久しぶりの

19歳になった。一ヶ月とまでは言わないけれど、それに近いくらい前のことだ。18になったときにも思ったことだけれど、だから何なのだ、という気がしないでもない。18歳も19歳も、子どものときは立派な大人できらきらした存在だった。その頃はまだ20で成人だったけれど、それでも18歳は十分大人だった。実際、18歳どころか19歳も子どものままだ。新しいプリキュアには成人のプリキュアも登場するらしいけれど、その子も18歳で、そりゃあ中学生くらいの子から見れば大人なのだろうけれど、結局子どものままな気がする。そもそも18歳も、この前成人だと言われたばかりだし、実際には昔もいた高校生のプリキュアと変わりがないように思える。まあ、プリキュアの中に登場する高校生は、かなり大人っぽい、強くてしっかり者として書かれるのだけれど。

19になった私は、実家で寝てばかりいる。大学は誕生日と同じ頃から休みで、まあ休みになり始めた頃はレポートに追われて寝ずに過ごした日々があったのだが、何もすることがないので実家へ帰ったのだ。すでに帰省していた高校の頃の友人が、3月になる前に地元を離れると言うから、彼女に会うために早めの帰省を決めたのもある。けれど彼女にはすでに再会を果たし終えたし、明日には東京に戻ってしまう。妹たちはまだ学校があるし、平日の私は遅く起きてご飯を食べてまた寝る、みたいな最悪な日々を過ごしている。ご飯を食べているだけ一人暮らしのときよりマシだというくらい。まあ、大人らしい生活とは言えないし、あまり未来に希望を抱く子どもたちには見せない方が良い姿である。

こういうときにできる有意義なことと言えば、読書か、もしくは文章を書くことくらい。少なくとも私にとっては。ということで久しぶりにNoteを開いた。今は母親の部屋の上にある屋根裏部屋で生活しているために、母の見ているドラマの音声が聞こえっぱなしの状態で。なんとなく音楽を聴きたいと思ったけれど、文章を書くときに歌詞のある曲を聴くと引きずられてしまうのでクラシックを聴く。あ、「展覧会の絵」ってこういう感じなんだね。有名な部分しか知らないのでこういうことがよく起きる。

ここまで書いてきて、なんとまあまとまりのない文章、と思った。しばらくぶりだとこういうことも起きる。というか、長期の休みに入るたびにこれえを繰り返している。

19という数字はなんとなく好きだ。18よりは少し大人びていて、でも可愛げがある気がする。ミントグリーンみたいな色をしていると思う。オトナ女子、みたいな感じ。オトナ女子っていう言葉があったよな、と思って検索をしてみたらドラマのタイトルになっていたらしい。女子を諦めない、と書かれているけれど、私は一生女子であるつもりだ。いつまでも可愛いものを追いかけるつもりだ。諦めないのではなくて、諦められないのだ。

今日はそれだけ。「展覧会の絵」も、少しずつ有名なフレーズの断片が再び顔を出し始めている。

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