見出し画像

エッセイ | インドアが頑張って外に出たけど、着いたのは直売所

土曜日になり、今日の予定は何もない。
というよりも予定を作っていないのが正しい気がする。

先日のnoteで、外は面白いことと出会えると言っていた手前、
イラスト案も固まっていないので、無理やり外に出ることにした。

某牛丼チェーンの激安の朝食セットを食べていたところ、
店内ラジオでチューリップの「青春の影」が流れた。

リスナーさんの気に入っているフレーズと、
私が気に入ってるフレーズが一緒だったことに少しにやけた。

それにしてもチェーンの提供スピードは異常だ。
頼んだら1分もしないで出てきた。
店内に入ってから出るまで10分とかかっていない。
私の食べるスピードも異常だ。

車を走らせていると、よく通り過ぎる直売所が見えてきた。

今日は行ってみるかとハンドルを切った。
駐車場は埋まっていたけど、見る限り人は少なくどこに隠れているのかと思った。

直売所は開けていて真ん中にベンチがあり、それを囲むようにお店がある。
奥にうどん屋。
右に出店風なホットスナックと休憩スペース。
左は野菜を売ってる直売所。その隣はビニールハウスがあり花が売っている。

うどん屋の裏は芝生がおいしげっていて、
子供連れの家族がサッカーをしたり、ご飯を食べたりしている。

サッカーをしている男の子が、
ボールを蹴る前によくわからない呪文を唱えていたのは心がほっこりした。

私も小さいころ必殺技というものを披露するために、何かにつけて唱えてからボールを蹴っていた気がする。

直売所に着いて、ひとまわりした私はかれこれ30分以上ベンチに座ってぼんやりしていた。

何かやらねばと思ってきて、noteを書いているのが今だ。

ベンチに座っていると、
正面に座っている誰かを待っているであろうおばちゃんに見られているような気がする。

こんなに1人でいたら話しかけてくれるんじゃないかと若干期待しているけど、そんなことは起きなかった。

期待はするものではないなと思った。
相手へもそうだし、実際にこうなって欲しいという願いが叶わなかった時、残念な気持ちになるのは自業自得な気がする。

誰かにこう見られたいから
自分がこうするみたいなことは、日常にも溢れているように思う。

仕事でもこれをやったからと、
褒められたり、評価されたりなんて期待した時ほどなかった。

何かに向き合う時に不安や恐怖心があって、
安定を求めてしまう。

こういう描き方をすれば、プラスに思ってくれるだろう。前向きに捉えてくれるだろうと。

そう思って作ったものは、
どこかアンバランスに感じてしまうのかもしれない。

相手に受け止めてもらうために、
相手ではなくまず自分自身と向き合う必要があるのではと思う。

さっきまで楽しそうにサッカーボールを蹴っていた男の子は、帰りに号泣していた。帰りたくないんだね。

全力で楽しんで向き合うってこういうことかな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?