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自分を健康的に保つもの

ここ数ヶ月、自分でもおどろくほどに、まったくメンタルが落ち込まない。そんなことを言うと、友達には「何があったの?」「たしかに楽しそうだね」とおどろかれたり納得されたりして、しばしばその理由を聞かれるようになった。

考えてみれば、いくつかの理由を思いついたので、今日はその理由をつらつらと書いてみたいな、と思う。

まずひとつめは、生理との付き合い方が変わったこと。これは私にとって、かなり大きな変化だった。

もともと私はPMS(月経前症候群)がとても酷くて、ホルモンバランスの影響を強く受けていた。生理前になるとイライラや落ち込みが止まらなかったし、そのせいで、その時々のパートナーや身近な人たちに八つ当たりすることも多かった。そんな自分がいやで、さらに、負の連鎖が起きていく。

どうにかならんかなあと思っていろいろと調べた結果、低容量ピルを処方してもらうことにした。

私が飲んでいるのはファボワール28錠。それと同時に、体の栄養バランスを整えるサプリと漢方もはじめてみた。どうやらこれが功を奏したようで、PMSが、まったくもって消え去ってくれた。

そもそもピルとは、低容量のホルモンを体に摂取し続けることで排卵を止め、生理の現象をなくす(ピルを飲んでいる途中に起きる生理のような現象は、生理ではなく正しくは消退出血という)もの。ホルモンバランスの乱れが少なくなることで、PMSの現象も合わせて弱くなるらしい。個人差があり、全員に効果があるとは限らないらしいのだけれど。

ピルは「避妊のために使う薬」という認識が世の中ではまだまだ強いけど、最近はPMSの対策として飲む人もたくさんいるのだそう。私も子どもがほしいと思うまでは、飲み続けてみたいなと思う(薬をやめた時が怖いけど……)。

ふたつめは、予定の入れ方が変わったこと。以前は、平日休日関係なく、空いている日には予定をバンバン入れていたけれど、数ヶ月前から、週に2日もしくは3日は「絶対に予定を入れない日」をもうけることにした。

当日に気分があがって誰かに会うのはいいけれど、事前に予定を入れるのはダメ。そんなマイルールをもうけている。

なぜそんなルールをもうけたかというと、「未来の予定が決まっている」って、けっこう私にとってしんどいことなんだな、と気づいたから。気分屋な私は、その時々で、やりたいことも、会いたい人も、感じたいこともコロコロ変わる。だから、「今日の気分」を大切にできる日を、必ず週に数日は用意するようにしたのだ。

ミヒャエルエンデの『モモ』の中に、こんな名言がある。

いちどに道路ぜんぶのことを考えてはいかん、わかるかな? つぎの一歩のことだけ、つぎのひと呼吸のことだけ、つぎのひとはきのことだけ考えるんだ。

「つぎのひと呼吸のことだけ考えられる」時間を確保すること。未来の予定に支配されないこと。それが、私には必要で。

あとは、まとまった作業時間や家事の時間が取れるのもいい。生活のバランスが一気に整うので、おすすめです。

みっつめは、禅の思想に触れる機会が増えたこと。これはちょっと思想的な話になる。

今年の9月、とある雑誌の取材で、東福寺、建仁寺、大徳寺といった、京都の3つの「禅寺」の住職の方にお話を聞く機会があった。通常仏教では、釈迦の教えを学び、体現することが大切とされるけれど、禅宗は少し毛色が違う。教えを学んだうえで、一番大切なのは、「自分の心」とどう向き合うか、だそうなのである。

禅には、自由自在の心を目指すという考えがあります。自由自在とは、囚われのない心のこと。何かに囚われてしがみつくから、その手を離されそうになったとき、怒りや悲しみがこみ上げてきてしまう。そもそも、自分と他のものを分別してはいけないのです。自分とそれ以外のものを分別せず、万物と一体化することが大事なのです。

そんなことを、住職の方が言っていた。そしてこの「囚われのない心」は、「無縁の慈悲」とも言い換えられるのだそう。

過去も、未来も、この世のすべてが必然でできていて、何ひとつとして無駄なことはない。すべてはつながっている、だから何かが「断たれた」と思っても、本当の意味で断たれてしまうことなど、何もない。

その考えを知ってから、私の中から、さまざまな執着がふっと消えたような気がする。禅の考え方は本当におもしろくて、おそらく今の私にとても必要なこと。だからいろいろとこれからも、学んでいきたいなと思っている。

そして最後に、自分の精神を健康的に保つ上で何よりも大切だなと思うのが、「他人におびやかされない状態をつくる」ということだ。

私は以前、「どうしても、孤独からは逃れられない事実と理由について」というnoteを書いたことがある(ちょうど今から3年前の日に書いていて驚いた……!)。

「自分のことは結局自分だけにしかわからない」という事実が、「他人からはどうしたって100%理解されることはない」という事実が、私はときどき、悲しくて仕方なかった。なんだかこの広い世界を、たったひとりで生きているような気持ちがして。

けれど3年経った今は、考え方が少し違っている。

「自分のことは結局自分だけにしかわからない」という事実は、「何があっても絶対に、誰にも邪魔することができない場所」を、誰もが必ず、自分自身の中に持っているということだ。誰かに嫌なことを言われたって、誰かに自分の気持ちを理解してもらえなくたって、自分が自分のことをちゃんとわかってあげることができれば、自分が自分のことをちゃんと認めてあげられていれば、他人に自分をおびやかすことが不可能になる。

「何よ、私のことをわからないなんてナンセンスだな!」と、心の中で笑い飛ばしてやろう。

おびやかされない状態が、ちゃんと自分の中にあることを認識すること。そして、そのためにも、自分のことをちゃんと理解し、大切にしてあげること。これは、自分を健康に保つ上で、とっても必要なことなのではないかな、と思う。

落ち込まなくなったと言っても、傷つくことだって、悲しむことだってもちろんある。私はまだまだ、そういった感情との付き合い方を、少しずつ、学んでいる最中で。

強くなることなんて永遠にない。けれど、弱い自分を健康的に保つ方法は、きっとたくさん、あるはずなのだ。


ありがとうございます。ちょっと疲れた日にちょっといいビールを買おうと思います。