紫陽花みたいな生き方

 小さいものを集めた結果、結局大きなもの1つと変わらないことになってしまった、ような生き方をしている。

 昨日に書いたマニキュアもそうだ。1,000円を越えるようなマニキュアを買うことはほとんどないけれど、300円のマニキュアは300円だということを良いことにして、どんどん買ってしまう。たくさんの色がほしくなって、調子に乗って集めていると、結局1,000円ほどになっているのだ。

 私はシールやマスキングテープを集めるのが好きだ。別に何かに使うということはなく、ただ、可愛いから買っている。買って、眺めて、ときおり使うというだけで私の心は満たされる。それも、文房具屋に売っているようなものではなく、百均で売っているものを集めてしまう。私が悪いのではなくて、安いのにたくさん入っていて可愛い、というのが悪いのだと思う。

 化粧品もそうだ。高いものをどんと買うのではなく、安くて、今必要なものだけをそっと買う。だからほしいものは尽きないし、ドラッグストアに向かうたびに化粧品売り場をチェックしてしまう。

 YouTubeの動画だって、1時間の動画は少し躊躇する。ええ、1時間かあ。もう少し短い時間でいいんだよなあ。そう思いながら、15分くらいの動画を再生する。面白くなって、15分の動画を4つ続けて見ていることが少なくない。

 今日、友人にそんな話をしたら、私もだよ、と笑っていた。2人で、100円のシールとマニキュアを買って、シールは分けあった。幼稚園か、小学校以来のシール交換だった。

 おそらく、だけれど、そういう人は多いと思う。明確な証拠はないが、なんとなくそう思うのだ。

 これ、素敵な言い方ができないかしら。一見貧乏くさいような、この生き方を。と、今日はついに夕方の犬の散歩まで任されてしまった中で考える。小さなものを集めて、大きなものへ。雨が少し降って、地面が濡れているので、犬はすぐに家に帰ろうとしていた。

 あ。そうか。紫陽花ではないか? 小さな花が集まって、大きな花になる。これ、まさにこの生き方ではないか。そう考えついたのは、年をとったからか食欲のない犬がゆっくりご飯を食べるのを眺めていたときだった。

 紫陽花みたいな生き方、といえば、なんとなく自分を許せる気がした。だから、私はこれから紫陽花みたいな生き方をしていくのだ、と、灰色の空を見て決意した。


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