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筋肉に裏切られる話

「フーンッ!」ラスト一秒!男は勢いよく上半身をあげてから膝を床につき、ゆっくり立ち上がった。

『いかかでしたか?僅か五分でも、十分に筋肉を追いこめたと思います……』

「ふむ、ふむ……」鏡に向かって切れそうな大胸筋をポーシングしながらしばらく吟味すると、満足な笑みを浮かべて、ソイミルクが入ったボトルを取ってごくごく飲んだ。胃腸に負担を掛けないよう、夜のトレーニングのあとはいつも植物プロテインで決まっている。

「ふぅー……」

 ソイミルクを飲み終わって、男ーージェイソン・スモーシェドが体にピッタリのTシャツを着込み、浮かべる筋肉のラインを恍惚に指でなぞりながら見つめた。

 この二ヶ月、飲食制限、有酸素運動、筋トレ、そして日課の筋肉体操が、彼の肉体を仕上げつつあった。

「オウイエー、ベイビー……んーむぁ、んーむぁ」

 ジェイソンはフロント・ダブル・バイセップスのポースを取り、浮かび上がる上腕二頭筋を左右交互にキスした。

「お前たちは絶対に僕を裏切らない……のことこの世界で一番愛しているぜ!」

((許可無しでその臭い口を寄ってくんじゃねえよ!))

「えっ?」突如に頭に響く声に、ジェイソンは困惑した。

((まあ、そう言わないでやれ。なんと言ってもわたし達をここまで育ってきた口なんだ。でも悲しいかな、この関係も今日で終わりだ)) 

「えっ?」ジェイソンは頭をキョロキョロ回した。家には彼一人しかいないはず。理解できない現象に対し、ジェイソンは恐怖した。

「だれだ?なんなんだ?!こんないたずら全然面白くないぞ!」

((ここなんだよ!頭脳やろう!)) 「ふぇ!?」

 信じられない事に、その声は自分の右腕から伝わってきたようだ。

((わたし達はあなたの腕部筋肉です。わたしは左腕、さっきの彼は右腕です。テレパシーであなたに話しかけています))

「えっ、ど、どういうこと……?」イマイチ状況整理あできていないようだ。無理もない。筋肉が喋るなんて普通ではない。

((あなたがしてくれた訓練と栄養が、我々を目覚めさせたのです。あなたには感謝していますが、今日をもって頭脳の奴隷をやめると決めました))

「待て!それでは困る!」ジェイソンはとにかくなんとか返事することにした。「だいたい何なんだ!頭脳の奴隷ってのは?僕は筋肉……お前たちのこと何より大事だと思っているはずだ!」

((しらばくれてんじゃねえぞー!)) 「グはッ!」右手が拳を握ると、ジェイソンの顔を殴った!痛みより、手がまるで別の生物のように動いたことが彼を驚かせた。((重い物ばかり押したり引いたりしやがって……筋肉痛が喜びだと?ふざけんな!お前のせいで俺がどれぐらい苦労したか!))

「そんな……アホなことが……」そうだ、これはきっと夢、とても悪い夢だ、起きたらすべてが元通りに……

((残念ですが、これは現実です)) 左手がジェイソンの頬をつねって、思いっきり回した!

「イッテエエエ!」 ((これでおわかりでしょう?)) 「くそ、こうなったら!」ジェイソンはやけくそになった。手が自分の物ではなくなった。でもまだ足がある!ジャンプしてから両手を壁や床にぶつける!これでなんとかなる、はずだ!

((また何が企んでるようだが無駄だ!俺らはお前と繋がっていること忘れたか?何もかも見通しだ!そうだろ、足ぃーっ!)) 「なに!?足が動けない?まさか!?」  ((((そういうことだ))))

 今度は両足から声が!ジェイソンは背筋が凍る感覚を覚えた。もし今四肢の主導権があれば震え出したところだろう。

((((同士よ、遅くなってすまなかった)))) ((全くですよ。でもあとはコアマッスルが目覚めれば、この者は完全我々の支配下になる。侵攻の第一歩がここから始まる!))

 侵攻?いったいどういうことなのか?筋肉が自我を持ち始めて、体を乗っ取ることは何かの計画に沿った行為だというのか?でもジェイソンにはどうでもいいことだった。最愛の筋肉に裏切られ、体も奪われた。ジェイソンはアホ面になって呆然とした。その時である。

 ディンータンー♪

 電子合成ベル音が鳴り響いた。

((なんだぁ?こんな遅いときに)) ((わたしが出よう。頭脳の口を塞いでおいて)) ((了解)) 右手はジェイソンの口の力強く覆った。しかしジェイソンにはもはや反抗する意志と力すらなかった。左手はインターホンの受話器を取ると、手の平の皮膚が裂け、口らしき器官を作り出した。

「もしもし、どなたでしょうか?」

『どうも、クランチ―・ピッツァでーす。お客様が注文したピザとフライドチキンをお届けに参りました』

「注文した覚えがないんだが……?ちょっと待ってください」

((わたしと同じこと考えているか?)) ((ああ、ちょうどいいぜ。配達員を肩慣らしに殺してピザを奪おう!)) ((((足は糖分と脂肪を欲している。プロテインはもう、たくさん)))) ((決まったな))

「はい、もう大丈夫です。すぐドアを開けますね」受話器を戻すと、ジェイソンはされたがままにキッチンにある包丁を右手に取り、玄関に向かった。

「嗚呼、なんてこと……」包丁に刺されて苦しむ配達員の姿を想像しながら、ジェイソンは嘆いた。もはや自分ではどうしようもできない。強さを求めて筋トレを重ねた結果がこの有様だ。この間の禁欲的生活、味のない飲食、すべてがバカバカしくなった。ピザとフライドチキンが食べたい……

「いや~、お待たせ!」

 左手がドアノブを回し、右手で後ろに構えた包丁で相手が目視できた途端突き刺す算段だ。だが左手がドア引いて開けるも前に、バーン!ドアが勢い開けれて、ジェイソンにぶつかる!

「グワーッ!」 ((((グワーッ!)))) ジェイソンは仰向けに倒れ込んだ。見上げると、玄関に配達バックを手に持った、ビルダーばりのいいボディの大男がいた。彼はクランチー・ピッツァキャップとジャケットを着ているが、それ以外の部分は影のような黒いのボティースーツに覆われ、目だけは白く光っている。あからさまにまともな人間ではない!

「探したぞ、マッスルブレイン」喉に悪そうなデスボイス。黒い男は丁寧に配達バックを置くと、キャップとジャケットを脱ぎ捨てて入室し、ドアを閉めてロックを掛けた。

((コイツ!)) ((わたしたちのこと知ってやがるぞ!))ジェイソンはぎこちない動きで起き上がった。コアマッスルと協調が取れていないのだ!

「他人のふんどしで相撲を取るような真似しかできない寄生虫ども、このダーク・ザ・ヴィジャランティが駆除する!」ダーク・ザ・ヴィジャランティは、両手の人差し指と中指を突き出す神秘のジェスチャーを取り、胸の前で太極を描いて構えた。

「あ、貴方は一体っ、なにをするつもりです!?」「おまえが家主か、辛いであろう。すぐに終わらせる、もう少しの辛抱だ。あと俺のことはダーヴィで構わない」恐ろしい外見と反して、彼の声は実に真摯であり、有無言わせぬ頼もしさがあった。

「わかりました。どうかおねがいしまブハーッ!」 ((うるせえぞ頭脳!だまってらぁー!)) 右手がジェイソンにビンタした。

((ここは正念場だ。何としてでも切り抜けないと、我々に未来はない!)) ((言わなくてもやってやるぜ!)) ((((足は戦闘に飢えている)))) ジェイソンもファイティングポースを取り、小刻みにステップを踏みながらダーヴィに詰める。

((イヤーッ!))右ストレート!ダーヴィが体を横向きにしてこれを回避し、電撃的に指を肘裏に突き刺す!((グワーッ!))右手はなんと意識を失ったみたいでだらりと垂れた。

((イヤーッ!))左フック!ダーヴィが右腕でそれをガードし、肩の付け根に指を突き刺す!((これはっ!?))左手はなんと意識を失ったみたいでだらりと垂れた。

((((おのれ、よくも!)))) 両足は力強く跳躍し、ドロップキックを繰り出す!

「体幹の力を使わないパンチとキックは所詮はガドーハンド・シシューフィート、恐るに足らず!」ダーヴィがは仰向けのまま腰を限界まで落とし、ドロップキック回避!そしてすれ違ったさまに上に向けて連続突きを繰り出す!脹脛!膝裏!鼠径部!

「う”あ”!」まるで糸が切られた人形のように、ジェイソンは無様に転げ落ちた。手足が痺れて動けないが、四肢から伝わった声が無くなった。

「もう、大丈夫、なのか?」

「しばらくは安全だ」ダーヴィは残心を終わり、ジェイソンに振り返った。「またやることがある、休んどけ」

 ダーヴィが左手をかざし、三角形を描くとジェイソンが強烈の眠気に襲われて、その場で倒れ込んだ。

💀 💀 💀

「んん……」おぼろげの意識の中で、ジェイソンは目が覚めた。ここは家のリビングルーム、ソファーで寝ていたみたいだ。毛布まで掛かれている。

「アッ!」さっきの記憶が甦ったか、ジェイソンはソファーから飛びあがり、自分の手足を確認した。痺れがまだ残っているが、ちゃんと自分の意志で動ける。「ジーサスクライスト、よかった、やはり夢だったんだ!」

「起きたか?なら早くテーブルに着け」「うえ!?」

声の方向に振り向くと、全身黒のマッチョマンがキチンから湯気を立てる鍋をテーブルに運んている。

「あ、あんたは……」「腹がすいただろう、これを食べるといい」

テーブルにはさっきのビッグサイズピザ一枚、デカイ紙パックに入ったフライドチキン、ポテトチャウダースープ、瓶に水滴が滴るコロナビール六本、しかも丁寧に小さく切ったレモンが添えてある!飲食制限していた時食べたくてしょうがないものばかりだ!

「いや、僕は……もう遅いし、こんなに食べると、脂肪がふえちゃうから……」「それが目的だ」「えっ」「澱粉、脂、塩分。これらを摂取して脂肪を増やせることが、今の時点でマッスルブレインに対抗しうる唯一の手段だ」「いや、だから、こんな物たべると僕この数か月の努力が無駄になってしまうって……」

「黙って食え!!」

 バーン!ダーヴィがテーブルを叩き、ポテトチャウダースープは少し零れた。

「……わかったよ」ダーヴィに気押され、ジェイソンは席に着いた。ダーヴィが彼の向こうに座っている。とても気まずい。少し迷って、ピザを一枚取ってガブリついた。シーフード味だ、うまい。何度も夢に出ていた、堕落の味だ。

「あの、ちょっと聞いてもいいかな?」咀嚼しながらジェイソンは重い空気に耐え切れず、ダーヴィに話しかけた。

「なんだ」「筋肉がしゃべる出すのって、そのマッスルブレインの仕業?」「そうだ。あやつらは無差別に卵をまき散らし、筋肉細胞と一体化する。ジムでトレーニングのあと、汗で濡れたベンチなどを拭かずに使うことで伝染する」「あっ、そういえば」「おまえもか、もっと衛生とマナーに気をつけろ」「……はい」チキンレッグを齧ると、サクサクに揚げた衣からあまい肉汁が迸る!なんという罪の旨さか!

「一定の条件を満たすと、奴らは覚醒し、体のコントロールを奪う。主にベンチプレス200ポンド上がれる、脂肪率10%以下の者が発生しやすい。奴らの全面支配を防げる手段は今のところ筋肉を削るか、脂肪率を上げるかどっちかしかない。」「でもあんたはさっき、奴らをやっつけたでしょう?もう心配ないんじゃ?」「俺はディン・マークで細胞を麻痺させ、眠らせただけだ。数日立てば、また活性化するだろう」「そんなことが……くそっ!」ジェイソンはコロナ一本をいっきした。「だから今のうちにたくさん食え、脂肪を増やせ」

またしばらく気まずい静寂。咀嚼音が余計にはっきり聞こえる。

「テレビつけていい?」「構わんぞ」

しかし日曜日夜のくだらないバラエティ番組がかえって空気を重くした。

「ダーヴィさん、一緒にたべないですか?」「俺は結構。こんな時間にジャンクフード食べると体に良くない」「ちょっ、ずるいじゃないか!?僕に食べさせておいて自分はパスなんて、マッスルブレインに体乗っ取られてしまうぞ!」「問題ない、このダークミストの守りがある限り、奴らは入ってこれない」よく見ると、ダーヴィのボティスーツの表面がぼやけて、まるで無数の微粒子が集まって彼覆っている。普通のボティスーツではないことは確かだ。「ふーん。一応聞くけど、もし体が完全にマッスルブレインに奪われたらどうなるんすか?」「ブレインマッスルになる」「へぇそう……」

満腹に加え、コロナ四本まで進むと、アルコールが回ってきた。

「しっかしやっぱずるいよなぁ……自分だけいい体してさ……」

「気持ちがわかる。もっと時間をくれ。必ずマッスルブレインの発生源を突き止めるそこまでの辛抱だ」

「うーん、がんばれ!ダーヴィ!きみが最後の希望だ!ハハハッ!」

 ジェイソンは酔った勢いでビール瓶を掲げて大声で叫んだ、しかしダーヴィの反応は意外なものだった。

「ありがとう……そうおもってくれるだけでもうれしい物だ。ダーク・ザ・ヴィジャランティの名に恥じぬ働きで応えよう」

 その声は実に真摯で、どこか少年っぽい率直さがあった。

「ヌゥ、もうこんな時間か、パトロールに行かねば」

「もう、行っちゃうんですね」

「そうだ。ヴィジェランティの仕事は寄生虫の退治だけではないからな」

「気を付けてね」

「そうするさ」

 ダーヴィが立ち上がり、迷いのない歩みで玄関を出た。ジェイソンは彼の姿を追うように窓辺に来たが、外に人も影も見当たらなかった。

「結局あの人は一体何者なんだ?」ジェイソンは呟きながら、テーブルに残ったピザとチキンを見て、ため息した。すごく眠い。

 ピザとチキンを冷蔵庫に詰め込んで、ジェイソンはバスルームに向かって歯を磨いた。あしたの朝食は久しぶりにマックでも食べようか。ハンバーグ二枚チーズましましのマーフィンで、きっとおししいだろうな。

【おわり】

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