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タピオ・カーン TAPIOCA KNIGHT

「店長はん、売上が上々やな」

「ハイ、リンさんのおかげで」

 渋谷、ティーショップ「リットルフィニックス」、二階のオフィス。店長の児内(こない)とソファにもたれた男がローテーブルを挟んで対面している。男の名前は林玄聖(リン シュエン スン)、母体会社から派遣されたお目付け役……つまり台湾マフィア『凰門』の幹部だということだ。はたけた黒い唐装(中華風のシャツ)の中に覗かせる関羽と関勝の刺青、オイルで整えた三七分の黒い髪、細い目は酷薄さを秘めている。その後ろに同じ黒い唐装を着た舎弟が手を下腹の前に組んで控えている

「児内はん、ここは日本や。ハヤシと呼んでおくれ」

「は、はい、すいません。ハヤシさん」

「緊張せんでええ。ほな、茶を頂こうか」

 ハヤシはローテーブルにある赤土色のティーポットから小さめの茶碗二つに茶を注ぎ、一つを児内の前に出した。東方美人茶の上品な香りがオフィスに漂う。児内は茶碗を掴み、黄色い茶湯を啜った。

「美味しいです」

「ほんまか?ではその旨さについてポイント三つ言ってもらうか?」

「えっ、それは」

 狼狽える児内。背中に汗が滲み出る。

「はは、冗談やで冗談。正直茶のうまさはいまいち分からへんわ。ワタシはコーラの方がええ」

 ハヤシはまた85℃ありそうな茶を一気に飲み干し、タフさを示した。

「今のタピオカブームも、いずれ終わるんや」ハヤシはそう言い、茶碗をトンとローテーブルに叩きつけた。「こっからが本番や。業界で食っていくには、何が大事だと思うん?」

「やはりその、常連顧客なんでしょうか?」

「その通り。その常連顧客が離れへんよう、これを使うんや」

 ハヤシは指を鳴らすと、舎弟の一人が冷蔵庫からタッパー一つを取り出し、ハヤシに渡した。

「これは何がわかるか?」

 ハヤシはタッパーの蓋を外し、なかに黒く丸い粒とゲル状の液体が入っている。

「これは……タピオカに似ているんだが、しかし匂いが……」

 その通り。タッパーの蓋が外された瞬間、茶の香りを覆いつくすドブめいた臭いが中から発した。

「知っとるか、タピオカは台湾では、カエルの卵と呼ばれた時期が実際あったんや。そしてこれが、オオヒキガエルの卵や」

「カエルの卵って、うちのタピオカに何の関係が?」

 児内はとても悪い予感がした。

「オオヒキガエルはな、サトウキビ畑の害虫を駆除するためオーストラリアや石垣島に輸入されたが、現地に天敵がなく、どんどん数が増えて問題になっている害獣や。毒液はもちろん、肉と卵にも毒があるんや」ハヤシはタッパーを持ち上げて揺らした。「しかしそれと同時に、オオヒキガエルを舐めた犬が、まるでヤクをキメてトリップ状態に陥ることが発見されたんや。世界中の麻薬組織はオオヒキガエルの毒液に注目したわけ」

 数秒間の沈黙、ハヤシは口の中に溜まった唾液の飲み込み、再び口を開けた。

「これはタピオカに混ぜる」

 ゴーングヮーン!雷鳴!

「そ、そんなことがっ!」

 さらに狼狽える児内!玉のような汗が額より垂れる!

「まあ落ち付きぃや児内はん。ティーに毒を盛れと言ってへんで。ただタピオカの3%をカエルの卵に変えるだけやで。安全剤量や。もしその高潔な精神が損なうと言うんやったら」 

 ハヤシは手招きし、舎弟の一人がズボンの中に隠していた鉈を抜いた。

「この場で即解雇してもええんやで?」

「わ、わたしはっ」震え出す児内。「ただ、ティーを作って、お客さんに提供する、単純な商売をしていき……」「ざっけんなコラー!」「ひっ!?」

 ハヤシはテープルをパン!と叩き、立ち上がると、舎弟が持っていた鉈を奪い取った。

「そんな甘ったるい考えで、業界を生き残るつもりとでもーー」

 鉈を突き出して凄むハヤシ!児内が腰を抜かして失禁寸前!その時である。

 コンコンコン。ドアが三度叩かれて、ハヤシの言葉を遮った。ハヤシは一旦鉈をテープルの下に隠し、ドアに向かって叫んだ。

「なんや!」

「あのお、お取込み中申し訳ありませぇん。ちょっと店長に用があるんですが」

 ドアの向こうに店員の声が聞こえてくる。なんか困っているようだ。

「はぁー、なんやこんな時に……店長、仕事していきぃや」

「あっはい。ちょっと失礼します」

 正直ハヤシから離れる口実ができてほっとした児内は速やかに退室した。

「店長、大丈夫すか?顔色が」

 妙に汗ばんで蒼ざめた児内を見た留学生の劉が心配そうに尋ねた。

「わたしのことはいい。それより用とは何だい?」

 児内ができるだけ気を取り直し、威厳ある店長を装った。

「えっと、さっき馬に乗った変な客がきて、どうしてもオフィスに行きたいそうです……」

「はあ?」

 児内は思った。何を言っているだこの子は。ここの日本、しかも渋谷だぞ。馬に乗った人間なんているわけが……いるのか?

「……と、とりあえず店内は関係者立ち入り禁止だ。わたしは話をつけてこよう」

「いやぁ、それはですねー」劉は申し訳なさそうに階段の方へ振り向いた。「もう勝手に上がっちゃったもんで」

「えっ」

 廊下の突き当り、階段のある右側、モンゴル帝国式鎧を纏った、見事な黒ひげをたくわえたモンゴリアン戦士がエントリーした。その手に持っている短弓にタピオカ用のストローを模した矢をつっかえている。

「えっ」

 オオヒキガエル真実、蛙卵タピオカ、凄むマフィア、これだけで一杯になった児内の脳が迫りくるモンゴリアンを認識することを拒絶し、空白になった。

「タピオー、カーン」

 二人の横を通りぬいたとき、モンゴリアンは呟き、超自然に白く発光する目で児内を一瞥した。

 オフィスの前に立ったタピオ・カーンは、足をあげ、前蹴りでドアを破壊!KRAAAASH!侵入!

「なんやこいつ!?」「がぅふ」「タピオォォォ!カァーン!」「大哥!ぐわッ!」「おどれェェェー!よくも小弟をーー!どこのもんだ!」「ターピオォ!カァン!」「日本語で喋れーーッ!」「タ!ピオ!カァーーン!」「ごぽっ」

 およそ14秒、オフィス内の爆風のことく破壊が終了し、廊下に児内と劉は壁に背中を預けて、互いに目を交わした。このような場合はどうすればいいのか、二人にはわからない。やがてオフィスの入り口から返り血を浴びたタピオ・カーンが出てきた。

「ヌッ」「ぎぇ」

 二人は壁にめり込む勢いでに道を譲った。児内の前を通ったとき、タピオ・カーンは止まり、手を伸ばした。「ヒッ」反射的にめを閉じた児内。

「タピオ、カーン」

 児内の肩は軽く叩かれただけだった。

 タピオ・カーンはそのまま階段を降り、暫くして下から「タピィーフィーンヒヒヒーーン!」と馬っぽい声が聞こえ、遠さがっていった。

「ハァー!」危機が去ったと理解した劉は完全に腰を抜かして廊下に座り込んだ。「な、ななな……なんなんですか今の!?」

「わたしが知るか……」

 児内がやつれた顔で返事し、さっきの肩ポンを思い出した。なんだろ?まるで励ましてくれたような……

(いや、考え過ぎないでおこう、気が狂いそうだ)

 二日後、川崎にある凰門の事務所がカチコミを受け壊滅した。それはまた別の話。

(続く)

ータピオ・カーンは口を開けば自分の名前を繰り返して叫んでいるが、彼が人語を話せないわけではない。彼は人間に干渉する場合、言葉ではなく剣と矢といった単純で直接な手段を選びがちだ。タピオ・カーンは気が荒い騎馬戦士である故ー
≪澱粉と神話:タピオ・カーンの章 より≫

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