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4畳8間

「一人暮らし」というものをしたことがない。

高校を卒業して2ヶ月間は実家に居座りながら近所のコンビニでバイトをし、その後は何のご縁があってか2ヶ月ほど高知県で農業じみたことをしながら6人ほどで下宿のような生活を送り、秋田に帰って大学に入学してからはほぼ寮生活のような暮らしである。
部屋を「借りる」というよりは、行く場所行く場所で用意された住居にお金を払いそこに住んでいるという感覚。

しかし、一度だけ、「部屋を借りた」ことがある。ちょうど1年ほど前のことだ。
秋田で大学生をしながら、なぜか月に一度は東京に行くような生活をしていた。東京から秋田に帰ると鬱モードになり、帰った翌日は確実に授業に行けず、まったく使い物にならなくなるような生活。

そんな様子を見かねた当時の同居人が「帰ってきてそんなに落ち込むなら」と冬の間に東京に住むことを勧めてくれたのがきっかけだった。

「結婚式場で働く」という大義名分の元に東京へ行く口実を作り、私の部屋探しが始まった。ウィークリーマンションでもどこでも、都会のなかに住めたらそれでよかった。ただ、ウィークリーマンションに住むだけのお金がなかった。頭金やら何やらで、3ヶ月の滞在で軽く30万円近くは飛ぶ計算。都会は甘くなかった。

そして紆余曲折あって、友達の紹介で住むことになったのは、スカイツリーのふもとにあるシェアハウスだった。「これ以上住む場所のことで頭を悩ませたくない」という思いもあり、内見の際に即決した。家賃は共益費や水光熱費も含めて6万円くらいだったと思う。

よくわからないけれど、すごく居心地のいい場所だった。当時住んでいた8人は年齢も職業も全てバラバラ、男女比も6:2。なにもかもが良い意味で不揃いで、そんなあの家が、東京にある「私の帰る場所」だった。

バラバラだったけれど、休みの日には近くの駄菓子問屋さんに出かけて5000円以上もの駄菓子を買ってきたり、役者をやっている同居人の舞台を観に行ったりと、3ヶ月しかいられなかったのが本当に寂しくなるくらい大好きな家だった。

そしてこの間の9月、他の用事で東京に行った際、その家に顔を出したとき「この家がなくなる」ということを聞いた。詳しいことは聞いていないが、土地開発の話が持ち上がり、今のオーナーが売却、次のオーナーはここを取り壊す予定だという話だった。

いつでも帰る予定だった。住人は変われど、私が知っている人が住んでいるうちは、東京に行くたびに顔を出す予定だった。そんな矢先、取り壊されることを聞いた。晴天の霹靂である。

退去日として指定されたのは10月末日。それまでにほぼ全ての人が出ていくらしかった。

すぐさまスケジュールを確認し、10月の半ばに2泊、お邪魔することにした。

なかにはすでに引っ越しを済ませた人もいて、家の中もなんだか寂しく感じられた全退去2週間前のこと。

あっちこっちと出歩く予定だったのが、結局さみしくて近所をお散歩しただけになった。

もうどこの駅からも地図を見ずに帰れるようになった家。同居人の飼い猫と一緒に暮らした家。結婚式場に行く足が動かなくなってひたすらしんどい思いをした家。夜の仕事が終わるとスカイツリーに背を向けて帰った家。

あの街にはもう「ただいま」を言える家がない。

昔住んでいた部屋前を通りかかったときに窓のひかりを見て胸を熱くする、なんてことはなく、もう、「なくなった」のだ。
新しい誰かが住むわけでもなく、取り壊しを待つだけのあの家を思うと涙が出そうになる。

田舎から飛び出した一人の小娘を受け入れてくれたあの家で一緒に住んだみんなが、もう文字通りバラバラになってしまった、「同居人だった」みんなが、それぞれの場所でそれぞれ幸せでいてくれたらいいな、と思う。

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