野良猫学級 第3話 問題児

 初めての十三組の授業。始業の鐘が鳴り、定刻通りに授業へとやって来たのは、半分ほどの生徒だった。
 遅刻してしまったと焦り、慌ててやって来る様子が見えるのならまだいくらか可愛げがある。例えそれがポーズだとしてもだ。チャイムが鳴る中、なんだったら鳴り終わってからも、ほとんどの者が平気で、のんびりタラタラと歩いて我が物顔で登場して来やがった。挙げ句、体操服に着替えてすらいない奴もいるときたものだ。それだと、女だから着替えに時間がかかるという言い訳さえも通用しなくなる。
「てめぇらぁ!とっくにチャイム鳴ってんのに何分待たせてやがんだ!」
 向こうに見えた彼女らに声を張り上げても、その態度はまるっきり変わらない。遅れて来た面子の中には、当然の様に杏子の姿もあった。
「遅れてすみませ〜ん」
 杏子と並んで歩いてやって来たのは田口環菜かんな。環菜の風貌はと言うと、茶髪にショートカット。類は友を呼ぶとは言い得て妙。こいつも杏子同様、明るい髪色で眉毛が無い。ヘラヘラと笑いながら、反省の「は」の字も込められていないであろう謝罪をしている。隣にいる杏子に関しては口を開こうともしない。
「そんなに早く授業始めたいなら先に始めとけば?」
 揚げ足取りにもなっていない、そんな文句を垂れているのは大山桃果ももか。こいつはもはや金髪と言って良い。キラキラした髪を捻らせうねらせ、ばっちり化粧も施している。見た目も十分に厚かましいが、奴の態度がその厚かましさを倍増させる。
 体操服に着替えもせずやって来たのは宮西百合ゆり。百合に関しては髪こそ黒いが目元も真っ黒。そんなにまつ毛や目元を塗りたくってどうしようというのか。長い黒髪をたなびかせながら、制服で優雅に遅れて来やがった。「違うんよ。忘れたんやけんしゃーないやん」と宣っている。何が違うというのか。
 遅れて来た奴が一人、二人……。そして着替えていないのが……もう数えるのも面倒になった。
「初日から遅れて来やがって!何しに学校来てんだてめぇらは!」
「そりゃ学校には来るよ。高校生やもん」
 先程からの桃果の理屈は、おれにはさっぱり分からなかった。
「いいか?物事ってのはなあ、初めが一番肝心なんだよ。初め良ければ終わり良し、終わり良ければ全て良しって言うだろ?」
「終わりよければ全て良し、やろ?」
「そんなん誰が言うんよ?初めて聞いたし」
 そこかしこから口答えが飛んで来た。
「うるせぇよ!おれはガキの頃そう教わったんだよ!それにな、元はと言えば何の悪びれもせずに遅れて来るてめぇらにも非があんだろうが!」
 そんな理屈など奴らには通用しないのは分かってはいたが、授業の出鼻を挫かれたおれは小言の一つも溢さずにはいられなかった。『犬に念仏猫に経』だということは分かっていても。

 学校体育の授業は集団行動から始まる。集団としての、また、集団に身を置いた中での秩序ある行動や規律を身に付けることで、授業の運営の効率化を図り、しいてはそれらが生徒の安全を守ることにも繋がる、といったことが学習指導要領で謳われている。
 この理屈も、授業をする側に立つことになった今では、何となく理解できる。人と足並みを揃えて、右に倣えで生きていくことが全てにおいて正しい訳ではないだろうが、多少なりとも、自然と人に流される部分、周りの歩調に合わせる心は育っていないと、大人になるにつれて困る人間の方が多いであろうと思うからだ。
 座学とはまた違う、体を動かしながら覚える、言うなれば「躾」のようなものが体育の授業に求められるものの一つなのだろう。身を美しく。素敵な言葉ではあるがそんなもの、こいつらとは真逆の位置にあるものであった。

 おれの小言も終わり、遅刻して来た奴らもなんとか整列させて点呼を取り、ようやっと集団走に取り掛かった。集団行動の授業を終えても、体育の授業の開始時には、整列、点呼、集団走、体操という一連の流れをこなしてからその日の活動に入るのが学校体育の慣わしだ。
 高校三年間、体育の授業の度に行われる集団走の第一回目。こんな反発者達の寄せ集めだから、期待はしていなかったがまぁ、笑いが出そうなほどグダグダであった。足並みや列が揃っていないのは当たり前のこと。少しずつ列は伸びていき、集団が一組、また一組と尻切れとんぼになっていく。終いには歩きだす者までいるときた。全員が校庭三周を終えておれの前に戻って来た時には、怒りを通り越して呆れ果ててしまった。
「お前らは一体何をやってんの?」
「先生が走れ言うたけん走りよったんやけど」
「いやいや!皆んなで並んで、足並み揃えて走りましょうってのが集団走だろ?そもそも走ってすら無ぇ奴がいるってどういうことだよ?」
 皆ふてくされた態度で口をつむっている。
「やり直し。きちんと全員で三周やってこい」
 おれのその一言で、奴らの内に込められていた不平不満が口から溢れ始めた。
「はぁー?何でなん」
「マジで意味分からんし」

 口を尖らせながら、何とか奴らが集団走を終えたのは五回目のやり直しの後であった。最後はもう、列こそ途切れていなかったものの、走っているか歩いているかの瀬戸際の、それはそれはゆっくりとした集団走であった。列が乱れなかっただけマシだと前向きに捉えることにした。
「はい、お疲れさん。今のが最低ラインだかんな。次の授業以降も何回でもやり直しさせるから覚えとけよ」
 校庭を何周も走らされたことによる苛立ちこそどいつもこいつも隠しきれてはいなかったが、今度は逆に誰も口を開かなかった。

 ここからようやく集団行動に入る。この学校で行う集団行動も、小学校から行わせるそれとさして大きく変わりはない。右向け右、回れ右、等の方向転換。二列横隊からの四列縦隊や三列縦隊へと列の増、そしてそこから二列横隊への減。隊列のままの移動、移動中の方向転換。その程度のものである。組体操や、それこそ集団演技として人に見せる様な項目はこれっぽっちも無い。ただただ、号令を聞き、その指示に沿って、皆と同じ動きをすれば良いだけのことである。
 このクラスは三十人だから丁度良いと思い、十五人ずつの二つの班に分け、それぞれの班に号令係を仕立て上げることにした。号令係には項目や指示の出し方、さらには列の動き方までもを記載した紙を渡し、全ての項目がクリアできたと判断できれば、合格試験という形でおれに見せに来る様にという流れで取り組ませた。
 のはいいが、当然こいつらが真面目に取り組むとは思ってはいない。班分けしたからには、おれがあっちの班こっちの班と行き来しながら何とか取り組ませる覚悟は持って臨んだ。

 まず一つ目の班はと言うと、桃果と百合のコンビがいる。しばらく様子を見ていると、整列すらしようとしない。何なら桃果が、おれが号令係に渡した紙を取り上げて、ああだこうだとさえずっている。
「何番の誰がどこに動けば良いん?ってかウチは何番なん?」
 列の増減が桃果には難しかった様だ。きちんと番号や矢印まで振って図を書いたというのに。仕方がないので少し助け船を出すことにした。
「お前らさ、とりあえず整列くらいしてみろよ。そもそも並んで番号の点呼しねぇと、自分の番号が何番か分かんねぇだろ」
 二列横隊から四列縦隊への列の増は、まず号令で点呼を取る。「二の番号」の号令でイチ、ニ、イチ、ニ……と。そして次の、「四列右向け右」の号令で偶数番号だった者が右向け右の方向転換の後に斜め前に一本出る。ただそれだけのことだ。
「とりあえず並んで、ゆっくりやってみろよ」
「ってかさ、四列じゅうたいって何なん?別にアタシら何も渋滞なんかしてないやんね」
 百合も何やらよく分からない事を言い出したので、おれはもうその場を離れることにした。

 もう一方の班は、遠目で見ても先程の桃果、百合の班より酷い有様だ。桃果の方の班はというと、あの文句の親玉を中心に、皆でやんや言って練習こそしていないが、一応は寄り集まっている。皆で寄り合ってジャラジャラとしている様は、体育の授業中ということだけを除けば、そう悪い光景には見えなかった。
 それに比べてこっちの班は、烏合の衆という言葉がぴったりだ。杏子や環菜は座り込んで話している。そんな姿に我関せずと、あっちで立ち話、こっちでも座ってお喋り。
「おれは集団行動の練習しろって言ったんだけどな。お前らが練習してる様に見えねぇのはおれだけか?とりあえずお前ら立てよ」
 渋々立ち上がって集まっては来るが、誰もおれの顔は見ようとしない。杏子と環菜は依然と座ったまま無視を決め込んでいる。
「杏子!環菜!お前らも来い」
 杏子はおれの方を一瞥し、重たそうにその腰を上げる。環菜はそれにくっついて一緒に立ち上がりながら、「先生〜、こんなんやっても意味ないけんええやん〜」と、朗らかに口にする。遅刻してきた時もそうだったが、こいつはいつもこの調子なのか。
「意味が無ぇと思って見てかかったら、世の中の事はたいてい意味なんか無ぇよ」
 今度は杏子が、体操服の砂埃をはたきながら、「はぁ」と大きなため息を返してきた。少しだけおれと杏子の間の空気がピリついた。
「どっちの班も集団行動合格しねぇと、次に進まねぇからな」
 やや重たい空気の中、こっちの班ものそのそと整列にかかった。ちらと向こうの班の様子を見ると、またああでもないこうでもないと言い合っている。こちらを立てればあちらが立たずといった所だ。こいつら皆、右向いたり一歩ずれたり、行進したりするだけのことなのに、何がそう難しいのだろうか。

 結局、おれが二つの班を行ったり来たりしているうちに終業の時間が来てしまったので、全員を集合させた。今日は最初の集団行走が長引いたから、もっと言えば、チャイムが鳴っても奴らがなかなか集まらず、授業自体が始まらなかったから、なんとも中身の無い一時間になってしまった。
「お前ら今日の調子じゃあ一学期いっぱいかけても集団行動終わんねぇよ。こんなもんシャキッとやって早く終わらせようぜ」
 とは言ったものの、このクラスは週に三回も体育の授業がある。雨天で校庭が使えず、他のクラスと体育館の取り合い譲り合いになる可能性があるにしても、それだけのコマ数があれば何とかなるだろうと、おれは少し甘めに見積もっていた。さすがにこいつらだって、いつまでも右向けだの左向けだの歩けだのと、面白くもないことを延々とやりたくはないに決まっている。それに、集団行動とはつまるところ、連帯責任である。自分一人がサボったばかりに、全体に迷惑をかけるのだから、桃果や百合の様な文句垂れも、杏子や環菜みたいなあかんたれも、いずれは最低限皆に合わせようとするであろう。いずれはそんな日が嫌でもやって来るものだと、おれは安気に待つことにした。


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