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好奇心は愛よりも強い

1ヶ月ほど前に、『オリガ・モリソヴナの反語法』という米原万里さんの有名な小説を読んだ。

ソ連で幼少期を過ごした日本人の主人公シーマチカが、そのときに出会ったあるロシア人女性の謎を、大人になってからひも解いていく……といった内容で、一見謎解き小説のようでありながらも、ペレストロイカの時代に生きたロシア(ソ連)の女性たちの運命を鮮明に描いている社会派な小説だ。

残酷な運命を描いているのにどこか喜劇的で美しく──そのギャップに魅了され、寝るのも惜しんで夢中で読みふけった。Amazonのカスタマーレビューが★5であるのにも納得のいく作品だった。



そして、この物語を突き動かしているのが、主人公シーマチカの尋常ではない「好奇心」である。

物語の中に出てくる「好奇心は愛よりも強い」という文章に、ああ、そうだよなあ、と、思った。

好奇心は愛よりも強い。本当に、そのとおりだなあと思う。


しばしば、なによりも「愛」が一番大切だと人は言う。隣人を無償で愛しなさいと高校のキリスト教の授業で教わった。母親からも、愛し、愛される人を見つけなさい、と言われながら育った。いろんなところで「愛」の大切さを教わってきた。

たしかに大切なのは愛なのかもしれないけれど、本当の意味で人間が勝つことができないのは「好奇心」だ、と、私は思う。

以前、「知りたいという根源的なチカラは、人を動かすとてもおおきな原動力だ」といったようなことを書いた。

もちろん、愛も、人を動かすとても大きな力だ、と思う。けれど、愛は、とても優しくて強い原動力なのだ。そこには、誰かのために、とか、守りたい何かのために、という、優しい動機が発生する。

それに対して、好奇心は、とても乱暴で強くてコントロールできない原動力なのだと思う。好奇心には、理由がない。なぜか分からないけれど、知りたい。自分がどうなるのか、どうなってしまうのか、見てみたい。

そういう理屈ではない何か乱暴な力だからこそ、人を強く突き動かすのだと思うし、そういう意味で「好奇心は愛よりも強い」のだ、と、私は思う。


好奇心は愛よりも強い。その強い好奇心を、忘れずにいたい。ただ同時に、その好奇心のせいで、愛を見失わないようにしないといけないな、とも思う。そんな水曜日の夜です。


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ありがとうございます。ちょっと疲れた日にちょっといいビールを買おうと思います。