40歳、実家住み、初独立

 ハンマーの一撃が龕を砕けた。舞い上がる香灰でむせそうになった。花崗岩の薬師如来像が床に落ちて、首が断裂した。

「わりいね仏様。でも彫像の1つ2つ、壊れたって別にいいっしょ?どうせご本人は彼岸のとこかで浮いてんだろうし」

 俺はハンマー床に置いて、ソファに沈んで缶ビールを開けた。今日の破壊行為はここまで。あまり騒いでお隣さんに通報されたらまずい。

 数日前、この家はまだ線香が漂い、ブッダマシーンが七色に輝いてお経を流し、薬師如来像が丁重に仏壇に奉られていた。壁には般若心経の掛け軸が飾られて、仏教書籍が本棚の98%を占めていた。家主が信心深い人だと一目でわかる。

 それを俺が叩き壊し、引きちぎり、めちゃくちゃにした。家主である母親は今病院で寝ている。昏迷状態だ。家で心臓発作が起こって、手術で一命を取りとめたものの、意識が戻らなかった。医者の話によると意識の回復が極 めて困難だと。

 母の生前契約により、回復が望めない意識不明に陥った場合、一切の延命措置を施さないと合意している。彼女はこのまま、衰弱死するだろう。

 開放感を覚えた。母親との仲が悪いわけではない。ただ30余年に渡る菜食、お香、ブッダマシーンの波状攻撃を受けてきた俺も色々限界だ。しかし都市の近郊で最寄り駅まで歩いて10分だけのいい住まいを出て部屋を借りる方がもっと非合理なので、俺は我慢比べして、そして勝った。もうすぐここが俺の城となる。このビールは母の弔い酒であり、新城主即位の祝杯だ

 じりりりり、電話が鳴いた。病院にいる叔母さんからだ。仏教ババァやっと死んだか?おっといけない。悲しむ演技しないと。

「もしも…」
『孝!お母さんが意識が戻ったよ!仏様がご加護を賜ったわ!ああよかった!』
「え」
『早く来て!お母さんが孝に会いたがってるわ!』
「あ、はい。すぐに行きます」

 俺は電話を切って、割れた薬師如来に目を向けた。

 こりゃ怒られる程度では済まなさそう。

(続く)




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