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オーロラ色の傘がほしい

6月には祝日がない。天気も悪いことが多いし、終わってみれば1年の折り返しという虚無感に立ち会うことになる。どこにも好きになれそうなところは見つけられないのに、なんとなく6月が好きだ。ろくがつ、という音がいい。ろく、という数字がそもそも良いように思える。英語やフランス語(この2つしか日本語以外は分からない)のsixではいけない、ろく。水無月というのもいい。旧暦の話であるゆえに、水が多いのに水無月にされてしまったところ。ちょっと不憫だ。みなづき、正統派美少女の名字みたいな響き。けれど、彼女、きっと負けヒロインだろうな、と思う。

今日は朝から雨が降っているし、おしゃれをしようと思ったのに髪はぼさぼさになるし、せっかく早く準備が終わったのに眠気に負けて居眠りをして、結局いつもの時間に慌てて家を出たし、雨が降っているから寒いだろうかと思って羽織ったパーカーは暑いし、そもそもおしゃれをしたのに誰にも親しい人に会わなかったし……とほとんど良いことがないままだった。4限はあとから授業の動画が配信されるから、その視聴でも可とのことなので、雨で気が滅入っていた私は遠慮なく帰宅することにした。

地下鉄を降りて、エスカレーターに乗って、駅のすぐ近くにあるコンビニに寄る。別に特に必要なものがあったわけでもないけれど、今日は300円くらいのマニキュアを買おうと決めていた。バイトをやめたのである。特にネイル禁止と言われていたわけではないし、実際ネイルしながら働いている人も見た。けれど、どうにも乗り気になれないというか、なんだかここでネイルをするのは違うような気がして、しばらく百均に売っているネイルシールを休日に貼ることで満足していた。ネイルシールは十分かわいい、むしろ自分で塗るよりもきれいで楽だけれど、ネイルは自分でやる達成感だよな、と思ってしまう。だから、明日制服を返しに行ったら、すぐに塗るつもりだった。

コンビニは、雨で平日昼下がりということもあって空いていたが、私と同じタイミングで地下鉄を降りたであろう人が何人か買い物をしていた。ほしかったマニキュアを手に取り、なんとなく値下げのコーナーを覗く。値下げのコーナーは、普段は買わないようなスイーツを買う理由に、食品ロスというもっともらしいワードをくっつけることができる魔法の場所だ。この前はホイップクリームが挟まったサンドイッチを買った。今日は、と除けば、赤い「3割引」の文字が書かれたアメリカンチェリーがこちらを見ていた。元の値段を見ると、まあ、それなりにする。これは食品ロス防止のため、最近果物食べてないし、スナック菓子買うよりもマシだし。うう、とうなりながらもかごに入れていた。かごを持っている時点で、マニキュア以上のものを買うつもりなのである。

帰り道、雨は激しかった。ちょうど小学生の下校時間と重なっていて、傘を持っているはずなのに頭がびしょぬれの少年たちとすれ違いながら進む。横断歩道を一つ渡れば、そこからは人通りは少なかった。人通りが少ないのに、前を一人の女の子が歩いていた。オーロラ色の少し大きめの傘を持った小学生だ。雨の日で、昼下がりとはいえ少し暗い。一人で小さい子が歩いているのを見たら、なぜだかすごく心配になってしまって、変な人に話しかけられたり、連れ去られたりしないといいな、という気持ちになった。私と行く先が同じであるうちは、私が見守ろうかという信念のもと、決して歩調は早めずについていった。というより、行き先がまるで同じだった。途中、鼻水が出てきて、鼻をすすっていたら、その女の子がちらりと振り向く。2、3回。女の子は、何かを決心したように、一本道をダッシュしていった。ああ、私も小学生から見れば危ない大人に見えるのかもしれないな、と思った。その後女の子は友達か、姉妹の別の女の子と合流して、ランドセルをその子に預けていた。その子もランドセルを背負っていたのに、である。預けられた子は、背中に自分のランドセル、おなかに別の子のランドセルを抱えていた。妹と昔、同じことをやったような気もする。

帰り道では一度、高架下を通る。運悪く電車が通るときに下にいると、雷が間近に落ちたような、いや私の間近に雷が落ちてきたことはこれまでないのだけれど、そんな音がするから、私はおそるおそる、けれど足早にそこを通り過ぎるようにしている。今日はなんとなく、電車が通らないような気がしたので、ゆっくり渡った、そういう日もある。
高架下を通っていると、特に今日みたいな、空が暗くて雨が降っているときだと、このままよくないものが現れる気がする。このときの「よくないもの」は、一般的なよくないものではなくて、児童書の、放課後にいつもの友人と雨の中ふざけて帰っていたら出会ってしまうようなものだ。つまりは、よくないものではあるのだろうけれど、わくわくを伴うような。そういう児童書を読んだことがあるからか、と思うけれど、思い出してみても記憶にない。「ない」記憶が形成されている。魔女だとか、妖怪だとか、そういう好奇心をあおるような「よくないもの」は、今日みたいな暗くて雨が降る放課後に出会えるのだと思う。もしかしたら、先ほどすれ違った小学生たちが今頃出会っているのかもしれない。少なくとも、大学生になった私には出会えない類のものだ、と寂しくなる。

車との距離が近い道を通る。道路にはすでに水が溜まっていて、これでは横を通られたら終わりだな、と思いながら歩く。頭には、ドラえもんの、トラックに水をかけられる不幸なシーン。かと思うと、通り過ぎる車が対向車線に車が通っていないことを確認したのか、少し中央に寄せて走ってくれた。私のおしゃれは守られた。こういうとき、いつもお礼を言いたくなる、優しい人がいて嬉しいなという気持ちになる。せめて会釈でもできたらいいけれど、感謝を伝えたいのはいつも通り過ぎたあとだ。

車の通りが少ないところに出ると、傘に落ちる雨の音を聞く。ときおり音がやんだかと思えば知らないうちに屋根の下にいる。お店の軒下を通るときは、わざと屋根を伝った雨水が落ちてくるところを通る。そのときだけ傘を指す音がぼつ、ぼつ、と鈍く大きくなる。こんなことをしていたら、家には勝手についているものだ。家が見えてくると、どっと疲れる。これまでの帰り道での疲れが全部来る。はあ、雨。これまで嫌悪感を抱いていなかった雨に、全部の恨みをぶつけたくなる。これだから6月は、嫌いだし、なんとなく好きだ。

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