野良猫学級 第8話 祭りになると馬鹿が沸く

 体育祭当日、予告通り、奴らはしっかり気合を入れてやって来た。朝のホームルームで教室に入った途端、おれは祭りの詰所に間違って入ったのかと勘違いした程だ。
 ポンパドールにリーゼント、モヒカン、編み込み……。花やリボンを付け、まぁ盛り盛りの頭も良いところ。各々の顔にはキラキラのフェイスシール。中にはシールを買う予算が足りなかったのか、メジャーリーガーがするアイブラックの様に、わざわざ顔にペンで書き込んでいる奴まで。水性ペンなら汗で流れ落ちてしまうとなると、それはもしかして油性ペンか。予算不足だからペンで書いたのだろうから、ボディペイント用のペンやインクまで用意したとは思えないが……。そして体操服の袖口に目をやると……タトゥーシール。蝶だの蛇だの蠍だの。
 おれが学生の頃にも、こういうイベント事になると派手に着飾る子達が居たには居た。ただ、クラス全員がとなるとこれはなかなか。目がチカチカして仕方がない。
「また派手にやり上げたなお前ら。一瞬誰が誰だか分かんなかったよ」
「どう?イケとるやろ?」とドヤ顔の桃果。どうせ言い出しっぺはこいつだろう。なんせ髪の毛の盛り具合、そびえ立ったケーキの様な頭が、他の奴らの比ではない。ただでさえ普段から金髪をねじらせているくせに。一体このセットをするのにどれだけ時間を費やしたのだろう。
「ねぇねぇ!誰が一番可愛い?」と訊ねてくる。これを可愛いと思ってやっているのがこいつらの面白い所である。
「どいつもこいつも派手でしょうがねぇよ。『屈み女に反り男』って言うだろ?おれはよう、てめぇらみてぇに主張が激しい人じゃなくてな、ちょっとこう控えめな、しっぽりとした女性の姿勢に惹かれんだよ」
「出たよ。タツ兄の名言みたいなやつ。鏡女?ウチそんなん初めて聞いたし」
 ピエロみたいな、左右あべこべの色使いの装飾顔で話し掛けてきたのは百合だ。こいつは普段から黒髪だから、フェイスペイントに加えて、ギチギチに髪を編み込むことで、自分の個性を主張している。
「ってかよお前らそんなナリで、走って飛んでってできんの?今日は神輿担ぐんじゃなくて競争しなきゃなんねぇんだぞ?」
「大丈夫よ!ガッチガチに固めてきたけん!」
 備えが良いのか頭が悪いのか。まぁ、法被やらサラシやら、特攻服やらで来なかっただけ良しとしよう。おれより少し遅れてやって来た担任は、あきれてもう物も言えない様子であった。


 体育祭の企画や当日の運営は、保健体育科の職員で行う。進行、道具の出し入れ、出場選手の招集、決勝審判……。おれも曲がりなりにも体育教師だから、招集係に当てられた。プログラムを見て、次の演目とその次の演目くらいまでの出場生徒を入場門付近で並ばせてチェックし、大人しくさせておく仕事だ。言わば裏方仕事で、競技中に行う仕事だから、係に選出された運動部の生徒も分担して仕事を担っていくとはいえ、なかなかゆっくりと腰を据えて競技を見るには至ない。本来ならば、十三組の応援席のテントで、奴らと一緒に応援に勤しみたいところであった。
 逆に言えば、必ずどの生徒もおれの前を通って競技へと出発する訳だから、言うならば見送り役。競技に出発する直前に、顔を見て声を掛ける事ができるという利点はあった。
「タツ兄ー!行ってくるで!」、「次アタシやけん、見よってよ!」と意気揚々と出発していく十三組の奴ら。それだけ目立つ格好をしていれば、たとえ見たくなくとも目に付いてしまうというものだ。他のクラスの女子生徒達も、それなりに体育祭仕様にはなっているが、うちのクラスは群を抜いていた。

 百合や環菜は、クラスマッチでもその片鱗を見せていたが、やはり運動能力は高い部類だと思う。それぞれ百合は二百メートル、環菜は四百メートルの徒競走で出場したのだが、どちらも見応えのある、圧巻の一位であった。
 百合はスタート直後からハナに立ったかと思うとそのまま独走。トラック半周を過ぎてもその脚色は快調。後続を全く寄せ付けず、黒い編み込みが颯爽と風を切り、ゴールテープを目の前にして余裕のガッツポーズで逃げ切った。
 環菜は、スタートで足が滑って出遅れたため、最初の一周は後方に埋もれていた。そのままずるずるいくのかと思いきや、二周目に入った辺りからぐんぐんスピードを上げ、そこからは中団を一気にごぼう抜き。最終コーナーで先頭を外から差し切り、頭に付けたねじり棒の髪飾りが落ちやしないかとちょんちょんと気にしながら、笑顔でゴールテープを切った。
 二人とも本当に宝の持ち腐れだ。何か運動部にでも入れば良いのに。
 皆が活躍する中、桃果はというと、障害物走に出場したのだが案の定、そのバースデーケーキみたいな頭を守ることに必死で、なかなか網をくぐり抜ける事ができずに最下位だった。おれも、向こうに見える十三組の応援席に残っている奴らも大笑いだった。

 借り物競争の番に移った。眼鏡、応援団旗、校長先生、その他諸々。書かれた札にある物を、或いは該当する人物を、その場から拝借してゴールを目指すというあれだ。二百メートルトラックを一周で行う手筈になっている。選手は、本部席の前からスタートし、ちょうど半周した先の入場門付近に準備された札を取る。札に記された目当ての物を探し出したら、札のあった位置に立つ、審査員役である道具係の職員のチェックを受けに行く。その後回収箱に札を入れ、残りの半周を、その借りてきたものと共にゴールへと向かわなければならないというルールになっていた。
 競技は着々と執り行われている。あれが無い、これはどこだ、と、出場している生徒が応援席へ駆け寄って、そこで控えている生徒や職員も和気藹々と。この競技は見ている方も一緒に参加している感覚になれる点が楽しいのだろう。中でもひょうきん者の生徒達は、いつ自分のとこへ来やしないかとソワソワしながら自分の応援席でおどけている。

 モヒカンリーゼントのお祭り仕様で、茶髪頭の奴がまた一人スタートラインに立っている。杏子だ。こいつも意外と体育祭に乗り気だったのか。それとも、環菜や周りの連中に言い包められて渋々こんな頭にしたのか。どちらにせよ、杏子が鏡の中の自分と睨めっこをしながら、必死でこんな髪型にしている所を想像するだけでおれは愉快だった。
 スターターのピストルの音と同時に、颯爽とハナに立った。こいつもやはり良い足を持っているだけに、非常に勿体ない。なぜこいつらは運動部に属さないのかしらと、今日はそればかり感じる。
 悠々と一番に、伏せられた札の一つを取ったのだが、それを見た一瞬、動きが止まった様に見えた。ふいと審査員役の職員へ目をやったかと思うとすぐに走り出したのだが、先程までの様なスプリントではなく、やや何かを躊躇っているかの様に入場門の方まで走って来た。その間にも後続は次々と、各々の目当てのものを調達にと駆け出している。招集係のテントまで来た杏子は、少しおろおろとした様子で辺りを見回し、テントの奥の方にいるおれと目が合った途端、他の招集係の職員や生徒達を掻き分けながらおれの目の前へとやって来た。
「……これ」
 杏子が見せてきた札に目をやると『体育科の先生』と記されている。先程の杏子同様、おれも一瞬動きが止まってしまった。
「ほら!先生、早よ来てや!」
 差し出された杏子の右手に引かれながら、審判役の職員の元へと向かった。杏子と並んでトラックに降り立つと、今いる所とはほぼ半周手前、スタート直後のコーナー辺りにある十三組の応援席から、ワッと大きな歓声が上がる。先頭の生徒は、ちょうど回収箱に札を入れたところ。審査を通過し、杏子が札を入れるのを合図に、手を繋いだまま二人でスタートを切った。
 杏子の足を信頼して、おれは全力で走った。少しおれが手を引く様に、でも、杏子も負けじと食らい付いてくる。
 ゴール前のコーナーの終わり、先頭と並んだ。奴らの応援席がゴールの向こうにぼんやりと視界に入った時、ほとんどの者がトラックに身を乗り出してこちらに向かって声を上げている。風を切る音の隙間から、おれ達二人の名前を呼んでいる声がかすかに届いた。
 声援を目一杯正面に受け、そこに向かって吸い込まれる様に、黒い風になったおれと杏子は、その勢いのままゴールテープを切った。
 ゴールから数十メートル、ウイニングランをした辺りで、一歩、二歩、三歩と、ようやくゆっくり止まった。二人とも、すっかり息は上がってしまっていた。
 先程以上の歓声が、目の前で上がっている。十三組の奴らは、まるで優勝したかの様なお祭り騒ぎだ。杏子もその歓声に気付き、顔をそちらに向けた。おれは奴らに向けて右手を上げ声援に応えた。
 ふと、杏子の方に目をやると、切れ切れの息を整えながら、顔の横で小さく手を振り笑顔で奴らに答えている。おれの視線に気付いた杏子は、ハッと我に返ったかと思うと、少しはにかむ様に唇を歪め、まだ繋いだままであったおれの手を慌ててふりほどいて着順旗の方へと歩いて行った。この時の、小さな子どもの様な笑顔で手を振る杏子の横顔は、しっかりおれの心に残った。



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