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過去の傷跡に祈るようなASKの歌声が、"V"に本当のエモがあることを教えてくれたのだった。

ASKというVのグループに激ハマリしている。フウちゃんとワトちゃんとエアちゃんとハウちゃんとフェンちゃん(順不同)がお気に入りだ。そしてずっと思ってた。

M3でて、CD出してくれないかな~~~~

そしたらでちゃった~~(語彙)


それがこちら、『明けの明星』!!


かっこいい~~

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かわいい~~

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先ほど落掌して何度も聴かせてもらいました。

いろいろな感情がよぎってしまった。

正直にいうと動揺していたのかもしれない。泣いたり叫んだりはしなかったけど、う、ううわ~~~!ってなってゴロゴロしたりした。

良すぎたよ…………。

いや、例えばいわゆる「音楽」として聞けばさ、それはつたない歌声かもしれない。なんというか、素直に流れるように耳に入ってくる曲ではないし、元気になったり、嬉しくなったり、「えもー」って騒げる曲ではないと思う。

 もしかしたら、ASKというグループ、あるいはいつも笑顔で、元気いっぱいで、楽しそうな5人が歌うのは相応しくない曲だ、って思うかも知れない。


ぼくじしん、正直、そう思うところがなかったと言えばウソになる。

ただそれは、もうはっきり言ってしまえば、ぼくとしてはね、「CD出して欲しい~」っていうのも、なんというか普通の明るくてポップでキュートなドルソンを歌って欲しかっただけだったのだ。誰にでも向ける笑顔のアイドルたちのように。感情や心がなくても務まるCGのように。

でも、そういう曲ではなかった。難しい。強いていうなら、教会で高校生たちが歌う賛美歌のように素直な合唱曲だ。ソロパートもある。みんな、いつもの放送とは全然違う人が歌ってるみたいな、敬虔さすら感じるような静かな歌で、現代音楽みたいな違和感と調和が同時に押し寄せるイントロ、ちょっとだけ明るいサビ…………なのに猛烈に寂しい。

歌詞も不穏だと言えば不穏だ。「傷跡」や「閉幕」といったフレーズが唐突に現れる。

…………単なるドルソンのことしか思い浮かべられなかった僕は急に気がついた。これはVの歌であって、Vはみんな人間で、誰だって放送中だけがその人の全てではない。元々ハカセ(織独ハウちゃん)が遊び相手を求めて他の4人を作ったのだった。その孤独と傷と、友達と遊びたいという気持ちはYoutubeに集う視聴者たちとひとつなぎの感情だったはずだ。孤独と、遊びたいという気持ちをつなげた感情がこの曲には織り込まれている。

たんなるVを売るためのドルソンではないのだ。 

2010年代、3年間でデビューしたVtuberは6000人いた、とどこかのブログで読んだことがある。そのうち3000がYouTubeに動画を一本だけアップして消え、さらに1000が1ヶ月以内に消え、さらに半年後には100人も残っていないという。

 その100人の中で、「自分の、自分たちのために曲を書いてもらえた人」というのは一体何人いるのだろうか、と思った。歌はたんなる商品ではない。お金の多寡でもなく、歌唱の上手い下手ではなく、人脈ややる気の問題でもない。歌いたいことがあって、メッセージがあって、何を伝えたいのかがあって、誰に伝えたいのかがあって…………、そういう思いの全部を聞き取れるような歌があるだろうか。

『明けの明星』。ASKのみんなの歌、誰のためでもなく五人のための歌。ふつうのニンゲンは、自分のための歌を持たない。でもVなら持てる。

いいところも、つたないところも、うまく歌えたことも、もっとがんばりたかったことも、あるだろう。でもそれも全部あわせてASKの曲なのだ。

ぜんぶぜんぶ大切にしてほしい。

いつかどこかで聞ければいいな。

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