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国際ドキュメンタリー映画祭 山形でやる意味は?

国際ドキュメンタリー映画祭が
4年ぶりに山形市で行われた。

現在山形市は国際豊かに彩られている。
外国人が街中歩き回っている光景をよく見る。

今日も時間がないため長文になってしまう。

ただ僕が疑問に思っているのは
山形市民はそこまで盛り上がっていないこと。
なぜだ。
1989年から開催されているのに。

果たして山形県で開催する意味は?
とても疑問に思った。

僕はドキュメンタリー映画を何本か見てみた。
しかし開始5分程で飽きてしまう。

僕は何を見せられるの?
これってドキュメンタリー映画?
正直言っちゃ何もおもしろくない。
さらに言えば
これは山形市民も盛り上がらないのもわかった。
面白いから!ぜひ見て!となんて言えない。

君の名はやシン・仮面ライダーを見た方が
100倍面白い。

ただ、
どのシアターもかなりのお客さんが観にきている。
満席のシアターをいくつか見た。

僕はこう思った。
僕がおかしいのか?

上映後の監督との質疑応答では
ある女性が
泣きましたと言っていた。
さらに監督なんて
これは正直ドキュメンタリー映画ではない
と発言。

え?。


ますますわからない。
僕は2日間絶望に陥った。
心のモヤモヤが晴れない。

なぜたくさんの人が見にやってくるのか。
県外や外国人が多い中
市民はほとんどいないじゃないか。
じゃあ東京で開催しちゃえば??

しかし、
様々な新聞記事や資料を読み込んでいくうちに
なんとなくわかってきた気がする。

市の100周年記念事業として始まった
国際ドキュメンタリー映画祭。

開催には
当映画祭第1回の開催時から
映画祭を盛り立てる市民ネットワークの要として準備に奔走した髙橋卓也氏の姿があった。

髙橋氏は運営母体が山形市からNPO法人として
独立して以降
山形事務局の事務局長として
映画祭の運営全般を中心的に
引っ張ってきた。

髙橋さん2022年に永眠。
帰らぬ人となった。その他の歴史は省略する。

僕はこう思った。
ボランティアの方やスタッフの方は
髙橋さんの意思や情熱を受け継いでいるんだと。
だから
山形で開催され続けているんだと。
簡単に言えばこんな感じ。

ドキュメンタリー映画に向き合うことは
とても大変なこと。
もはや、ドキュメンタリー映画に向き合っている
若造=自分をドキュメンタリーしたい。

ドキュメンタリー映画は異質なもの。
そしてドキュメンタリー映画祭も
僕にとって異質なもの。

ただ、こうやってよそから来た人たちを
山形の人たちは快く受け入れている。
そんな山形県民の良さも
開催されている理由の一つなのだろうか。

異質でわけのわからないもの。
でもどこか心温かいところ。
そんな気がします。

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