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与野に住んでいた頃

『安住紳一郎の日曜天国』の傑作選「ハレの日の孤独」を聴いていたら、安住さんが学生時代に埼玉県与野市(現在のさいたま市)に住んでいて、二十歳の時に与野市の成人式(午前)に出席するも、北海道出身で知り合いがおらず孤独だったと話していました。

ここまでなら地方出身者の都会の孤独というよくある話なんですが、この先がありました。都会に負けたくない、孤独に打勝つんだと考えた安住さん。午後から、呼ばれてもいない浦和市(現在のさいたま市)の成人式に出席。最前列で「君が代」を大きな声で歌いあげ、右の人と思われたという話。

実は大学時代、自分も与野市に1年ほど住んでいまして。埼京線でいうと、安住さんが南与野、自分が北与野。安住さんは、予備校が高田馬場だったので、埼京線で30分台の南与野を選んだのでしょう。とはいえ、明治大学に入学したら、結構時間がかかったでしょうね。

田舎からの上京組は、親と住むところを探す人もいますが、自分は一人で不動産屋さんに当たりました。仕送り額から考えられる家賃の上限を考え、風呂付は絶対という条件ですと、入居できるアパートはどうしても都心から遠くなりますし、築年数も古くなります。

結局、新築だった北与野のアパートに決定。入居初日はカーテンもなく。持ってきた寝袋で寝て。翌日、一駅先の大宮の大型店舗で家財道具を購入。当時は福岡にはまだなかったと思うのですが、雑誌で知っていた無印良品で、ベッドからティッシュケースまで揃えました。

親しい友人たちは、中野とか比較的都心に近いアパートに住んでいたので、飲み会の後になだれ込むなど、学生らしいことも多かったのですが、北与野は遠いですし、運賃も高いものですから、ほとんど彼らが来た記憶はなく。ある女性が連泊したことはあるのですが、その話はまた後日。

不便さに耐えられず、一年も経たずに中央線沿線に引っ越した自分。もはや新築には拘らず、部屋もずいぶん狭くなりましたが、たくさんの人たちが訪れる、賑やかな住まいとなりました。

ネット上の地図を見ても、北与野時代の風景が思い出せず。ずいぶん変わったんでしょうね。いつか、昔の住まいを巡ってみたいなあ。




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