水の波紋のように「ありがとう」が広がる世界

2021年春。
私は社会人12年目になる。
この11年間、仕事という切り口で本当にいろいろなことがあった。

・転職(2回)
パナソニック(株)⇒(株)リクルートキャリア⇒パナソニック(株)へカムバック

・職種(4つ)
職種は経理⇒営業⇒人事(採用)⇒人事(エンプロイヤーブランディング)
そして、4月からは5つ目の職種がスタートする。

・勤務地(6箇所)
東京(御成門)⇒東京(内幸町)⇒岡山⇒大阪(梅田)⇒大阪(門真)⇒東京(虎ノ門)⇒4月からは東京(天王洲アイル)

これだけみていると、なんか学生の頃から、いわゆる意識高い系?で、バリバリ理想高く仕事してきたんだろうなと思う人もいるかもしれないけど。
自分的には全然、そんな気まったくないし、就活で毎日泣いていたあの時には、こんな風にキャリアを歩むなんて全く想像がついていなかった。

ただ、自分が大切にしたいことを大切にしてきたら、こんなキャリアになっていたというのが正直なところ。

例えば・・・
・向き、不向きより、前向きになれる方を選ぶ
・5年前の自分と5年後の自分が誇りに思えるような決断をする
・迷ったら、より難しそうな方を選ぶ
・小さく、些細なことほど手を抜かない
・とにかく、やってみてから考える
・評論家ではなく、実行者であり続ける
とか。
こんなことを大切にしながら、仕事に向き合ってきたらここまでやってこれたし、仕事がこんなにもたのしくて、やりがいがあるものだと感じられるまでになった。

でも、
この12年間をつくってくれたのは、
こんな風に毎日が充実した社会人生活を送れているのは、
紛れもなく、これまで関わってくれた人たちのお陰。
自分一人じゃ絶対にここまでたどり着けなかった。

ムダなエンは一つもなくて、
1つ1つ、大切に繋げた分だけ、
大きな縁になる。

という言葉が好きだ。
まさにそう。
私はみなさんとの縁のおかげでここにいる。

「ありがとう」と伝えられたら

2008年9月。
リーマンショックとともに私の就職活動はスタート。
先輩から聞いていた話と全然違う。(泣笑)
全くもらえない内定。
私のこれまでの全てを否定されたような毎日が続く。
SPIも全然できなかった。
先輩にESみてもらったけど、書類すら通らない。
OB訪問も東京までいったのに。
今まで、真面目に頑張ってきたのに・・・なんで・・・
と思いながら京都から泣きながら電車に乗る・・・。
自分で自分がわからない。
自分は本当は何がしたくて、何ができるのか。
私の就職活動はそんな思い出したくもないような就職活動でした。

ぐるぐる悩んだ結果、
あと数社受けて受からなかったら親に頭下げてあと1年、就活浪人させてもらおうと臨んだうちの1社がパナソニック。(当時は、松下電器産業)

もう十数年も前のことだけど、1次面接から最終面接まですごく鮮明に覚えている。内定をもらえたからっていうのもあったけど、1年にわたる就職活動のなかで、私が私らしくいることを受け入れてくれた一番最初の会社だったから。

うん。うん。と頷きながら
私の言葉を、私の考えを、私の別に大したこともない普通の経験を。
ちゃんと受け止めてくれた。

そんな感覚をはじめて受けた面接だったから。

ちゃんと自分の言葉を受けとめてくれたあの面接官の人にちゃんとお礼が言えたら・・・。
同じ会社に入ったんだから、お礼ぐらい言えるやろーって思う人もいるかもしれないけど・・・顔を覚えるのは得意だけど、名前は全く覚えられなくて・・・全然覚えてない。笑
泣ける・・・。
就活と言う名の絶望の淵にいた私は、そんなこんなで自分の良さを見つけてくれたパナソニックで社会人をスタートすることになりました。

これまで関わってくれたみなさんのお陰

ふつーに勉強して、バイトして、サークル行って・・・。
みたいな本当にふつーだけどちょっと努力が好きな学生だった私をみつけてくれて、選んでくれたパナソニックの人には感謝してる。
けど、そんなの序の口っていうぐらい私の11年間の社会人生活は「ありがとう」で溢れている。

営業として、ある程度の成果を残せたのも、
私の提案や言葉を信じてくださったお客さまや
その提案を一緒につくってくれた制作さんのお陰。
そして、その成果をちゃんと発表する場で伝えることの大事さを教えてくれた上司のお陰。

私の想いを聞いて、
「パナソニックで一緒にまた頑張ろう」と
前例がほぼなかった
カムバックキャリアを提案してくれた同期や
実際に採用してくださった当時の採用センター所長。

採用の仕事がやりたいといって戻ってきたのに1年足らずで、採用ブランディングの仕事がやりたいと願いでたときも私の想いを汲んで異動させてくださった上司。

マーケティングもブランディングも全然分からなかった私の可能性を信じ、期待し、強みを見出し、育ててくださった上司であり仲間である杉山さん。

そして、この春からの仕事も人事としては異例の異動になる。
これもまた、周囲のみなさんお陰で実現したこと。

ここには書ききれないぐらいの「お陰様で」のお陰で私はここにいる。

結局、「ありがとう」を返すことはできない

本当は、これまでの「ありがとう」をその人に返したい、返せたらと思う。

けど、自分が「与えられる」だけでなく「与える」ことがほんのちょっとだけどできるようになった時に気付いた。

別に、その人になにかを返してもらいたくて
やっているのではないということに。

だから、「ありがとう」を与えてくれた人に返すのではなく
周囲に伝えていこう。
行動と言葉で。

そして、水の波紋のように「ありがとう」が広がる世界の起点に自分がなっていこうということに。
それがいつか、
私に「ありがとう」をくれた人に届くことを願って。

それが私の「#自分にとって大切なこと」

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