う。ダリエンソ楽団は、キレの良いテンポとスタッカートが特徴で、ディサルリ楽団は、流れるような音楽だ。それに長調や短調など曲想が豊かになるように選曲していった。


「私も曲持っていっていい?」

M子から連絡が来た。M子はショートカットで自由な雰囲気がある。

「もちろん。その分私が楽になるからありがたい」

「じゃあ3タンダ分好きな曲選んでいくわ」

(どんな曲選んで来るんだろう?)


そして前日になった。作ったタンダが踊りやすいかを確認するために夜になって通して聴いてみた。流れが悪いところが見つかって入れ変えたりするうちに朝方になってしまった。

(眠れないってこのことだったのか)

夜8時から始まるミロンガ。会場には30分早くついて音響の確認とかをしていた。そばらくしてM子と女性が数人集まった。

ん、女性ばかりだ。ミロンガは男性と女性が同数いないと困ったことになる。私一人に女性5人。

(どうしよう)


そう思っているとSさんが来てくれた。Sさんは私も教わったことがあるベテランである。

それから次々にベテランダンサーが集まった。男女のバランスも良くなっていった


私の選曲で皆さんが楽しんで踊ってくださっているようではあった。途中からM子の選曲に代わってもらった。

ところが楽団もバラバラ、1タンダ目はタンゴ、2つ目はワルツ、3つ目はミロンガ、という定石を破る構成だ。

(なんて自由なんだ)

彼女の選曲を聞いて羨ましく思った。

そういえば、私がタンゴを始めた2000年ごろ、アルゼンチンタンゴの音楽はいわゆるヌエボ・タンゴ(新しいタンゴ)が流行っていた。ヌエボでは古典タンゴには通常入らないドラムが入ったりエレキギターが入ったり、色々な音楽のリミックスが試されたりという時代。これらは今は全くかからなくなった。その時と比べると、最近のミロンガでは古典タンゴが中心だ。古典タンゴは踊りやすいのだが、せっかく師匠が出張している間だ。もっと違う曲を掛けて冒険すれば良かったな。

ミロンガは大盛況だった。
ただし、失敗もあった。
「音が大きすぎる、もう少し下げて」
「今度は小さすぎるから大きくして」
(まだ音量の調整もできないひよっこDJ)
「2曲目で盛り上がり過ぎて、3曲目やめちゃったよ」
(聞いて選ぶのと、実際に踊ってみるのでは大違い、真ん中にクライマックス来ちゃったよ)

その晩は仙台や東京、そしてロンドンからも旅人が踊りに来た。
ミロンガは世界中の都市で開かれている。
アルゼンチンタンゴは言語の壁を超えて世界中の人々とコミュニケーションをとることができる秘密結社みたいなものだ。
私たちのミロンガも世界のネットワークの端っこに確実に存在した。

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