犬、トンボ、美味い水

 久しぶりに犬の散歩に行った。どれくらい久しぶりかと言うと、オタク的誇張表現で言えば5億年ぶりくらい。実際に数えれば5年くらいだろうか。
 犬は私が小学生高学年くらいのときから飼っている、黒の雑種。飼いたいと言っていた妹が幼かったことと、私にも時間があったことから、飼い始めたときはよく散歩に行っていた。中学生、高校生になるにつれて、私が散歩に行くことはほぼなくなっていたし、それが許されていた。生粋のインドア派を理由にして。

 家には私しかいなかった。だから、必然的に昼の散歩をする役割を担うことになったのだ。田舎だから、というのが理由として成り立つかは不明だが、うちでは動物は外で飼われる。小さいときに母が大事にしていた猫も、基本的に外にいた、気がする。家の中から感じる日差しからわかる外の暑さ。実際出てみても、まあ、暑い。帽子をかぶればよかったと軽い後悔をしたが、せっかく外に出たのに戻るのも面倒だ。そう考えて足を進めれば、涼しい風が吹く。秋だ、と思った。立秋はもう過ぎていたっけ。甲子園も今日決勝だし、と、ほとんど興味もないのに考えてみる。リードの金属部分が手に当たって、やけどをしてしまうのではないかと焦った。秋だ、と思った矢先に、太陽の強さに屈しそうになる。やはりまだ夏かもしれない。

 家の近くにある公園まで歩き、公園をぐるっと回り、また家に戻れば終わりだ。幼い頃はこの公園にもはりきって駆けていったはずなのに、どこかで道を間違えたのだろうか。それとも、インドア両親の元に生まれた宿命だったのだろうか。公園の入り口には白い柵がある。その上にトンボがたくさん止まっていて、私と犬が通り過ぎると舞い上がっていく。赤いトンボに迎えられながら入った公園は、なんだかさっぱりしていた。草が刈られて短くなっているからだろうか。それから、私が家を出た頃には何も植えられていないまま放置された花壇に、サルビアが見える。入口近くのブランコは、今見ると座る部分がやけに低い位置にあることが分かった。遊具の塗装は剝がれ、木造のベンチはすっかり色あせている。ブランコの前にある柵だけは、この前、と言っても私が中学生のときだった気がするが、塗りなおされて赤く光っている。その上で、トンボは小休止する。公園は、涼やかな風で満たされていた。日陰はほとんどなく、太陽がかんかんと照っているのに、それが不思議だった。

 くるくる回っている犬。そのあとをふらふら歩きながら、トンボを眺める。トンボ、最近になって急激に増えているように思える。住んでいる地域での話だ。以前はそれほど気にならなかったのだが、あまりに多くないかと思う回数が増えたように思う。私が周りをよく見るようになっただけだろうか。高齢化と少子化が進むこの地域では、トンボの数の方が人間よりも多いということがあってもおかしくはない。

 来た道をそのまま戻って、犬を戻し、お菓子を1つあげる。その前に、置かれた水を変えてやろうと器を手に持った。金属製の器はもちろん熱い。こんな器で飲み物を飲んでいたら、どんなに美味しい水でもまずいと思うだろう。試しに指先を水の中に入れてみる。もう水と名乗っていいか分からないくらいだった。日本にはお湯と水の区別があるけれど、他国ではそうとも限らない、という話を思い出す。たしか、高校の倫理の授業で聞いた話だ。同じように、蝶と蛾の区別についても聞いたはずだ。ソシュール、だった、と思う。授業では「日本では区別あり/他国にはなし」の説明しかされなかったから、「日本では区別ない/他国では区別あり」の例も知りたい。けれど、こうして思いついた疑問、調べないうちに死んでしまっていることが多いこと多いこと。犬は陰に隠れて舌を出していた。そうか暑いか、毛皮だもんな、と思いながら歩き始める。家の裏には小さな山があって、沢の水が得られるところが庭にある。今日は美味い水をあげよう。

 沢の水は冷たかった。自分で飲むつもりにはなれなかったので分からないけれど、美味しいと信じている。お菓子も1つ、倉庫から取っていくのを忘れずに。犬は、日陰で待っていた。美味い水だよ、と器を置いてもなかなか動かないので、お菓子を鼻先に近づける。ぱっと身体を起こしてやってきた。水よりも、お菓子の方が好きなのはわかっていたけれど、少し悲しかった。はいはい、おすわり、まてだよ。お菓子をもらうための努力なら惜しまない犬は、はあはあと舌を出し、よだれが出るのか口の周りを器用に舐めた。はい、よし。よしだよ。食べていいよお、食べないの? 犬は、声をかけただけでは動かない。お菓子を指さしてあげないと、「よし」が分からないのだ。あげる前から知っていたことだけれど、そのおバカさが可愛くて、いじめたくなって、あえて声だけで示す。そのあとに、無言で指を指してやると、今度は迷いなくお菓子に飛びついた。ばかだなあ、と思った。でも、ばかのままでいいし、馬鹿な犬という字面もそこはかとなく面白い。お菓子はあっという間になくなっていく。骨に肉が巻かれた形のお菓子だ。人間でいえばアスパラのベーコン巻きくらいに当たると思われる。肉にばかり食らいついて、両端の骨は落ちていた。おかまいなしに、肉を食べ続けたあとに、骨を食べている。それを見ながら、なんとなく、私の骨も床に落ちたらこんな音がするのかしら、と考えてしまった。

 骨まで平らげると、ようやく水に興味を示したようだ。舌でペロペロと水を掬っていく、ように見える。あの舌を、スプーンみたいな形にして、掬って飲んでいるのだろうか。たぶん、猫も同じ飲み方をするはずだ。あれで水が飲めていると思うと驚く。ただ濡らしているようにも見えるのに。どうだ、美味しかろう。私の思惑が通じたのか、犬は普段よりも長く水を飲んでいるような気がした。「普段」など知らないのに。飲みたい分、飲み終えるとすぐに犬は陰に引っ込む。都合の良い関係だ。この犬みたいな距離感の友人でもいればいいのに。会って、なんとなく話して、一緒に食べて、気が済んだら別れる。それだけでいい。迫った夏の終わりと、まだ先の後期のことを思って、なんだか疲れてしまった。


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