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そうだ、同人誌(小説)を作ろう

急に、今まで毎年のルーチンだった予定がとことんなくなり、メインの仕事と家との往復の毎日になった。

そこで、思わぬ時間ができた私は思い立った。
全く違うことやろう。

「そうだ、本を作ろう」

といっても、自費出版と聞いて思い描かれるような創作小説やエッセイなどではなく、二次創作である。大声で言えるものではない。

実際に何からやればいいんだろう?は次の記事から↓

ここからはただの同人誌と私みたいな思い出日記です。

※小説を書こうと思ったけど書き方が…という方は、そっちは本物の物書きさんたちやらプロの編集さんやらがたくさんまとめてくださっている記事があるので、そちらを是非参考に!
【小説 書き方】【小説 人称】【小説 ルール】
この辺りで検索すると、「……」の使い方とか「?や!のあとにスペース入れる」だとか色々知ることができますよ!
人称は私も未だによくわかりません!!!
読み返して、文章が変だなってならなければとりあえずいいかと思っています。

基本的に漫画とゲームで育ってきたオタクなので、ずっと「印刷所にお願いしてちゃんとした本が作りたい」という願望はあったのだ。
ここでの"ちゃんとした"というのは、印刷所を通してきちんと装丁の施された”本”という形を成したものという意味だ。

今でこそ、同人誌即売会は市民権を得ていると言えるだろうが、〇十年前にはそれこそ内輪だけのお楽しみ、みたいな雰囲気があったように思う。
初めてイベントに一般参加した時の感動は忘れられない。
これだけの人が!自分で!紙にかいた何かを本という形にしている!
その完成度や内容はそれこそ多種多様で、なんにせよ熱意と愛が詰まった空間だった。

その時も思った。

「私も作りたい」

当時学生だった私はお金の自由がきかなかったので、印刷所に入稿なんてことは選択肢にすら入らなかった。
それでも、初めての本のようなものを作ったことがある。
某ゲームの二次創作で、コピー本(漫画)だった。
友人と初めてのサークル参加もした。
とはいえ、その友人がサークル手続きなんかは全てやってくれた為、実際は当日にゲストでお邪魔させてもらっただけというのが正しい表現だ。

結果としては、一冊も売れなかった。
当然だ。
徹夜で当日の朝ギリギリまでトーンを貼っていて、コンビニで手作業のコピー機との闘いを経て(両面コピーすら諦めた)、ただホッチキスで閉じられた紙の束だ。
そして、出来上がったものに対しての価値判断ではなく、単純に損をしないかかった実費の値段を付けた。出来上がった紙の束は、思い描いてたものには到底及ばない、お粗末なものだったにも関わらずだ。
私が一般参加していて通りかかっても、勿論買わなかっただろう。

とまぁそんな初めての同人誌(個人誌)とイベントへのサークル参加はそんな思い出で終わった。(友人の本も同じくコピー本だったけど、ちゃんと装丁デザインがされていて、手作りの魅力をこれでもかと醸していた。すごい!)
今から思えば、一冊も売れなくて本当によかった!!!!!!!!
買わなかった皆さん(も値段設定した馬鹿な私も今では)、賢明な判断だったぞ!!!!!!!!!!と思う。
あんなものが人様の手に残っているとなったら生きた気がしない。(その友人の手元にまだあるなら燃やして欲しい…)

そして今である。
時間がある。何しよう。どうしよう。

「本作ろう」

そのサークル参加以降は、二次創作…というよりは二次元の世界自体にそこまで時間を割かなくなって、あんなに齧り付いていたゲームをする時間も取れなかった。
漫画は変わらず読んでいたけど、漫画はその作者の絵が好きで読んでいるというのが基本的にあって(他の人がかいたものを見たいとも思わなかったし、だからアニメも好きじゃなかった)、作者の表現を受け取るものっていう認識でしかなかった。
作品の行間にまで想いを馳せて積極的に妄想するようなことはなく、いつの間にか自分は、多分いわば”ジャンル移動”をしていたのだ。

ジャンル移動は、二次元の作品間だけの話ではなかった。
だって、ハマり方同じだったもん。
オタクは何をしていてもオタクなのだ。

そんなわけで3年くらい前に二次元に戻ってきた私は、(きっかけは某漫画。彼らの幸せを願い拳を握り締めながら作品を追って2年くらいが経った頃、どなたかの二次創作絵を見たのが転機)寝ても覚めても彼らのことを考えずにいられなくなってて、あぁこの感覚、そういうことかと思った。
でももう、机に向かって絵を描く時間なんて取れそうにない。
でも、この想いを何かで昇華させないと吐きそう…!

そして行き着いたのが、文章だった。
これなら、移動時間にできる。

いくつかのメモ帳アプリを入れて、ひたすら文字を書いた。
彼らに、こんな瞬間があったかもしれない、こんなひと時があったっていいじゃないか…と、本編とは全くかけ離れた話ばかりだった。
あぁ、あんなに”別に見たくない”と思っていた彼らの作品は、吐き出さずにいられないものだったのだと、体感した。
他の色んな人の解釈や愛情が込められたそれらをいつしか作品と呼び、睡眠時間を削って見て回る日々。
その昔、ゲームの漫画やイラストを描いていた時は、作業自体がやりたかったのが大きい。漫画が描いてみたかったのだ。(美術部だったから、周りがやっていたから、というのも多分にあったのだと思う)

この間も、できれば絵が描きたかった。だって脳内に再生されるのは動画みたいに彼らがコマ送りで動くんだから。
でも、そのままを落とし込める画力もなく時間もない。媒体はなんでもいいからとにかく吐き出したいの一心だった。
少しずつ絵も合間に描き始めはした。下書き→ペン入れさえできれば、デジタルで色塗りが(移動時間に)できるという素晴らしい時代になっていたから。
ブランクありすぎてぎこちない絵ばかりだったけど、やっぱりとても楽しい。

そんな感じで文を書き溜めていたある日、ツイッターの専用アカウントを作った。もっといつでも気軽に吐き出せる場所が欲しかったのだ。
そんな世界があったのかと、140字で遊ぶ楽しそうな二次創作界隈の存在を知った。
ファンアートイラストもたくさん流れてきた。幸せだった。
さらにはたくさんのイベントがあった。ワンドロ、ワンライと呼ばれるそれらは、皆で決まったお題に沿って一時間で絵や文をかいてupしましょうというもの。

っはーーーーーー!!!!!
この人たち天才かな?!?!?!?!?!

自分が二次元からとんと離れている間に、個人サイトやらもどんどんなくなり、イラストコミュニケーションのSNSサイトなんかが主流になっていた。
ツイッターに慣れてきた頃、溜まったものをそういった投稿サイトにまとめてみた。
誰に見せるでもなく吐き出しただけのものを、まとめて後から見れるし自分のログ代わりにと軽い気持ちだったけど、読んでくださる人もいた。

なもんでこの3年くらいはずっと、何かかいたらツイッターか投稿サイトに放り投げていた。
それが、けっこう溜まっていたのだ。

同人誌なんて、何も新しく書き下ろさなきゃいけないわけじゃない。
テキストがすでにあるやつなら、本の形にできる。本が作れる…!



「よし。私、本をつくる。で、何すればいいの?」

さぁ旅は始まってしまった。


つづく
(こんな日記まで読んでくださりありがとうございます)

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