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YouTube市場が制圧されたとき『Win Win Wiiin』と鐘が鳴る

「プペル」という固有名詞が「する/くる」のような動詞的響きを持つからか、映画公開以降また一段と存在感を放っている。「プペろうぜ」「プペってきた」など、どこまで狙いに沿っているかは知らないが、もともと「プペってんなあ」と西野亮廣がイジられる場で耳にすることが多かった動詞が、ついにはファンを中心に「80プペル」「3プペ目」なんて単位として活用されていて驚いた。

それに比べ我々「アララ」という名前で活動しているのだが、なんとも後手後手に回ってため息ついているような、情けない響きだ。お茶こぼしちゃった、あらららら・・・

名は体を表す、一事が万事。
noteでため息ついてる私が最近見上げた名前だなあと感心するのが、

『Win Win Wiiin』

中田敦彦・宮迫博之(以下、中田・宮迫)がYouTubeで配信している番組名である。ウィン・ウィンの関係にさらにもう一つ、ダメ押しのウィーンは、「武勇伝」「PERFECT HUMAN」に次ぐ、非常に中田敦彦らしいネーミングだ。

YouTube紹介YouTubeという発明

『Win Win Wiiin』は、ホストである中田・宮迫がゲストを招き、ゲスト本人の紹介プレゼンを中田が行いながら、経歴や展望について深堀していくトーク番組だ。「わかっている」中田が、「視聴者的」目線の宮迫(+『アメトーーク』そっくりの観覧席に座る、ホストたちのフォロワー)にゲストの経歴をストーリー化して聞かせる。

この番組の趣旨とセンスは、すべて「win」に表れている。
「Win Win Wiiin」とは当初、長尺の番組動画を分割し、中田・宮迫・ゲストそれぞれのチャンネルで配信することで、視聴数や認知といった「利益」を等分しようという試みからつけられた。
ゲストを「Winner」と呼ぶ演出もそう。中田から”正確に”プレゼンされることで、自身の活動や哲学への理解を視聴者に深めてもらえる=イメージアップのおまけがついてくる。

このおまけがどう影響してくるか。
中田のプレゼンによってゲストへ興味・好感を抱いた視聴者は、番組を見終わってすぐ、概要欄に記載されたゲストのYouTubeチャンネルへアクセスしたくなる。
つまり『Win Win Wiiin』は日本初、YouTubeチャンネルを告知するYouTube番組なのだ。

これは、新しいメディアだ。
テレビ出演者が自身のYouTube活動を告知したり、ラジオやイベントでYouTubeを宣伝をしても、視聴者は現在地や開いているページからYouTubeを開くには幾つもの段階を踏まざるをえない。同じスマホ上とはいえ、ツイッターやインスタなどのSNSからYouTubeへ誘導することは、意外に気持ちやテンションが食い違ったりする。
最適解として、YouTube動画から別のYouTubeチャンネルに飛ぶまでの手間は圧倒的に少なく自然だ。「コラボ動画」として出演者が互いのチャンネルに出演する文化こそ「視聴者=再生数=利益」を共有するための構造なのだが、特定の動画から特定の動画に移ることは、チャンネル全体を推す(登録)という、本質的な利益にはつながりづらい。

例えばテレビや雑誌などのメディアが飲食店を紹介するとき、メディアの役割は視聴者をお店へ足を運ばせることだ。そこで何を注文するかはお客さん任せだが、店へ向かわせることさえできれば、お店はメディアに出演したメリットを得られる。
タレントが自身のメディアを持つことが当たり前になり、無料の動画コンテンツが充実したことで、YouTubeという町の商店街は迷宮化している。
そんななか、商店街で煌々と光る無料案内所、それこそが『Win Win Wiiin』なのだ。

「ストーリー」ミシュラン

これまでのゲストは。#1手越祐也、#2西野亮廣、#3山本圭壱

「・・でも実際こんな人なんですよ」「事務所ストップも忖度もないこの場所だからこそ、全部聞きます/ご説明できます」のスタンスがウリだ。

自身に対する理解度がバラバラである視聴者を前提に、大衆性を重んじるテレビで自分を知ってもらうことの難しさを感じるタレントからすれば夢のような番組だろう。

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先ほどの話に戻るが、YouTube市場は店の数が多い。
売り物は基本的にコンテンツとされているが、サブチャンネルなどの扱われ方からもわかる通り、意外と視聴者は店の味を「YouTubeで活動する店主のストーリー」から判断する。
「急上昇ランキング」という好環境がないこともないが、基本的に出店場所に差異はないのがYouTube。「視聴数」という貨幣を持った視聴者は、「時間」という財布からそれらを消費し、店に利益を落としていく。

しかし、これらはすべて店主側の目線だ。
そもそも視聴者は、自身の「視聴」を「貨幣」だとは思っていない。
面白いから見るだけだ。視聴者は、チケットを買った観客ではないのだ。
だがYouTuberが職業として認知され始めてから、視聴=応援という方程式は浸透してきた。
視聴者が無意識に獲得している「貨幣」と、応援したくなったときの気持ちの相性はすこぶるいい。そのとき、応援してもらいたい側が提供すべきは、ストーリーだ。
ストーリーは売り物になる。

視聴者にとっての良きガイドに見える『Win Win Wiiin』は同時に、
YouTuberにとって、目玉商品をプレゼンしてくれる最高のストーリーテラーなのだ。

「わかる」の味はヤバい

視聴者の視点に戻る。
『Win Win Wiiin』は、ゲストのストーリーについて「わかる」ことを促す番組だ。

「わかる」ということについて、例えば西野亮廣が自身の”炎上”しやすい原因について話すときによく使う言葉がある。
「人はわからないものを、不快に思い、嫌う傾向にある」
だから逆に、「人はわかったものを、親しく思い、好む傾向」を西野は採用した。オンラインサロンの月額1000円というラインを設けることで、「わかる」気がある人だけで集まれる場所を作った。

「わかる」は気持ちがいいし、安心する。
しかしそれは、知性ではなく感情の問題であると忘れてはいけない。

西野を師匠と仰いだ中田(彼もオンラインサロンを運営するが)が選んだのは、自分ではない人物・出来事・作品に「わかる」を与える伝道師になることだった。エクストリームに「わかる」を促す彼のチャンネルがヒットしたのは、気持ちがいいらしい。
『Win Win Wiiin』はそのバージョンアップ版にあたる。「わかる」の対象本人を招くことで、「わかる」の解像度や真実味も上げていく試みだろう。

しかし、そもそも(テレビ)タレントは、根拠や事実が存在したり、過去の研究や証拠をもとに検証したりできる対象ではない。良くも悪くも、虚像を扱う商売にパーソナルな真実味は必要とされてこなかった。
これは、直接ファンに支えてもらうYouTuberとは真逆のビジネス構造だ。

「タレントはイメージ商売」なんてよく言われるが、これは下の句に「だからイメージを損なってはいけない」が隠された言葉でもある。
しかし、タレント自らイメージに関して自己防衛できるSNS時代が訪れ、
今や「タレント自ら商売ができる(これまでは雇用に過ぎなかった)生み出せる利益は自分次第」の状態がメジャー化した。

世間から不快だと思われたらおしまい、という状態はひっくり返りつつある。
タレントにとって「スキル」の重要性は下がり、キャラクター、イメージ、ストーリーに観客を巻き込める力、これらの価値が膨らむ市場が発展する只中。
そのとき、タレントのストーリーを再定義し「わかる」を実現させることに長けた『Win Win Wiiin』は、強力なタレント再生工場になるのだろう。

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宮迫のストーリー

ゲストのストーリーをプレゼンする一方、『Win Win Wiiin』自体にもストーリーが組み込まれている。
宮迫博之の存在だ。
『アメトーーク!』でテレビ復帰したい・吉本興業に戻りたいと名言してきた宮迫の隣に座るゲストたちは皆、芸能事務所を意識させる。
ジャニーズを退所した手越、自分の会社と吉本興業との関係を調整して活動する西野(出演は退所前)、謹慎後に復帰した山本。

宮迫の復帰、ひいては芸能事務所の矛盾や忖度について考えるよう視聴者に促すつくりになっている。
櫻井翔が主演を務めた『クイズ☆SHOW』というドラマを思い出す。
記憶喪失のクイズ番組司会者(櫻井)が、毎週プロデューサーの言われるがままにゲストと1対1で番組を進行するのだが、ゲストに訪れる人たちはみな、彼の記憶喪失に関連する事故の当事者たち。個人的な質問が出題される番組を通して、司会者は少しずつ自分と事故の真実に迫っていく。

『Win Win Wiiin』は、世間が理解を示した状態で宮迫の復帰を実現させるまでを追いかける裏テーマがある。
タレント個人で影響力を持つことや、事務所に管理されながら活動することなど、タレントビジネスのメリット・デメリットに毎週異なる角度から光を当てる狙いが、見えてきた。

ストーリーのリスク

となると、宮迫の復帰やYouTuberとの利益共有を目的にした番組と、どんな距離感をとるべきだろう。

『Win Win Wiiin』で面白いとされるのは「わかる」快感だ。
しかし、扱う商材がストーリーである以上、視聴者が気を付けなくてはいけないのも事実。

人は事実の列挙より、ストーリーのほうが「わかり」やすいうえに、「わかる」は感情に依拠する部分が大きい。

ストーリーが滑らかで「わかりやすく」感じるとき、そのストーリーが――ひいては、僕たちの解釈機能が――ただの前後関係やただの相関関係を「因果関係」にこっそりスライドさせている可能性があります。そういう意味で、滑らかなストーリーの形をしたものはしばしば危険でもあるのです。(千野帽子『人はなぜ物語を求めるのか』ちくまプリマ―新書)

YouTubeならではを謳う一方、番組のコメント欄は「テレビ」であふれる。
「テレビみたい」「テレビより面白い」「テレビでやるべき」・・・
しかし、「わかる」と「正しさ」をそのまま接続するリスクは、テレビ番組もYouTubeコンテンツも変わらない、むしろ、公共性という縛りのないYouTubeでの深堀トークは、タレントの印象やストーリーが操作されてしまう可能性も大いにある。
正しくない情報で不快が発生するのは日常茶飯で敏感になれるが、
正しい情報を編集したストーリーに心地よくなることに対して自覚的であることは難しい。
公共性や大衆性が約束されない場所で、ストーリーを提供する側たちの「win=利益」だけが約束されている状況は、面白いかつまらないかだけで二分できるほど安全なものではないのだ。

イイから売れるのではなく、売れるようにストーリー設計したから売れる。
だがその場合、その商品がイイとは限らない。

「YouTube大学」を始める以前、2018年10月から翌年3月まで担当したラジオ『中田敦彦のオールナイトニッポンプレミアム』を思い出す。
「PERFECT HUMAN」で成功を収めた中田が、次にアパレルブランド「幸福洗脳」を立ち上げてから利益的な成功を果たすまで、実験の過程を毎週報告する番組だった。
”Supreme”のように、ただ「幸福洗脳」と印字された1万円のTシャツを売るためにまず中田が考えたのは、仕組みの裏側やフィクサーの想いが「わかる」快感をくすぐって、共犯意識を掻き立てることだった。
俺の笑いは達成する笑いだと”PERFECT HUMAN”は言う。自分の能力が試されるスリリングな環境で自己実現=実験を重ねることにやりがいを感じるのだろう。そのときの能力は、芸や質というより、ビジネス的視点だ。

だから、達成の指針が利益になるのは自然なことだし、番組名「Win Win Wiiin」にある通り「win=利益」の概念は不可欠だったのだ。
さて。「win=利益」の土俵にいる人が枕元で語るストーリーに対し、視聴者はぐっすりと安眠していいものか。


(オケタニ)



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