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世の中では、一途に何かに取り組むことが「いい」とされているように思う。そして、それを志すぶれない精神もまた「いい」とされる。確かに、脇目も振らず高みを目指している人はかっこよく映る。ぶれない心を持つにはどうしたらよいのだろうか?

ぶれっぶれな自分の生き方

一方で、僕の生き方は、ぶれてぶれてぶれまくっている、ように周りからは思われるだろう。

大学時代の就職活動時には、僕は新聞社や通信社の記者職を志望していた。だけど、一社も内定をもらうことができず、唯一内定をもらえたIT企業に就職を決めた。その会社では、会計システムの開発をした。

1年半で辞め、映像をほとんど独学で学び始め、今年からフリーランスとして映像の仕事をちょくちょくするようになった。

仕事がない時も長らくあった。ずっといきたかったラダックに旅をしてきた。旅から帰ってきてから、医者を目指そうと本気で思い再受験のための勉強をしていた。2週間続いた。

ぶれっぶれ、もいいところだ。

しかし、実は自分が決断した選択の一つ一つには、一貫した思いがある。

「いろいろなものを自分の肌で感じたい」という思いだ。

記者を目指したのもその思いからだし、IT企業に勤めたのは、妥協もなかったわけではなかったけれど、確かな技術力を身につければ、場所を問わず働くことができ、世界をあちこちいけると思ったからだ。

映像を始めたのも、まさにカメラを通して世の中のさまざまなことに触れられると思ったからだ。

医者になろうと思ったのも、医師で冒険家でもある関野吉晴さんの生き方に憧れたからだ。

ホンモノのぶれない心

この「色々なものを自分の肌で感じたい」という思いは、初めからはっきりしていた訳ではない。いろいろなことをする中で、徐々に輪郭が浮かび上がってきた感じだ。

初めはこの好奇心を、放埒なものと感じ恨みさえしたこともある。

少し前にこんなツイートを見た。越前屋俵太さんのツイートだ。

自分の中のぶれないものは、ぶれてぶれてぶれた先に、自分の中に残ったものこそホンモノだ。


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