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鹹粽

へい、エブリバディ。六月下旬は端午の節句だったぞ。きみはもう粽子を食べた?

「へいアクズメさんよぉ。端午の節句は5月5日だぜ。そんな声重知らないのかよ?」

エンジェル、おまえはなんか重大なこと忘れている。俺の国では端午節といえば旧暦の5月5日、すなわち今年の6月25日、この前動物園に行った日だ。日本は文明開化の際は旧暦まで捨てちゃったよね~やり過ぎだと思うんだよね~

中華文化圏では端午節といえば、粽子、卵を立たせる、そしてドラゴンボート。それでは粽子とドラゴンボートに由来を教えちゃうね。

古代中国、戦国時代。楚国に政治家で詩人である男、屈原が居た。彼は頭がいい良くて、凡庸の主君である懐王に諫めを入れるが、一向受け入れられなかった。絶望した屈原は身体に石を縛り付け、汨羅江に身を投じた。

職場では不遇だが、屈原は百姓の間では大人気で、彼が入水自殺と聞いた人々が「救えぬども、せめて御遺体が保ったままで掬い上げん!」と屈原の遺体が水中の動物に食われないよう、貴重な白米を詰めた竹筒を川に投げ入れて、舟を繰り出しサルベージにかかった。今やったら環境破壊と生態系を乱すという二重犯罪だが、戦国時代では誰もそんなこと気にしない。

屈原の遺体がサルベージできたかどうか、民話と絵本の中で一言も言及しなかったので、失敗したと思う。しかしその時使われた米入り竹筒と船が後の世に、端午は粽子を食べ、ドラゴンボートで競う伝統になったわけさ。

「おい待てよ。米を詰めた竹筒って、粽子と全く関係ないじゃん?むしろ竹筒飯のオリジナルでは?」

……俺にもわからねえ。竹筒はなぜ笹の葉で米と具と包んで蒸したり煮たり粽子に関連付いたのか。Wiki を調べる限りそもそも粽子が屈原が自殺する以前が存在するとの記録があって、屈原が死んでから端午に粽子を食べる習慣が流行ったとの説もある。なにせ2000年前のことだよね。何度改竄されても知る由がない。粽子は旨い、これを知っておけば十分さ。

粽子、日本語たとちまきという。二千年以上の歴史を持つ料理だけあって、種類も多岐にわたっている。今回はおれが一番好きな鹹粽を紹介しよう。

これだ。

おっと、包んだままではわからないか。ほいじゃ剥くぞ。

このキャラメル色の物体は、もち米に鹹水、つまり灰汁で漬け込んで、笹に包んで茹でたら完成。米が鹹水が化学反応が起こってこうなった。冷蔵庫で冷やして、砂糖をかけて召し上がるのはメイジャーの食べ方。でもおれはメキシコ生きる男にとって、糖分と言えばこれに限る。

じゃーん。オーガニックブルーアガベシロップだ。大変甘いので気をつけて使おう。おっとっと。

これでOK。食べよう。ぱくぱく。うっめえー!

この記事の作成に当たって、私は色んな資料を調べた。どうやら九州にも鹹粽に似たものが存在している。その名もあくまき。そして私のTwitterアカウント名は灰汁詰めさnだという。
運命かな……

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