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鰻園追放

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「ヒィヤッ!ヒィヤッ!」

 夏のラベンダーが咲き乱れる草原を、一人の騎手が駆け抜ける。すぐそこに「Eden」の鉄細工を施した美しいアーチゲートが見えてくる。男は高揚感に駆けられ、馬に拍車をかけた。

「カモン、ガール!もうすぐ家だぞ!」

 馬はプーフ!と声を立てて息を吐き、足の動きを速めた。

 家から出かけてからもう5日。南の爬虫人の集落に行き、リンゴでイールと交換した。随分と時間が掛かったが、そうする価値が十分にあった。今回の収穫は彼が携えている篭の中にある。早くイブとカインに食べさせたいと一心に、アダムはEdenのゲートを通り抜けた。

「あっ!お父さんだ!」「ハイ!カイン!」

 背負っていたリンゴの篭を地に置いて、走ってくる男児。彼の名はカイン、アダムとイブが初めてイールを食べて盛んだその晩、授かった子供だ。また五歳しかないが既にリンゴ栽培をこなしており、すっかり若旦那の風格だ。

「ほーほー……息子よ、私がいない間に、ちゃんと仕事していたか?」

 馬を落ち着かせながら、アダムはカインに尋ねた。

「ばっちり!肥やしを撒いたばっかだよ。嗅いでみてよ」「どれどれ、すぅすぅ……」

 空気の中に糞便の臭いが混じっている。惰弱な都会人が眉間にしわを寄せただろうが、アダムにとってこれは文字通り甘美な果実に近づける臭いだ。

「よくやったな!さすが私の息子よ!」

 アダムがくしゃくしゃとカインの頭を撫でた。

「えへへ……あ、お父さんその篭の中はもしかして?」

「そうだよ、新しいイールだ。ほら、片付けを済ませて、手を洗ってから家に入りなさい。今日はごちそうだぞ」

「ヤッター!イール大好き!五分で終わるから待ってて!」

 走って行くカインを目で追いながら、アダムは手綱を馬に廻し、木造の家に入った。

「ただいま、イブちゃん」「おかえりー、アダム」

 ドアをくぐると、獣皮を縫い合わせていたのイブが立ち上がった。その腹は膨らんでいる。もうすぐカインの弟か妹が生まれるのだ。

「僕が居ないこの数日、大丈夫だった?」「もう、アダムは心配症だね」

 イブはカインが生まれてから鹿のよう森を駆け回り、豹のように獲物に飛びつくことが少なくなり、家事と畑仕事が主の仕事になったため、筋肉が落ち、以前より豊満になった。それがかえって愛おしいとアダムは思う。二人はハッグし、軽いキスを交わした。

「挨拶はそこそこにして……お腹空いたでしょう?今回はすごいイールを連れて帰ったよ。ほら、もういいよ。ジェロミー」

 すると篭の中から銀色の長細い物体がぬるぬると這いずり出し、鎌首をもたげた。

『おはようございますでち、タチウオのジェロミーでち』

「わーすごーい!銀色のイールだわ!あっでも体はなんか平べったい?イールだよね?」

『わたちはウナギではないでちが、広義的にはイールなのでち。栄養満点と自慢してまちので心配ないでち』

 ジェロミーは自信満々に言った。

「へー、そうなんだ。じゃあよろしくね、ジェロミー!」

『任せてち!』

 ジェロミーは笑顔で返事した。人間には魚類の精密な筋肉動作が理解できないためそれが笑っているだと読み取れないが。

「アーッ!二人ともずるいぞ!僕を待たないで始まるなんて!」やっと片付けが終わったカインは二人と一匹のもとに駆けつけた。「わーすごーい!銀色のイールも居たんだね!」

『ふふ、君がカインくんでちね、お父さんから聞いているでちよ。よろちくね。さてアダムさん。鮮度が大事なので、そろそろ調理を始めようでち』

「うむ」

 三人は笑顔を収め、和気藹々とした雰囲気が一変、厳かな空気が広かった。アダムはジェロミーをオークの板に載せ、かつての親友ピーターが残した金属ナイフを手にし、刃をジェロミーの後頭部に当てた。カインは緊張で唾を飲み、イブは瞬きせずにじっとジェロミーを見つめている。

「それじゃ、行くよ。ジェロミー」『思いっきりいっちゃてくだちゃい』

 アダムは腕に体重を入れると、ナイフがジェロミーの筋肉にめり込み、頸髄を切断した。ジェロミーの体は数回跳ねたうち、完全に動かなくなった。クリーンキル。

「ありがとう、ジェロミー」

 イブが両手を握り合わせて言った。

「僕、火を起こしてくる」

 炊事場に向かうカインに頷き、アダムは手を動かし続けた頭部と尾を切り落とし、腹にナイフを入れて内臓を取り出す。そして背びれに沿って切り目を入れ、腹側も同様ナイフが骨に当たるまで切り入れ、最後に骨と身を切り離す。これで完璧な白身が二枚出来上がった。

「ふぅー」アダムは一旦ナイフを置き、額に浮かぶ汗を手の甲で拭いた。かなりの集中状態だった。「上手い!」控えめに拍手するイブは、アダムは笑顔で返礼した。

 捌きが終わると、いよいよ味付けが始まる。海塩と潰したバジル、ヒャクリコウを白身の両面に塗っただけシンプルの味付けだ。

「火はもう起こしたよ」

 炊事場からカインの声が聞こえた。

「おお、ありがとうカイン、それじゃ……」

 白身を載せたオークの板を炊事場に運び、皮面を下にして熱した溶岩版に置いた途端、ジュー……と水蒸気と脂が焼けた香りが室内に漂った。

「いい匂い……」

 カインは呟き、三人は香りを楽しみながらジェロミーが焼き上がるまで見守っていた。

◆◆

「ふぅー、おいしかった~」食事を終えたイブは満足そうに腹を撫でた。「ありがとうねアダムイールを持って帰っただけでなく料理までさせちまって」

「なんの、美味しそうに食べてくれるだけでやりがいがあったもんだ。カイン、どうよ?お父さんの腕は」

「いつものイールと違って食感がふわふわして、厚さもあってうまかった!」

「そうか、それはよかったな!ジェロミーに感謝だ」

 アダムはデスク上に置いてある一枚の石板を見た。『最愛の親友にして料理人ピーター』『偉大なる先駆者トム』『脂がのったジャック』『骨までいけるフロレンス』……そこに刻まれた名前は全部、アダムとイブにイールのおいしさを教えてくれた、尊い友の名前だ。ジェロミ―もすぐに彼らの列に加わるだろう。

「さて、飯も食ったことだし」アダムは愛用の蛇革リュークの口を開き、中身取り出した。

「アダム、それは?」「これはね……タダーン!」アダムは二人によく見せるために両端を掴んで、腕を前に伸ばした。それは2フィートx0.5フィートの長方形銅板、その上に穴が開けられ、「Eel en」の文字になっている。「うちの新看板だよ!今回のお出かけに時間が掛かったのはノームに注文したこれを取りに行ったためさ」

「Eel en?どういう意味なの?」

 カインが尋ねる。

「ほら、うちのいる場所はEdenと言うんだろ?ゲートの看板を見上げる時、Edenのdは、eとdがくっついたように見えるなあって思って、閃いたんだ。トムの献身がなければ、今の私達いない。だからここをEel enに改名して、トムとほかのイール達を讃えよではないかと」

「アダム、それは素晴らしい考えだわ。でも勝手なことして、お父さんに怒られないかな?」

 イブは心配そうに言った。

「お父さん?ハッ!」アダムは不平そうに鼻を鳴らした。「私とイブを創っておいて、天井もなかったEdenに住まわせ、リンゴすらも食べさせないやつのことなのか?あの頃もし蛇が来なければ、私たち二人はタンパク質不足で死んでいたかもしれん。それにカインが生まれたときはミカエルを遣って祝いの石板を一枚もらっただけだ!そんな奴は父親だと私は認めん!イブ、きみもそう思ったことあるはずだ」

「そう……だけど。でも」

「でももなにもない。もう決めたことだ。カイン、これをゲートに縛り付ける。カイン、手伝いなさい」

「あ、はい……」

 急に険しくなった空気。カインはイブに一瞥し、父について外へ出た。正直彼は創造主たる祖父に対して特別な感情を抱いておらず。ただ一家が穏やかに過ごせるのが唯一の望みだ。そのために今は父についていくのが最善だと、小さな頭がそう判断した。

「ほら、カイン。父さんの肩に立って、革ひもで看板を……んん!?」

 突如、さっきまで晴れていた空に雲がうずまき、風が吹き荒れる!

「お父さん、何が起きているの!?」「これは、まさかっ!?」

「そのまさかだ」

 風が止み、雲の隙間から光が差し込み、その一筋の中から威厳に満ちた男の声が野を響き渡り、十字型のミラクルエネルギーで構成された光る飛び板がEdenに向かって降りてくる。

「お父さん!来ちゃったの!?」ドアを突き飛ばして走ってくるイブ。

 飛び板が庭に着地し、光となって散っていた。そのにはモーガン・フリーマン似の老男と、その後ろに控えている未来的バトルスーツを纏ったティルダ・スウィントン似の大天使ーーカブリエルがいた。老人はアダムとイブの創造主で親、つまり神と呼ばれる男だ。

「久しいのう、我が子らよ。そして初めまして、我が孫」

 老人の口調は平穏だが、その言葉は重低音の如く内臓と骨を震わせ、有無を言わせぬ圧力を放っている。カインは名状しがたい迫力に恐れをなし、イブの後ろに隠れた。

「お久しぶりです、お父さん……」アダムはいたずらがバレた子供のように、Eel enのプレートをよこに捨てて神に問うた。「もう、六年ぶりですね。みての通り、上手やっているつもりです。今日は何の御用でしょうか?」

「アダムよ、わしはおぬしらのことずっと見ていた。儂の戒めを破り、リンゴを食べたことは儂がゴッド・ファイトで一心になり、監視を緩めて蛇どもの企てを許してしまった。儂にも幾分責任がある。でもそれからはどうじゃ?リンゴ栽培で量産した知恵の果実を、穢れた他種族に渡し、金属と海産物に交換するだと?そして今度は儂が与えたこのEdenを、クルルーの眷属たるイールを称える名前に改名するときた!恩知らずにもほどがある!」

「それはっ、お父さんが面倒を見てくれたなかったためで」

「クチコタエスルナー!!!」

 KRA-TOOOOM!神の喝が雷鳴の如く半径100メートルを響き渡り、三人は棒に打たれたように身を縮めた。この中で唯一動じなかったのは神の後ろにいるカブリエルのみ。

「愚昧な生物め!儂を責めるか!地上に溢れる偽神と戦うのは誰じゃ?深海の邪神を鎮めるのは?空より来る侵略者を防ぐのは?儂じゃあ!おぬしらが生きていられるのは、全部儂のおかげじゃ!バカタレ!」

「グッ……ウゥ……」

 父の怒りに触れて、アダムは今にも叱られた子供のように泣き出しそうだ。

「神よ、お怒りはほどほどに」カブリエルは神を諫めた。「このあとオリンパスとのゴッド・ファイトが控えておりますゆえ」

「すまぬ、少々気が高ぶったようじゃ。カブよ、あれを彼奴らに渡したまえ」

「はっ」

 カブリエルは手を翳すと、一冊の本がの掌に形成した。そう、本だ。紙から作られた本物の本、これもミラクルエネルギーが成したキセキである。

「ハイ、どうぞ」「こ、これは?」

 カブリエルから本を貰ったアダムはまずその表紙に目を落とした。

【ゴージャス旅PREMIUM:イタリア半島編(先史~一世紀)】

 「これって……」

「餞別のプレゼントじゃ。どうやらリンゴをたらふく食ったから、儂より賢くなったつもりのようじゃの。そんなにイールが気に入るなら、Eel enを好きなだけ建てるがいい。だがEdenは好き勝手にさせん。出て行ってもらおう」

「そんな!?お父さん!」イブが叫ぶように言った。「赤ちゃんがもうすぐ生まれるんです!とても引っ越せる状態じゃ……」

「娘よ、儂は冷血漢ではない。時限も設けてやろう。新たな子は生まれ、一歳になった翌日、必ずここから立ち去れ。よいな?」

「……わかりました」

「よろしい。ならば、儂はもう往く。ゼウスとの決戦が待っておるのじゃ。トォーッ!」

 神がその場で垂直にジャンプすると、足元に十字型の飛行板が現れて彼を乗せ、光が差し込む雲の隙間に消えた。神々しい光景であるが、三人は宗教的感動を覚える余裕がなかった。

「あ、そうそう」残っているカブリエルは三人に近づき、ガイドブックに指さした。「イタリア半島を選んだのはね。そこを占拠している偽神もうじき私たちがやっつけちゃうから、そこに行って神の子を名乗れば相当なメリットが得るんじゃないかな~って思ったんだよ。でもポンペイに近づかない方がいいよ、なんかやばい事が起こるから」

「はい……ありがとうございます」

「もう~元気出しなよアーちゃん!別にアンタのせいじゃないのよ。あの方も我儘だからね~でも即処刑しない分だけましだと思うよ。もしガチキレたらあんた三人はもう塩柱に……やだよジョーダン!ジョーダン!そんな怖い顔すんなって。地中海は天気いいし、イールもたくさんあるからきっと気に入ると思う」

 そしてカインの頭をくしゃくしゃ撫でた。

「可愛いね!カイン君!おばさんの養子にならない?」「えっ!?いや、そのぉ……」「ジョーダン!ジョーダン!頑張ってお父さんを手伝ってね」「あっはい、わかりました……」

 そして横目でイブを睨み、吐き捨てるように言った。

「淫売め」「はっ!?」「じゃあ皆、縁があればまた会いましょうね!ばーい!」

 言い終わるや否や、カブリエルの背中のミラクルエネルギー駆動フライトバックパックを展開させ、銀色に輝く六枚の翼が大気中のミラクルエネルギーを上昇力に変換し、あっという間に雲を突き破って神に追いついた。

「随分と無駄話をしたな」

「申し訳ございません」さっきのシスター・ネクスト・ドアの雰囲気が消え、今のカブリエルは純然たるエンジェルウォリアーだ。

「……カブよ、教えてくれ、儂は親として間違ったのか?」

「子を成せないわたくしには答え難いことですが、少なくとも十分な空間と食料を与えるだけのミールワームを飼っている感覚ではダメかと思います」

「おぬしは正直よのう。この経験、次こそ生かそう。今はイクサに集中じゃ。往くぞ!オリンパスの前線へ!」

「はい!」

 二人は速度を上げ、光の尾を描きながら彼方へ飛んで行った。

◆◆

「ごめん、イブちゃん、カイン。僕は独断で、二人まで……」「オラァ!」「あぶひっ!?」

 アダムの目に星が見えて、地面が揺れ、倒れかけた。辛うじて立ち直ると、目の前に拳を握っているイブがいた。

「しゃきっととしろ!アダム!」「ほぇっ」

 イブはアダムに喝を入れた。その表情に野生児時代の精悍さが戻り、目に闘志が燃えている。

「今でお父さんはどんな者かやっとわかったわ。カブにもむかついた。もはや私には迷いはない。時間がたっぷりある。一緒に行こう、イタリアへ」「イブちゃん……!」

 イブの言葉はアダムを鼓舞し、感極まった二人が力強くハッグした。

「……」さっきから割り込むタイミングを計ったカインは完全に二人の世界に入った両親をその場に残し、室内に入った。少年の頭にモーガン・フリーマン似の神の姿が浮かぶ。いまいち実感がわかないが、彼は神の孫に相当する存在だ。

 怒りっぽく、我儘で、人間を見下ろしている。でもその大地と空を揺るがす力は本物だ。僕が知らない場所で、とんでもない戦いが起こっている。祖父はみなを守るため戦っている。そう思うと、心の中が熱くなった。

 かっこいいな。僕もいつか、神みたいの存在になれるかな?

(続きは土用の丑の日にて)

Googleでeelを検索したらタチウオの写真が出た。ゆえにタチウオはイール。文句あるか?ーーakuzume
チンアナゴは英語でGarden eelと書かれる。そしてエデンの園はGarden of Edenだ。すべては繋がったーーイルイトの書


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