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もーにんぐ

 最近の私の仕事は、朝ごはんに使った皿やコップを洗うことだ。私以外の家族はもう仕事や学校が始まっているので、必然的に私が一番遅起きになる。朝、目覚めると誰もいないこともしばしばある。実家にいてもひとりぼっちなんて悲しい。だから早く起きればいいのだけれど、早く起きるとポケモンたちがすぐ元気をなくす。ポケモンスリープの話である。今日は初めておなかのうえ寝を見た。

 8時間半眠るのは難しい。早く眠ろうとすると、途中で目が覚めてしまう。たいてい、3時。3時に目が覚めて、なんとなく横を見て、母親が隣で寝息を立てていることに安心する。一度目が覚めるとなかなか眠れないので、廊下へ出て、部屋の扉を完全に閉めてから廊下の電気をつける。母親まで起きないように。電気をつける前に一瞬だけ、闇が迫る。扉の正面には妹の部屋があり、その扉にはステンドグラス風のガラスのようなものが埋め込まれているのだが、それが暗い中にぼんやり見える。息を吐いて、廊下にあるミニキッチンまで行って、小さな、手のひらよりも小さな、コップを手に取って水を汲む。別に喉が渇いているわけではないけれど、一気に飲み干してからそっと部屋に戻り、また眠りにつくのだ。

 寝付くのが難しい夜もある。母の寝室はエアコンがない。窓を開けて、虫の声を聞いていると涼しい風が時折入ってくるけれど、母よりも窓から遠いところに布団をしいているのであまり自然の恩恵を受けられない。仕方なく扇風機をつけたまま寝る。タイマーがついていないのでつけっぱなしだ。タイマーがついていたとしても暑くてつけっぱなしだった可能性はあるけれど。このつけっぱなしのせいで、母も私もお盆の頃は喉が乾燥してしまい、母に至っては声がガラガラになってしまった。扇風機をつけていても暑いので、冷凍庫で冷やしたゲルを首に当てて寝ている。アイスノン、と呼んでいるが、同じような製品というだけでアイスノンではないと思う。分からないのでアイスノンでいいことにしている。それを首に当てて、寝ようと目を閉じてじっとしているうちに、だんだん冷たさがなくなっていき、しまいにはもうぬるくなったそれを手に握りしめている。眼鏡を外しているので部屋の時計が見えず、何時なのかを予想しながらぼんやりしていて、それでも眠れない。そういうときは、一人でしりとりをしている。
 こんなにも眠れないのに、朝になって見てみると、ポケモンスリープは「ねつくまでにかかった時間 20分」と言うので、これは母親のデータなのではないかと疑っている。

 朝の6時前に母は起きる。自然に目が覚めるのだと言っていた。私は起き上がって廊下に出ていくときの振動で実は目覚めているのだけれど、眠ったままのふりをする。そうしているうちに、また眠ってしまって、8時になる、と、誰もいなくなっている。ほんとうは一度目が覚めたときに起きてしまえばいいのだ。それをしないのは、単に眠くて起きたくないのとは違うような気がする。明確に理由を探るのは難しい。
 
 一人で起きて、トイレに行って、顔を洗って、朝から暑いのでリビングの扇風機をつける。テーブルの上に残されたロールパンをむしゃむしゃ食べて、冷蔵庫に入っていた1リットルパックのジュースを注ぐ。だいたい、コップ半分あたりでなくなる。不味い薬を飲んで、歯を磨いて、着替えて、それからやっと皿を洗う。暑いので、ここでも廊下の扇風機をつける。朝は扇風機をつけたり消したりしている。短期間でつけたり消したりするのは、電気代のことを考えると良くないということはうっすら知っているけれど、暑いのが悪いのだと思う。あまりに暑いと、もう涼しい部屋に閉じこもって、昼になるまで皿を洗えないことも、ある。

 皿を洗うために水を出しているのではなく、水に触れるために皿を洗っている気がする。水に触るのが好きだ。高校生のとき、学校の、美術室に一番近い水道や、美術室内にある水道の水をずっと触っていたことがある。触れ方を少し変えれば、水の流れる動きもどんどん変わる。手の甲から指先にかけて水を流してみたり、掬うように手のひらに収めてみたり。夏場の皿洗いは、これを正当な理由でできるから好きだ。暑さのせいでぬるい水が出てくるととたんに嫌になってしまうけれど。

 朝はパンの一家なので、皿はほとんど汚れていない。たまに、父が気まぐれで目玉焼きを作ったり、たっぷりかけたはちみつが皿にまではみ出していたり、野菜ジュースを注いだコップがあったりするが、それも、油まみれのフライパンほど困難な洗い物ではない。スポンジで軽くこすっておけば、文句を言われることはない。だから私は今の仕事が好きだ。なんだか、朝の皿洗いだけで衣食住すべて提供してもらっている気持ちになる。

 今年の春にバイトを始めて、すぐにやめた。どうしてもだめだった。すべての仕事がこれくらい優しければいいのに、と思うけれど、現実が甘くはないことだってわかっている。短期大学に行った友人が、すでに就職先を決めていることを知った。いつまで甘えていられるのだろう、と思いながら、皿を洗いおわった私は今日も昼まで寝っ転がっている。

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