見出し画像

男子の知らない†Vの者†

2015年か、17年ぐらいからまたV系、いわゆる「ヴィジュアル系」バンドの人気が盛り返してきているらしい。

GLAYやらLUNA SEAといった90年代から2000年代に書けて活躍したバンドメンバーたちが復活したり、2016年には<VISUAL JAPAN SUMMIT 2016 Powered by Rakuten>が開かれたりと、ちょっと前からヴィジュアル系再興の機運があったらしく、それこそもう40年近い伝統があるV系について全然気にも留めなかったことを若干後悔してもいる。

昨今「 V」といえばVtuver、則ちバーチャルユーチューバーをさすことが多いと思う。僕も最近まで「Vの者」もようするにVtuberを指す言葉だと思っていたぐらいだ。用法としてはヴィジュアル系のファンを指す方が古いというのに。

昨今、ヴィジュアル系がじっくりと中火でことこと火がついてきたのは、ヴィジュアル系が「耽美」や「ゴシックロマンス」といったヴィジュアル系らしいテイストの何かだけではなく新しい趣向を徐々に取り入れつつ、ヴィジュアルと音楽性との間でのバランスが取れるようになってきたからだという。しばしば言われるようにV系のアーティストは音楽には極めて真摯で、Vという視覚的な特徴が注目されるけど、むしろ本質はハードロックやメタルや3ピース、オルタンティブといったそれまでの〈バンド〉との差異化が眼目にあった。この中心には多分楽曲が単体で完結するのではなく一つの「物語」として受け取って欲しいというタイプの気持ちがあって、その淵源には長曲のクラシックの素養があると思う。これについてはもう散々いわれてると思うので省略する。

 というより、ゴールデン・ボンバーをヴィジュアル系に入れよいのかどうかといった話もあるぐらいで、「V」の定義が多元化しつつあるようだ。

 昨今、2017年にデビューした「まみれた」を教えて貰った。

特集記事も読んで欲しい。「まみれた」の中毒性の高い音楽は、歌詞というか、楽曲世界のしょうもなさあるいは太宰的なヤケクソ感、もっといえば底辺感みたいなものとVのかっこよさをハイレベルで合併させている。

「まみれた」何がそんなにいいの? ときくと「君よりはかっこいいから」という身も蓋もない返事をもらった。なるほど、たしかにそうかもしれない。この「かっこよさ」は破滅的でめちゃくちゃで、スタッフを跳び箱にしてとんだとか、どことなくLFOじみた(そこまでいかないが)刹那的な生き様を思わせるし、安定や平穏を志向しがちな現代っ子にとっては文字通りのオルタンティブなんだろう。

でもその本質はかっこよさにあるんだそうな。僕よりはかっこいいヴィジュアル系から目が離せない!


昔のことや未来のことを考えるための、書籍代や、旅行費や、おいしい料理を食べたり、いろんなネタを探すための足代になります。何もお返しできませんが、ドッカンと支援くだされば幸いです。