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気づけば寝落ちしてしまい終えれなかった昨日の日記には申し訳なく思うが、日記は今日から再開しよう。

目を覚ましたのは朝の6時半。まだ寝れる、まだ寝れると思いつつ時刻が気になるので十分ごとに目を覚まし携帯を覗く。

6:40.

6:50..

7:00...

気づけば時刻は何故か7:24になっていた。

さっきまで7時だったはずなんだけどな。そう思いながらも焦る気持ちもあり急いでシャワーに入る。

時間もないし、気分が今日はあまり良くなかったので髪をセンターのままで乾かし制服に着替える。

詩集を鞄に入れて、AirPodsを耳にセットし部屋を出る。

リカが流れる僕の右耳と、桜の気に一撃を食らわせる女性が映る僕の瞳。平和度が正反対である僕の器官は困惑を極めていた。

散る桜、残る桜も散る桜

そう、無口な僕の祖父から言われた言葉を思い出す。

桜が散り、まだ残っているものですらよく分からない女性の手によって散らされ一生を終えるのかと思うと改めて美しいものこそ脆く、切ないのだと感じた。

とは言っても、僕は自分の写真写りのために桜吹雪をよりによって人工的に作り出す意味がわからないし、わかりたくもないのだが。

教室に向かい、うちのベーシストに詩集を渡す。その代わりにもらった本はランチ時間に読み終わった。

貸してもらった本は結構面白く、普段は環境的にも小説しか読めていない僕にとって久しぶりに感じる読書の感覚であり良い気分だった。

色々終わり僕は放課後の授業の前に1時間ほどの時間ができたので図書館へと逃亡することに決めた。

図書館に入り、日本の書籍コーナーへと向かう。

“み“を探し目を書棚じゅうにめぐらせる。

目当ての本を見つけ取り出す。

2016年の3月以降借りられた形跡がないその本は久々の日光を喜ぶように沢山の文章を覗かせる。

その文章を書いたのは早熟の天才、三島由紀夫先生だ。

芥川龍之介と三島由紀夫が僕の文章の書き方、話の構成の仕方に大きな影響を与えた二台巨頭だろう。

特に討論などの場面においては三島先生のやり方を参考としている。

“沈める滝“と書かれた本を借り、放課後授業へと向かう。

準備をしていなかったプレゼンは八割以上アドリブであった。

部屋に帰り少し仮眠をとる。

今日も今日とてダンスの練習を1時間ほどで終わらせ部屋にかえる。

特に勉強せずにギターを弾いているとうちのベーシストが電話してもいいかと聞いてくる。

少し嫌な予感がしながらも“いいよ“と返し電話を始める。

詳しくは書かないが相当面倒臭い人間関係が絡まった問題であり、うちのベーシスト(以下C)には相当苦労かけてしまっていて申し訳なく思う。

仲間外れの定義は人々によって違うらしいし、いじめの定義だって違うらしい。

世間体は個人主義を主張し、個性などを重視するくせに、いざ自分に都合が悪い状況に身を置くことになればある意味での全体主義を主張し、自分が存在している意義を他人に押し付ける。

そして全体主義から自分が何かしらの理由で外れていると感じた場合にはまた個人主義を主張し始める。本当に人間というのは面倒くさい。

自己嫌悪の感情を持つのは自由だが、その理由を他人に押し付けるのはよくないと思う。なんなら自己嫌悪の感情ほど非生産的なものはないと感じる。

僕だって自分が全知全能で全ての事柄で役不足であるなんてことはない。

だけれども僕は自分が嫌いではない。何なら好きまであるし、好きだと思った方がよっぽど生産性が良い。

そして恋愛。

これほど面倒臭いものはない。

だけれども恋愛は何も悪くないし、人を好きになる感情自体は普通だと感じる。

そういう面で言えば自由で良いと思っている。

だけれど他人、それもある特定のコミュニティーに迷惑がかかるのなら話は別である。

その場合は時間的にも空間的にもある特定のコミュニティー外で恋愛をするべきであるが、恋愛は利己的になってしまうものなのでそこまで考えられないのだろう。

今、客観的に見て自分もそうなってしまっていた時期があったからこそ分かる。

改めてCには苦労をかけてしまっているし、他が男子であるからこそ彼女1人に女子側の問題を任せてしまっているのが申し訳ない。

Cはよく自分のせいだなんていうけど、そうではないってことは心から言いたい。
僕は最大限あなたを信頼しているし、僕らで問題を受け止めている以上、責任を負うにしても50:50であるから誰か一方のせいなんてことはないと思っている。

正直Cがいないとバンドは成り立たないし、僕だって相談相手がいないだろうから今ごろバンドをしっかり続けられていたかも怪しい。

直接は恥ずかしいから、ここで書くが僕は心から結構君に感謝している。

薄っぺらく聞こえるかもだけれど、本当だ。

僕は少なくとも大体の事柄においては君の味方でいたいと思っている。

僕がお世辞を言わないのは君が1番わかるだろう

話は長くなったが、この週の日記はさらに長くなりそうだ。

問題解決のために動くのは明日。水曜日。だけれど遠足も明日。水曜日。

とりあえず僕の苦手な動物園の匂いに鼻を刺されながら明日は授業が無い日を楽しみ作戦実行といこうじゃないか。

玉砕日にちは木曜か金曜か。どちらにせよ僕は悪者側だ。

だけれど理解してくれる人が少なくとも1人いることを考えれば別にいいかとも思う。

孤独にはならないことは確信している。自分は今、何のために生きているのか。それがある程度はっきりしているし、その“何“を共有している人間もいるからだ。

だからこそ、今読んでいる本で僕が好きな一節を引用して終わろうと思う。

箒が「自分はものを掃くためにある」と確信しているあいだは
どんなことをしたって箒は孤独にならない。

それでは

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